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恋愛と結婚

「莫迦ね、ファティ」

その声は鳥の声すら思わせる愛らしさで言った。

「恋愛というのは結婚した後にするのよ。幸いあなたの家にはすでに跡取りがいるのだもの。あなたがこの家の子供を産む必要なんてないわ。

一度夫に抱かれてしまえば、その後は恋愛なんてし放題よ!」


小鳥のように愛らしい声でファティナにそう言うのは、リール。

リルティアというファティナの幼馴染だという少女だった。

 帰宅し、居間へと入ろうとしたところでヴァルファムは足を止めた。

実に愛らしい声が――鈍器のようにヴァルファムの頭を殴りつけ、その足を止めさせた。

ちらりと一歩後ろにいるクレオールへと視線が走る。

 もしや何かの聞き間違いかとも思ったのだが、どうやらヴァルファムの聞いた言葉に誤りはないようだ。

――クレオールの眉間にもくっきりと皺がある。

 貴族の間では当然といわれる悪しき因習。確かに、ヴァルファムもそれを否定するつもりは無い。おそらく将来的に自分の妻となった女性もそうなることは予測しているし、それで構わないと思っている。

 妻には早々に跡継ぎを産んでもらい、あとは遠い場所で一生を終えてくれれば世はコトもなし。これ以上やっかいなものを抱える気は無い。

彼女が産み落とす二人目三人目の肌や瞳、髪の色がどんなものであろうと自分はまったく気にしない。

 だが、ファティナにそうされるのは問題だ。

――この屋敷は託児所ではない。

まぁ、話の大前提である夫との関係などファティナには持ちようがないのだが。

 思わず憤りのままに居間の扉を開きかけたが、それを止めたのはファティナの声だった。

「わたくし、ちゃんと恋愛はしておりますよ?」

 衝撃である。

いつもの呑気な口調で、ファティナの声が響く。

「まぁ、素敵! どんな方っ」

もう一人の愛らしい声が言えば、ファティナはふふっという含み笑いが聞こえた。

「勿論旦那様に」

――冷水ではなく生ぬるい湯をかけられた気がした。

くるりと身を翻す。

扉を開く気にはもう到底なれない。ここからはじまるのはファティナの――謎の妄想だ。


愛している夫の話を延々とするのだろう。

優しく、逞しく、素晴らしい男の話を。

――ただし、ヴァルファムはそんな男を父に持った覚えは無い。

あの小娘様の思考回路はいったいどうなっているのだろうか。どこかの組織が壊疽しているのではないかと本気で心配になってくる。ならばむしろ他の男に恋心でも抱いてくれたほうが……

「駄目か」

 ぼそりと呟き、ヴァルファムは額に手を当てた。


「若様、本日届いた目録でございます」

私室の居間に落ち着いたヴァルファムの前に幾つもの手紙と目録とがおかれる。

その中で幅を利かせているのは、どこぞの令嬢との――いわゆる見合い話ばかり。

それをうんざりと見ながら、ヴァルファムは軽く手を払った。

「燃やしてしまえ」

「しかし若様」

「――さらに嫁姑戦争などされてはたまらん」

 ファティナを前に自分の妻となる女はどんな顔をするであろうか。

想像するとうんざりとする。

「奥様でしたらきっと仲良くなさって下さいますよ」

クレオールの言葉に口の端が引きつる。

 ファティナであればおそらくヴァルファムの妻となった女にも「仲良くして下さいね」と笑顔を浮かべることだろう。

――しかし、相手の女はそれを受けてどのように振舞うであろうか。

「こちらこそ!」

 と、二人でニコニコしている様子を想像したら胃がキシリと傷む気がした。

「――」

むっつりと押し黙り、ファティナを冷たく見つめるほうが実にありそうだ。

 その場合、自分は確実に妻よりもファティナを庇わなければならないだろう。

ファティナが嫁をいびるのは想像できないが、嫁にいびられて寝台で泣いているのは容易く想像できる。

――その時はきっとクレオールがファティナの頭を撫でている。確実だ。

「……そんなのはごめんだ」

楽しい未来を想像することはできそうになかった。

やがて私室で本を読んでいると、友人が帰宅したであろうファティナが無遠慮に来訪した。

「ヴァルファムさま、お帰りでいらしたのならお声をかけてくださればよろしかったのに」

「私は一人で楽しんでおりましたからお気になさらず」

「まぁ、せっかくリールが来ていたのですよ?

リールもヴァルファム様にお会いしたいとおっしゃってました」

――できれば二度と会いたくない。

 ヴァルファムは嘆息し、こちらの許しもなく反対側の席に座る義母の姿に瞳を眇めた。

「リールはヴァルファム様にお似合いですよ」

にこにこという。

――第一子出産後浮気確定の妻というわけだ。

別にいいが。

「義母うえ」

「なんでしょう」

 小首をかしげる義母の姿に、「友達は選びましょう」と口を開きかけて辞めた。

口火を切ったが最後、自らの立ち聞きも全て暴露してしまいそうだ。それになにより、ファティナは友人の思想に染まりそうにない。

「ヴァルファム様?」

話題を転化させようと思案したものの、適当な言葉が出てこない。

「私が――」

「はい?」

「結婚することについてどう思われます?」

 よりによってコレか。

口から出た話題に自分で吐き気がする。


ファティナは一瞬驚いた様子で瞳をまたたいたが、すぐにぱっと嬉しそうに笑みを浮かべた。

「まぁ、素敵ですわ!

どちらの方でしょう? ああ、でも心配ですわ。わたくし花嫁さまと仲良くできますでしょうか?」

「……」

「嫁姑戦争は永遠の課題ですわよ」

 実に楽しそうだ。

「姑と花嫁の間には長い長い戦いの歴史があるのですって!

著名なニーナ・ロッヒもそれはそれはどろどろの嫁姑戦争を題材にした本を出していらっしゃるのよ」

――何の本を読んでいる。

 ほんとうに楽しそうに言う義母にうんざりとしてしまう。

ヴァルファムは義母を無視してもともと読んでいた本に視線を落とした。

「ヴァルファム様?」

「まだ結婚はしませんよ。今だって私は子育てに忙しいんです。まったく冗談ではありませんね」

「……子育てって、もしかしてわたくしのことですか?」

「おや珍しく察しがよろしいですね」

「わたくしはあなたの義母ですよ!」

 キィっと怒り出した小娘様に溜息を吐き出し、ヴァルファムは暗い感情がちらりと過ぎったことに苦笑した。

――少しは動揺して欲しいなんて、莫迦らしい。

いや、どうやら多少は動揺、というか悩んだようだ。まったく望んだものではないが。


「義母うえ」

「なんです!」

「親子二人ではご不満ですか?」

「……不満はありません。けれど」

けれど、と続けられそうな単語がいやでも理解できるから、ヴァルファムは言葉を遮った。

「義母うえ、夕方ではありますが犬の散歩でも行きましょうか」

けれど――続く言葉など必要がない。



この愚かな小娘様は判っていないのだ。

あなたが愛していると思い込んでいるあの男が実際に隣にいた時――あなたの幸せなど崩壊してしまうに違いないというのに。

無邪気に笑うその顔を思い切り歪ませて泣き顔にしてやりたくなるのは、きっと彼女があんまり愚かで腹立たしいからだ。


――時々腹の底に淀むどろりとしたこの感情は、憎しみに良く似ている……

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