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継母と継子その2

 十三の年に嫁いだファティナは、元々ヴァルファムの父であるヴァルツとは顔を合わせたことが無かった。

 当然恋愛結婚というものではなく、どこの誰が見ても立派な「政略結婚」である。

それはとても事務的に進められたし、ファティナにしてみても何かの感慨など浮かぶ余地もなかったはずだ。

 ファティナとヴァルツには元々薄い、コップの中に落とした墨粒よりは多少濃いかもしれないという程度の血縁関係がある。延々と説明すれば「それはもう他人だよね?」と確認される程度のものだ。

 ファティナは父と母とを船の事故によって亡くした。それによってファティナはわずかばかりの財産を手に入れたのだが、その年齢により遺産は凍結されていた。

 だが十六までの間に婚姻によって財産の移動を行わなければ、その大半は国に没収されるという非常に――コズルイ政策を回避するが為に、暫定的にヴァルツの妻となったのだ。

 ヴァルツの独断により。

そのことに対して、ファティナは「新しい家族ができる」と喜んだのだが、ヴァルツにとって三十五以上離れた妻とは当然オトナの会話が成立しない。

「あと数年たてば(ねや)に招くことも考えるが、今閨に連れていったところで子守唄をせがまれるだけだ」

などと言っていたが、そのことについてはヴァルファムも賛同せざるを得ない。

 嫁いですぐに、この小娘様は枕を手にヴァルファムの寝室を訪れて言ったのが。

「本を読んで下さいませ」

だった。

――仲良くしようと言った義母は、自分の息子を「最大の遊び相手」と定めてしまったのである。



 こんこんと一刻あまりも説教されたファティナは、その間お茶もお菓子も取り上げられていた。何より驚くのは、ずっと喋り続けた息子ときたら、同じように水分を取らずに説教を続けたのだ。

 それはもう何かの修行か仕事のように。

しかも、執事のクレオールがお茶のセットを手に「それくらいになさいませ」と仲裁をしなければ、おそらく更に説教は続いたことだろう。

――説教を受けるほうの忍耐力も物凄いものがあるが、するほうの持続力も半端では無い。ファティナは内心で「説教魔」と義息に呆れたものだ。

 やっとありつけた紅茶を、猫舌のファティナは両手で捧げもってふーふーっと息を吹きかける。それが十六の娘のやることか、とヴァルファムは更に説教をしようかと口を開きかけたが、辞めた。

 そのことで更に半刻近く延々と説教をする自信があるからだ。


「ヴァルファム様は今日は御早いのですね」

ふーふーっと息をふきかけていた紅茶が適温になったのか、やっと一口飲んでファティナは微笑んだ。

「また先ほどの会話に戻りたいですか?」

頭が悪すぎる。

「――」

「当然、我が愛すべき義母うえが騒動を起こしたと上官からのありがたい報告を受けましたので、忙しい身の上の私が早々に仕事を切り上げて帰宅したのだ、とは考えないのでしょうか?」

 はなし、もどしますか?

尋ねられてファティナは引きつった。

「えっと、えっと……ああ! 旦那さまから御手紙が届いておりました」

 咄嗟に話を切り返し、ぱんっと手を打ち鳴らしてクレオールを呼ぶ。心得た様子でクレオールは銀のトレーに載せた手紙を手に戻った。

 私信などはたいていクレオールの手によって内容を確かめられるものだが、主人からのものにクレオールは目を通そうとはしない。したがって、その手紙は未だ開封されてはいなかった。

 銀のトレーと揃いの文様を刻んだペーパーナイフで蝋封を開き、中から数枚の紙を引き出す。

味も素っ気も無い紙に書かれた文字を追い求め、ヴァルファムはぱたりとそれを閉ざした。

「どんな様子でいらっしゃいます?」

 あまり外部との接点をもたないファティナが好奇心を向けてくる。彼女にしてみれば自分の夫からの手紙なのだが、十三から嫁いできたものの実際に夫と顔を合わせたのは両手で釣りが出るほどだろう。

「いつも通りですね」

 ヴァルファムはそっけなく言う。それもそのはずで、手紙の内容はたいてい決まっていた。

自らの領地のこと、ヴァルファムへの結婚の催促、そろそろ騎士団を抜けて自分の仕事の手伝いをするように――まったくもって楽しい話題が無い。

 ここは王都にある私邸であるが、父は領地にある本邸に暮らしている。なぜファティナが本邸でなくここに暮らしているのかといえば「子供が駆けずり回ると仕事に支障がある」という父の意向だ。

 確かに、ファティナは他人に迷惑を掛ける天才なので父のその意見にもヴァルファムは賛同できる。

「旦那さまは、まだこちらにいらしてくださらないのですか?」

ふと、ファティナの声のトーンが下がる。

ヴァルファムは片眉をあげて義母を見返した。切ないような溜息が口から漏れるものだから、何かあるのかと問えば、ファティナは紅茶の表面を見つめながら唇を開いた。

「わたくしも十六になりましたもの。そろそろ子供がいたら楽しいと思うのです」

「……」

 ヴァルファムは固まった。

子供が子供を欲しい。それはどんなに滑稽な言葉であろう。

だが困ったことに、彼女は時折この病を持ち出すのだ。それは時にヴァルファム自身にまで被害が及んだ。曰く「ヴァルファム様が結婚なさって子供を作ればよいのです」どうやら孫でも良いらしい。

 だから思わず、ヴァルファムは口元に緩い笑みを浮かべた。

またか――そう思った。

「わたくし、何かおかしなことを言いまして?」

むっとしたのがまるきり判る顔で睨まれる。

毛を逆なでた猫は、噛み付こうとしているようだ。

身の程知らずにも。

「いいえ、そうですね。

義母うえの子供ですか、それは楽しみですね」

完全な含み笑いだ。

「意地悪な言い方なさらないで。

旦那さまは一緒にいてくださらないし、息子は意地悪なのですもの。新たに可愛い子供を欲するのがおかしなことかしら?」

「ええ、とても」

くくっと喉の奥が鳴る。

「義母うえの言いようでは、まるで新しい玩具をねだるようですよ。飽きたからといって捨てられてしまうのでは?」

 さすがにその言葉にはカチンときたのか、ファティナは「ヴァルファム様、嫌いです」とつんっと横をむいてしまう。そういうしぐさが未だ子供なのだ。

「クレオっ」

 隣にいるというのに、強い口調でその名を呼びつける。クレオールは女主人の言葉に軽く身を屈めて言葉を受ける体勢をとった。

「何でしょうか」

「馬車の手配をしてちょうだい」

ちらりとクレオールの瞳がヴァルファムを見る。ヴァルファムは軽く口の端をあげ、そっと顔を振った。

「……どちらにおいでになられるおつもりでしょう」

駄目だと示しているのに、希望をもたせるような言い方をするクレオールは賢くない。

「旦那さまのところです。子供を授けてもらうのっ」

「まったく、ムダなことを」

「どうしてです? わたくしがいつまでも子供だとおっしゃるの? わたくしはもう成人をむかえたのです。私だって……」

 むーっと睨みつけてくるその様子に、ヴァルファムは匙を投げたい気持ちになる。

「子供が欲しいのですか?」

「そうです」

――では、とヴァルファムは口を開いた。

「弟のエイリクでも呼び寄せたらいいでしょう。

あれはまだ九つだ。あなたと遊ぶのに丁度いい」

言葉にしたものの、そんなことが起こらないことは承知している。何より、ファティナが完全に乗り気であったところでヴァルファムはただの戯言として無駄な努力をしない。

――弟と暮らすなどまっぴらだった。

そして、この時さらりとヴァルファムは九つと言い切ったが、実際にはすでにエイリクは11才になっていた。

 ヴァルファムはエイリクの年齢をきちんと言い当てたことがない。

「……」

 ファティナは眉を潜めた。

 エイリクは夫の前妻であるアリエラの息子であり、ヴァルファムとは腹違いの兄と弟に当たる。アリエラは夫についていけないと離婚をしたが、エイリクは取り上げられてしまった。そして現在、エイリクは乳母と共にヒースにある別邸で暮らしている。

 年下の弟も、その管理は基本的にヴァルファムのもとにある。共に暮らしていないのは、ファティナを預けられ、更に幼い弟の面倒までは到底みれないと父に談判し、承諾された為だ。

 ヴァルファムは自分程子守に適さない人間はいないと信じているが、適さなくともやらされた現実はいかんともしがたい。

なにより、父は家族のことを一切省みない性格だった。

「……エイリクさまは私のこと嫌いですもの」

「ほら、やっぱり」

それみたことかとヴァルファムが笑う。

「貴女は自分に懐くペットが欲しいだけなのでしょう。自分の子供であれば懐くとでも? 言っておきますが、私は自分の母に懐いたことなどただの一度もありませんよ。ムダなことです」

 辛らつな台詞に、ファティナはかしゃんと音をさせてカップを置いた。

「不愉快です。失礼しますわ」

義母にしては珍しくそんな捨て台詞で部屋をあとにする。ファティナのあとをついていくように侍女へと命じて、クレオールは困ったような眼差しをヴァルファムに向けた。

「少し、言い過ぎだと思います」

「義母うえの頭が悪すぎる。教育係が良くないのではないか? もっとものの分別というものを教えるものをきちんと探せ」

「勉学ならば奥様はきちんと学んでおられます」

 正確にいえば、彼女にはそれくらいしかすることがないのだ。普段から自由に動けるわけでなく、社交の場に出ることもない。

「そろそろ奥様も年頃です。社交の場で他の皆様との談笑を楽しむくらいの楽しみを与えてさしあげてはいかがでしょう?」

「誰が連れて行くんだ?」

侮蔑をこめて言う。

「この私が、これが義母(はは)だと連れていけと?」

もちろんそれでも構わない。だが、ヴァルファムはファティナを人目に晒すことを厭う。

誰かの目にさらすことも、誰かに触れられることも虫唾が走る程に嫌悪していた。

「……他の方にお願いしてもよろしいでしょう」

「そこで義母うえがどっかの馬鹿に引っかかったらどうするんだ? 深読みも処世術ももたぬ鳥頭が、腹芸もできずに馬鹿な男共を入れ食いにしたらどうする?」

 深いことを考えずにへらへらと笑うのだ。

頭の足りない女をペットのように愛する馬鹿など山といる。剣呑な口調で言いながら、ヴァルファムはぎしりと奥歯をかみ締めた。

「そのようにおっしゃらないで下さい。奥様は心根のお優しい素晴らしい方です」

「ならばそう育てた私を褒めろ」

「……」

 ふんっと鼻を鳴らす。

そう、ヴァルファムは自分が子育てをしたと思っている。

二十一の頃に引き合わされた小娘様を、ヴァルファムは根気良く育てたのだ。自分の勉強をしたくとも、小娘様は自分の都合でヴァルファムを引き回した。

 なんと涙ぐましい日々か。

「クレオール、私はおまえにも怒っているのだ」

新たな標的を定めたヴァルファムは、口の渇きを癒すようにカップを傾け、かちゃりとソーサーに戻す。

「何故、あの人の外出を許した」

「申し訳ありません」

「何かあったらおまえの首程度ではすまないのだぞ」

「――はい。承知しております」

 杓子定規に謝るだけの執事の受け答えに、ヴァルファムはムッと唇を引き結んだ。

「謝れと言っているのではない。何故、と問うているのだ」

「……奥様が買い物にいかれたいと以前からおっしゃっておりましたので」

「それは私も知っている。だが、それに対して危険だから駄目だと私が言っていたことをおまえは承知しているはずだ」

「今回は私がお供を致しました。当然、あの方に怪我を負わすようなまねは一切させぬ所存でありましたし、このようになったことは……残念です」

 静かに頭を下げる執事の様子に、ヴァルファムは足を組み替えしばらく思案した。

今回ヴァルファムの耳にまで届いたのは、ファティナが自ら靴を投げてスリを捕まえた為だ。警備隊のものが親切にもわざわざヴァルファムの上司に報告し、上司が腹を抱えながらヴァルファムに進言した。これだとて報告がなければ気づくこともない。

 暫く神妙にしているクレオールを見つめていたヴァルファムだが、やがてゆっくりと口を開いた。

「今までばれなかったのだから良いと思ったのだな」

「……申し訳ありません」

 ちっと舌打ちが漏れた。

「役立たずが」

低く恫喝のように言う。

――これまでに幾人かの人間をファティナの遊び相手兼護衛としてつけてきた。だがこれらは全て役立たずだった。

 どれもこれもファティナに懐柔され、彼女の意思を止めることができないのだ。

外に行きたいとさんざ我儘を言い、止めて、止めて、宥めて、すかして、そして最終的に誰もがこっそりとファティナを連れ出した。

 誰をつけようと無駄だということは、すでにヴァルファムも学習済みだ。

相当性質(タチ)が悪い。

 何より、認めたくないが一番ファティナに甘いのは――ヴァルファム自身だった。

「義母うえはどこにいる」

「あのご様子でしたら、中庭の噴水か、もしくは犬小屋の辺りにおられると」

「わかった」

席を立つと、クレオールは多少慌てた。

「もう叱って下さいますな。お叱りでも罰でも、私が変わってお受けいたしますから」

「貴様の首なぞとって何が楽しい?

根本原因はいつだって義母うえなのだから、義母うえにご理解いただかないことにはな」

 低い恫喝にクレオールはただ頭を下げるしかない。

――本来の義母と継子の関係であれば、義母であるファティナがこれほど息子に管理されることはないだろう。だが、彼等は年齢差がありすぎた。

 八つの年の差が、そのまま発言権の差となっているし、夫である男からの扱いの違いがまた彼等の立場を作りせしめている。

 片や、名ばかりの妻であり、片や跡取り息子。

どちらが強いかは誰の目にも明らかなものだ。


そして……――この義理親子の関係はどこか(いびつ)に危ういバランスの上に成り立っていた。

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