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水遊び

庭には小さな小川が作られている。

噴水から流れる水を利用してそのまま水路になっていて、天気の良い日はファティナは良くそこで足を水に浸したりして楽しんでいるのだが。

――最近その小川を埋め立ててしまおうかという気持ちがするのは、見ていて不愉快だからだろう。

「まったく、いつまでも子供だ」



三階の窓からファティナを見つけた。

確か今の時間は算学を習うのではなかっただろうか?

という気持ちと同時、ファティナと犬が戯れている近くにその為の教鞭を取るものを確認できた。

新しく雇い入れた講師は、珍しい女性講師だ。

「何をしているんだ」

「下に敷いてある白石を使っての講義ですよ」

なかば独り言だったのだが、背後のクレオールが応える。

「……遊んでいるようにしか見えない」

確かに良く見れば、小川の底に敷き詰められている玉砂利を幾つか手に取り、それを相手に見せてはまた小川にほうったりとしている。

――というか遊びいがいのなにものでもない。

十四歳のすることか?

足が濡れているじゃないか。簡易的で質素なドレスにわざわざ着替えているようだが、その裾も濡れている。

 パールと名づけた白い犬が、主の動きに合わせてまとわりついている。

「ファティナ様は算学が苦手ですから、おそらく講師にムリを言ったのでしょう」

「――甘い」

まったく誰も彼もあの小娘様には甘すぎる。

ぶつぶつという言葉には返事が無い。

背後で控えるクレオールにも自覚があるに違いないのだ。

窓から離れて自らの執務机の上にある手紙を手にする。

 父から送られてくる定期便には、最近ファティナのことも時折混じるようになっていた。

曰く、学業を与えるように。

曰く、乗馬を習わせるように。

まったくあの父親が何を考えているのかは少しも理解できない。淑女であれば裁縫やお茶の作法を習うのは当たり前としても、学業などは実はあまり必要が無い。

 女性の識字率だとてこの国では低いくらいだ。

そのてんファティナは本を読みたいと熱望し、今では文字をあやつることも可能になった。

――随分とへたくそな文字で、時々自分の机の上に置かれている手紙には辟易とさせられるのだが。


曰く、庭の奥でうさぎを見つけただの、市場の焼き林檎が食べたいだの。

たかがそんな文字を読解するのにも苦労する。挙句返事を書かなければならないのだから面倒くさい。

「義母うえの明日の予定は?」

「明日は――」

 クレオールは絶句したように言葉を止めた。なんだ、と一旦部屋の中へと戻していた視線をクレオール同様中庭へと向ければ、小川の中で座り込み笑っている小娘様がいた。

――犬に飛び掛かられ、そのまま尻餅をついたのだと容易く想像がつく。

「ファティッ」

クレオールが咄嗟にそう小さく呟いた言葉と同時、ヴァルファムは大股で一歩クレオールに近づき、相手の襟首を締め上げていた。

「――奥様、だ」

「若……さま」

「確かにお前は名前を呼んでいたな。

これからは他の使用人同様、義母うえのことは奥様と言え」

静かに告げ、クレオールから手を離す。

まったく、使用人の躾までしなければいけないとは頭が痛いにも程がある。

女主人を容易く愛称で呼ぶような使用人など良くない。クビにしてやりたいが、クレオールへの権限があるのは自分ではなく父だ。

 身を(ひるがえ)して階下へとおり、廊下の窓を開け放ち窓枠に手を掛けて中庭へとおりた。講師が慌てた様子でファティナを引き起こしているのだが、ファティナは濡れてしまえば一緒とでも思うのか、楽しそうに笑っている。

「義母うえ!」

声を張り上げると、講師は驚いた様子で身を引き頭を下げた。

「申し訳ありませんっ」

「――あなたは彼女の講師として不向きのようだ。明日からは来なくていい」

「ちょっ、ヴァルファム様っ」

ファティナが慌てて水の中から立ち上がろうとするのだがうまくいかずにわたわたとしている。

 そんなファティナのもとへ行き、背中と膝の下に手を入れてそのまま引き上げる。

ファティナを濡らす水が、自らの衣類へも容易(たやす)く浸透し濡らしていく。

「お怪我はありませんか?」

「それより!  メアリ女史が悪いのではありません。わたくしがムリを言ったのです。解雇なんてなさらないで」

「そうです。あなたがムリを言ったのでしょう。

自分のムリや我儘がまわりにどれだけ弊害があるか、どうぞ少しはお考え下さい」

静かに言いながら、息をつく。

 ちらりと視線を恐縮している女性講師へと向ければ、身の置き所がないという風情で小さく震えていた。

「……解雇は取り消します。

あなたは珍しい女性の講師だ。義母うえとも仲がよいようだ。ですが、今後は義母の我儘に付き合ってこのような真似は控えて下さい。怪我でもさせていたらただでは済ましてさしあげられない」

「申し訳ありません」

 萎縮している女を無視し、ヴァルファムはそのままファティナを抱いた状態で歩き出す。

まったく、気づくのが遅い女中達がわたわたとあらわれてタオルを差し出してくる。

「もぅっ、おろしてください!

わたくし怪我などしておりませんからっ。ちゃんと歩けますっ」

「少しは反省なさい。おろしたが最後説教を恐れて逃げられてはかなわない」

「っっお説教なさるの?」

腕の中のファティナが身を硬くして翡翠の瞳でみあげてくる。

ファティナを濡らした水が自らの体をまでも濡らしていくのに、彼女の子供特有の高い体温がまるきり直に触れるように熱く届いていた。

「……その前に風呂を使って体を温めて、着替えなさい。怪我はなくとも風邪をひく」

ほんの少しだけほっと息をつき、ファティナが笑う。

それはそれは無邪気に。

「ヴァルファム様もびしょぬれですわ」

「誰のせいですか」

「えっと……一緒に御風呂入ります?」

足と一緒に心臓が止まりそうになった。

凝視すれば、ファティナはクスクスと楽しそうに微笑む。

「冗談です」

「――」

 にっこりと自分も笑った。


――風呂に叩き落としてやろう。

やたらと凶暴な気持ちになるのは、小娘様がいつまでも子供だからに違いない。


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