おとうと
義母が落ち込んでいる。
それはそれは判りやすい程。
はじめのうちこそ微苦笑で眺めていたものだが、その落ち込みが三日を過ぎるとどういうわけか腹立たしさを覚えてくるから不思議だ。
「もういい加減にしなさい」
大きな白い犬を抱きしめてその体毛に埋もれている義母を庭先で見つけ、ヴァルファムは眉間に皺を刻んだ。
「いつまで考えても仕方がない」
「……でも」
「でもも何もありません。もともとから嫌われていたのは知っていたでしょうに」
きっぱりと言い切ると、ファティナは顔を歪めた。
ことのおこりは数日の休暇がとれたヴァルファムが、避暑をかねてファティナを別宅に連れていったのが原因であった。
何も考えずに父の持つ幾つかの別宅の一つを訪れた。
そこに先客がいるとは思っていなかったのだ。
父の別宅、別荘で誰かに遭遇する確率がないわけではなかった。忘れがちだが、自分にはもう一人家族がいたのだ。
エイリク、また随分と年の離れた腹違いの弟。
――年齢を認識したのは実ははじめてだったのだが、いつの間に大きくなっていたのか八つになっていた。
そしてその顔つきときたらヴァルファムに良く似ていた。
ヴァルファムが父親に似ているといわれるのだから、つまりこの顔も父に似ているのだろう。
そんな相手を見てファティナがどうするか?
――抱きついたのである。
「まぁ、お可愛らしいっ」
ぎゅむりと。
そして激しく抵抗され、また拒絶された。
そうして作成されたのが現在のファティナという――実に阿呆らしいことだ。
「あんなに可愛らしいのに」
ほぅっと溜息を吐き出すファティナを眺め、ヴァルファムは腕を組んだ。
八つの子供はきっと子ども扱いもイヤだったことだろう。子供の癖に。ファティナにもそういう傾向がある。
愚かな子供だというのに、そのように扱われると途端にへそを曲げるのだ。
ならば生意気ざかりの八つのチビは、同じように反発するのは定石。
――それ以上に憎しみすら持つような冷たい眼差しでファティナを睨んでいた。
それはそれは実に面白いほど。
「嫌われていたのは承知していたでしょう? そんなことで一々落ち込まないで下さい」
「……いいですわよね、ヴァルファム様は」
ぎゅっと犬の首を抱いたままの小娘様は唇を尖らせてヴァルファムを見上げた。
「エイリク様にとっても好かれておいででしたもの」
そう、何故かあの弟ときたらヴァルファムにはまとわりついてきた。尾の生えた犬のように。
ぶんぶんと尾をふり、瞳をきらきらとさせて。
「兄さま!」
と……
――ああいうのを見るとむしろ気持ちが悪い。
妹達にもいえることであったが、何故彼等は無条件で兄というイキモノをあれだけ慕えるのか判らない。
少なくとも、ヴァルファムにとって妹や弟に対して砕くような心は無い。
嘆息を落とし、肩をすくめた。
「そんなにエイリクに好かれたいですか?」
「あたりまえです。だってあんなに可愛いのに!」
――可愛かっただろうか?
ヴァルファムは眉間に皺を寄せて考えてみた。
エイリクの造作は自分と似ている。おそらく、自分も八つ程度であればあんな感じだっただろう。色素の薄い金髪。意思の強い眼差し。憎しみを憎しみのままに叩きつける傲慢さ。
好きか嫌いかしか持たず、中間も知らぬ計略というものを持たぬ愚かさ。
捻り潰してやりたくなるかわいげのなさだ。
「可愛かったですか?」
思わず尋ねてしまった。
「可愛いじゃありませんか! 旦那様にそっくりで」
「……あなたの感覚を信用してはいけないということを忘れていました」
「なんですか、それ!」
ファティナが声をあげて怒り出したが、ヴァルファムはふと違うことに気づいた。
「私は?」
「はい?」
「あなたにとってこの継子はかわいい存在なのですかね?」
ファティナは益々眉間に皺を深め、
「ヴァルファム様は素敵だと思います」
と嬉しいことを言ってくれたが、
「でも、口は悪いですし時々とっても意地悪だし、ちっとも可愛くはありません」
――言い切った。
「あ、でも……旦那様に似ているところは高ポイントです」
しかも絶対にいやなことを言う。
あの父親に自分が似ている?
「旦那様とヴァルファム様とエイリク様を並べたらきっとすばらしいですわ」
うっとりというファティナはまったく理解できない物体だった。
父と自分と弟を並べる?
なんというおぞましい光景だろう。吐き気すらしそうだ。
――心底気持ちが悪い。
「エイリク様も一緒に暮らせたらきっと愉しいでしょうに」
「……ですからあなたは相当嫌われていますよ」
うっとりという義母に溜息交じりに言えば、途端に口を尖らせた。
「仲良くする自信はあります! 仲良くする機会がないだけです」
「まぁ、楽観主義なあなたらしい解答ですね。何度も言いますけれど、エイリクのことに関しては父の考えです。私にも、そしてあなたにもどうにかなるものではありませんよ」
どうにかなるとしても絶対にどうにかする気は無いが。
ファティナはぱふりと犬の頭に自分の顔をうずめて、
「子供が欲しいですわー」
と呑気に言う。
そのへんで拾ってきそうでいやな言い方だ。
と、ぱっと義母は顔をあげた。満面の笑みで。
「ヴァルファム様!」
「……なんでしょう」
聞きたくない。
絶対にろくでもないことを考えている顔をしている。
「ヴァルファム様は二十三歳におなりですわね」
「そうですね」
「結婚なさったらいかがでしょう」
ほら、この義母ときたら突然こんな突飛なことを言い出す。
「私が、ですか?」
「はい! 男性としては少し早いかもしれませんけれど。若い父親が珍しいわけではありませんでしょう? 結婚して下さい」
――結婚して下さい。
激しくむかつく。
自分に結婚をすすめるこの義母の理由は実に単純だ。子供が欲しい。ただそれだけ。
継子の顔が引きつっているだろうに、犬に張り付いたままのこの小娘様は自分の考えがさも良いことのように思うのか、物凄く愉しそうに続ける。
「お相手の方はどなたかいらっしゃいます?
ああ、わたくしときたら迂闊でした。ヴァルファム様、どなたか想う方はいらっしゃらないのですか?」
「思い出して欲しいのですがね」
ヴァルファムは口元に緩く笑みを浮かべ、義母をねめつけた。
「私の休暇日は決まってどこかの誰かさんがやれどこそこに連れていけだのと騒ぐ為にすべて潰されておりまして、女性と遊んでいる暇などないのですが」
「まぁ! ヴァルファム様ってばふがいのない」
――ふがいのない?
「女性との出会いは自ら時間を作り出すものです」
川にでも落としていいのか、この小娘様は。
ちらりと視線が庭の片隅にある小川に向けられる。だがあれはただの水路であって深さがない。落としたら最後濡れるだけではすまないので辞めておく。
「きっとわたくしが素敵な花嫁さまを見つけてさしあげますわ」
「……もう好きにして下さい」
結婚することに異議は無い。
自分は家の跡取りとしてそれに見合った相手と姻戚を結び子を作る。
子供さえできてしまえば、妻は本邸にでも別宅にでも好きなところで暮らせばいい。結婚したところでこの生活は何も変わらない。
――義母は間抜けにそこにいて、自分はその傍らで職務をこなすのだろう。
何があろうと変わらない。
自分と彼女の関係が義母であり、継子である限り。
この当時はそう思っていた。
父が何を考えているのか、ヴァルファムは少しも考えてなどいなかったのだ。