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音楽会2

 (はらわた)が煮えくり返る。

という言葉の意味をヴァルファムはかみ締めていた。

自然と靴音も高くなるし、速度も上がる。ゆったりとした音楽が流れるなかで、おまえはどこの戦場を行くのかという勢いのヴァルファムは、二階で愉しそうに笑いあっている義母の姿に、更に腹がたった。

「義母うえ」

ひくく威嚇するように出た言葉に、ファティナは短い悲鳴をあげて――見事にびくんっと軽く跳ねた。

壊れた玩具のように。

「あら、ヴァルファム様」

ファティナやヴァルファムが口を開く前にリルティアは穏やかな口調でそう呼んだ。

「ごきげんよう。官服の礼服でいらっしゃいますか? 良く御似合いですね」

「……リルティア嬢も本日の装いはよく似合っておいでですね。

ですが申し訳ない――今は義母うえに話しがある。いや、話はあとでいい。義母うえ」

 ヴァルファムはにっこりと笑みを浮かべてみせた。

引きつる筋肉を精一杯笑みへとかえる。そういった感じの微笑みだった。

「帰りましょうか?」

「……あの、ヴァルファムさま」

ファティナは義息の怒りが目に見えるのか、怯えた様子で引きつっていた。

「なんですか?」

「か……かえる、のですか?」

「当然ですよね」

「あのですね。今日は……あの、ヴァルファム様にナイショでヴァルファム様の花嫁さまを探す為に、ですね……」

自分の我儘でここにいるのではなくて、義息の為なのだと一生懸命主張しているのだが、相手は相変わらずの笑みを湛えたままだ。


目が笑っていない。

瞳孔が開いているように見える。

激しく怖い。

「それはたいへん嬉しく思いますが、まずは帰りましょうね?」

「……はい」

ファティナは手元でもてあそんでいた扇をぱたりと閉ざし、ちらりとリルティアへと視線を向けたがリルティアも苦笑するしかない。

「ファティ、今度はわたしの家に遊びに来てちょうだい」

「え、あ……」

「義母うえ。早くなさい」

返事をする前にぴしゃりと言われ、ファティナは吐息を落としてリルティアに向き直った。

「セラ兄さまにもよろしくお伝えくださいな」

「それはもちろん」

気をつけてね?

軽くウィンクされたが、もうなんだかイロイロと気をつけようがない事態だった。


***


ほんのちょっとの出来心だったのだが……

「悪いことってできませんわ」

半ば乱暴に馬車に押し込まれ、二頭建ての小型の馬車で身を縮めてファティナはぼやいた。

それにそもそも悪いことという意識は無い。

 ヴァルファムの為に花嫁を探そうと思ったのだ。

たまたま、セラフィレスが音楽会に出るというから、そのような会であれば居る令嬢はさぞ素晴らしい娘さん達に違いないと思って同行を許してもらったのだ。

「あのっ、ヴァルっっっ」

冷ややかな空気を全身に纏い、怒りをためている相手に堪えられなくなり、ファティナは思い切って声をあげたのだが、間が悪かった。

 馬車の車輪が石を跳ね上げたか、それとも乗ったのか――がくんっと車体が大きく動いた。とたんにファティナは力いっぱい舌先を噛んでいた。

「んっっ」

痛い。

尋常でなくいたい。咄嗟に噛んでしまった口元に手を当てる。おそるおそる中指で舌先に触れたファティナは、更に痛むような気さえした。

 赤い血液が白いレースの手袋を染め上げていた。

「何をしているんですかっ」

ヴァルファムが乱暴に声をあげてファティナの手首をつかむ。

「ふぁるふぁむはま……」

「舌を噛んだのですか?」

こくこくとうなずくと、義息は腹の中身をすべて押し出すようにため息を吐き出し、ファティナの(おとがい)に手を掛けた。

「口、あけなさい」

じんじん痛む。

それでも言われたとおりにそっと口をあけると、ヴァルファムが眉間の皺を更にきつくして「舌、出して」と命じる。


おそるおそる舌先を出すと、ヴァルファムは頤に掛けていないほうの手の白手を自分の歯で噛むようにして抜き取ると直手でもってファティナの舌先に触れた。

「少し切っただけですね」

ほっと息をつく。

ひょこりと出した舌先を指先でなぞられて、ファティナは涙目になってしまった。

 あまりにも情けない。

ふと、ヴァルファムの視線がファティナを捕らえた。


「消毒すれば平気ですよ」

舌先の消毒?

それはさぞ苦いものに違いない。

もっと嫌な気持ちになった途端、ヴァルファムの舌がファティナの舌先を舐めた。

慌てて舌を口の中に戻し、ファティナは瞳を瞬いた。

「ヴァル――」

「消毒にならないでしょう? 舌、出しなさい」

「……でも、あのっ」

「舐めればなおりますよ」

きっぱりといわれ、ファティナは蒼白になった。

確かに、子供の頃の些細な怪我を「舐めれば治る」などとリルティアなどは言っていた。

「う、嘘れす」

舌のわずかな痛みで奇妙な音になる。

「私は嘘などついたことはありませんよ」

さくりと返された。

もうそこからして嘘なのだが、ファティナは気づいていない。

それでも相手の行動に違和感を覚えるのか無駄な抵抗で唇を閉ざしているファティナに、ヴァルファムは微笑んだ。

「頑固ですね」


言葉と同時に顎のあたりを掴まれる。ぎゅっと――ヴァルファムとしてはそれほど力をいれたつもりはないが、たやすくファティナの口は開いた。

 もっと硬いものを食べないと顎によくないですよ。などと溜息を吐き出し、ヴァルファムはファティナの口を斜めに塞ぎ――口腔内にたやすく自らの舌を差し入れた。


動力は怒りだった。


自らの知らない場で夜会まがいの場に出向いたファティナへと。

自らの花嫁を見つける為に労力を惜しまない様を。

知らぬ誰かが親しげに……

「ファティ……」

押さえつけて唾液も、酸素も、思考能力さえ全て奪い去り、くったりと胸に抱かれたファティナに、ヴァルファムは小さく囁いた。


そう、呼んだのははじめてだった。

呼んではいけない。

呼ぶ必要はない。


「ファティナ――」

口唇から低くもれる囁きに、腕の中の義母は小さく身じろいだ。

伏せていた瞼が開き、びくりと身を硬くする。

「ヴァル……ファム様?」

「はい」


自然とヴァルファムは口元に笑みを浮かべた。

罵ればいい。

何をするのだと怒鳴ればいい。

ヴァルファムはむしろそう望んだ。

自分と彼女との間に徹底的な溝を作り出し、その溝を更に――

修復不可能なほどに全てを破壊尽くしてしまいたい衝動。

それは暗い喜びにも似てヴァルファムは愉悦に微笑んだ。


ファティナは眉間に皺を刻み、唇を尖らせ、

「わたくし思うのですけどね!」

体勢を整えながら不満そうに言った。

「さっきのは乱暴です! すごい苦しかったですよっ」

「……」

「それに! 舌は舐めなくてもいいんじゃないのかしら? だって、舐めてるようなものだと思うんですよ! 唾液がクスリになるのかしら? だったらやっぱりさっきみたいなのはおかしいのじゃないかしら! だって舌って口の中にあるんですもの! どう思います?」


――(くび)り殺してしまいたい。

切実に。

獰猛な怒りが腹を満たしていく。

無かったことにされるよりも(たち)が悪い。

ぎしりと奥歯が音をさせ、ヴァルファムは必死に自分をおし留めた。


口腔に溜まった唾液をゆっくりと嚥下する。

苦くもないはずだというのに、それは随分と呑みづらく時間が必要だった。


義母へと向けるこの感情は決して愛情ではない。

そう、そんなものではない。

――そんなものは生ぬるい。

かみ締めた口腔に血の味を感じた。

義母の血を。

「ヴァルファムさま?」

怪訝に自分を見ている義母に、ヴァルファムはゆっくりと微笑んだ。

「帰ったら説教です。覚悟なさい」

泣いても縋っても、朝まで無断外出を責め続けられる自信がある。


泣かす。

それが自分にできる唯一の特権であるのならば。

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