王子の婚約者(仮)
次に目が覚めたら、お兄様がいてくれたのだった。
「目が覚めたんだね、僕が誰だかわかるかい?」
お兄様は悪戯っぽく微笑み、優しく話しかけて下さった。
「お兄様、居てくださったのですね・・・私、とてもとても怖い夢を見ましたの」
アバスチンとか言う王子の許婚になるという悪夢です。
「あんなにも怖い目にあったのだから、そんな悪夢を見るのも当然だよ」
お兄様は体を起こそうとしている私の側に来て、支えて下さった。
「本当に怖かったのです・・・」
そう言ってお兄様にひしっと抱きついたのだった。
「リリカ・・・・・・ここにはアバスチン様もいらしているんだ」
そう言ってお兄様は私の腕から体を抜いたのであった。
「兄妹とはいえ、俺の前で抱き合うのはちょっと遠慮してほしいかな」
そこには苦笑いを浮かべた、憎っくきアバスチンがいたのであった。
「申し訳ありません」とお兄様は謝った。
お兄様に頭を下げさせるなんてと、リリカは険しい顔をしてアバスチンを睨んだ。
「彼女と少し話してみたいんだ。テオドールは席を外してくれるかい?」
「わかりました・・・・・・ですが婚約したとはいえ、まだ公にはなっておりません」
心配そうにしているお兄様に、王子はにこやかに答えた。
「分かっているよ、テオドール。ほんの少し話をするだけだから」
王子はお兄様を安心させるように言ったのだった。
リリカは咄嗟に顔を伏せて、王子と二人きりのこの状況をどうやって乗り越えようかと思案した。
先程のお兄様との会話から婚約の話は悪夢ではなく、どうやら本当のことらしい。
ここは王子に嫌われて何とか白紙に戻したい。
泣いていると思われたようで、心配そうに声をかけてきたのだった。
「大丈夫ですか?」
「王子様と婚約してしまうと、お兄様に甘えることもできなくなってしまうのですね・・・」
「普通、年頃の兄妹は抱き合ったりはしない。君たちがおかしいんだよ」
「まあ、そうなんですの・・・でも我が家ではこれが普通でしたから。今更、変えることができるかしら・・・」
リリカは態とらしくそう言ってやった。
「『できるかしら』じゃなくて、意識を変えるんだよ!」
王子は急に強い口調になった。
リリカは眉間にしわを寄せ、王子を怪訝そう見たのだった。
「そんなに怖い顔で睨まないでくれよ。素が出ているぞ! お前、テオドールが好きなんだろ?」
お構いなしのド直球に、リリカはすぐには反応できなかった。
ただただ、閉口してしまったのだった。
「やっぱりそうか・・・それは残念だったな」
その一言でリリカは本当に涙が溢れ出てきた。
これが現実だ。
私は負けたのだ・・・
お兄様の婚約を阻止することには抜かりなかったが、自身の婚約の事など考えていなかった。
許婚ができてしまったら、今までのようにお兄様とも親しくできない。
しかも相手がこの男なので、こちらに拒否権はない。
あのおばあ様が認めてしまったのなら、もう従うしかないのだ。
悔しさの余り、グッと唇を深く噛み込んだ。
口の中に血の味が広がっていく。
「その辺にしておけ、血が出ているぞ!」
王子は身を屈めて、顔を覗き込んで来た。
「知っているならどうして私を婚約者にしたのよ!お兄様と結婚できないなら生きてる意味なんてない!!」
リリカは取り乱し、今までの思いの丈を思いっきりぶつけたのだった。
コンコンと音がして「どうかされましたか?」とお兄様の声が聞こえたのだった。
私たち(特に私ね)のことが心配だったようで扉の外で待機してくれていたようだ。
「ちょっと、落ち着けよ。テオドールに聞こえてしまうだろう」
リリカはお兄様の声が聞こえた途端に、取り乱した声を聞かれてはいけないと黙りこんだ。
「安心しろ、お前との婚約は俺がこの王立学院を卒業するまでだ」
「どういうことですの?!」
「俺とテグレナールの姫との婚約が無くなった。このことが知れたら学院内の女達が騒がしくなるだろう。俺はそういう煩わしいことに振り回されるのが嫌なだけだ。残されたあと2年半の学生生活の邪魔をされたくないだけなんだ」
「それはあなたの事情でしょう。どうしてそんなくっだらないことの為に、この私が犠牲にならなくちゃいけませんの」
「・・・・・・冷たいな〜。俺が好き勝手できるのはこの学院にいるだけなんだぞ。可哀想だとは思わないか?」
「はあ?? 可哀想なのは私のほうですわ!!お兄様と結婚することだけを夢見て、この10年以上の間、1分1秒も無駄にせず努力を惜しまなかったのよ。あなたのせいで私の計画は丸つぶれですのよ!!」
「俺はこの学校を出たら、この先もずっと国民の目にさらされ、王子としてふさわしい振る舞いを強いられ、自由に外を歩き回ることもできずに、好きな人とも結ばれることもできずに、死ぬまでこの王宮で窮屈な暮らしをしなくちゃいけないんだぞ!」
「自分が雁字搦めだからって、私の人生までむちゃくちゃにしていいわけがないでしょうが!!!」
全く、『俺の方が大変なんだぞ』アピール止めろよ!
気持ちはわかるけど、こっちだってあなたの自由のために婚約させられて、しかも卒業したら婚約破棄されるんだからね!
まるで私に大きな問題があるみたいじゃない。
きっとそうなれば、傷物か腫れ物みたいな扱いに・・・
って、ちょっと待てよ・・・
王子に婚約破棄された女なんて、誰も結婚したがらないよね。
『ここはひとつ、血縁者とくっ付けて醜聞を丸く収めよう』ってなるんじゃない!?
あれっ、何かいけそうな気がしてきたぞ!
悪いのは全てこの男の責任にして、悲劇の女を演じて、おばあ様を泣き落としにかかれば、世間体を気にして渋々ながらお兄様との結婚を承諾してくれそうじゃない!?
おっと、希望の光が差し込んできたわ・・・・
押し黙ったリリカに、また泣かれたら困ると王子は思ったようだ。
「大体、お前んとこのばーさんが欲をかくから、こうなったんだからな!」
こうしておばあ様の強欲話を、王子の口から洗いざらい聞くことになったのだった。
「伯爵家を脅すなど前代未聞だし、テオドールやお前たちの両親は見ていて可哀想になるぐらいに『どうしよう、どうしよう』とおろおろしていたんだ。
それで仕方なく助け舟を出してやったんだからな!」
勝算が見えてきたリリカは、落ち着きを取り戻していた。
「まあ、それはそれは・・・家のものが大変ご迷惑をおかけしました。アバスチン様のご慈悲に感謝致します」
「ふん、取り繕わなくても、もうお前の本性はわかっているからな!」
リリカとて地のままで会話したいところだが、この王子はお兄様と仲が良いのだ。
いつリリカのことをバラされるとも限らないので、そんなリスキーなことはしたくはない。
「申し訳ありません。先程は取り乱してしまいアバスチン様に大変失礼なことを申し上げてしまいましたわ」
長年、被り続けた猫をそうそう簡単に手放すわけにはいかない。
「レミケードはお前がグーパンでガラスを割ったと証言していたぞ」
「まさか・・・王子様はあんな男の言うことを信じていらっしゃいますの?!」
リリカは『おめー正気か?』というような顔をした。
学院内の問題児の戯言なんて誰も信じないと思っているのだ。
「テオドールは近くにあった鉢でも投げて、ガラスを割ったのだろうと言っていた。俺は気になって温室の外にそれらしい物が落ちているかと探しに行ったが、なにも落ちていなかったんだ」
王子は顔色を伺うようにこちらを見た。
自ら証拠を探しに行くなんて、意外にも冷静で行動派なんだなと感心する。
「あの時のことは気が動転していてあまりよく覚えていませんの」
ここはすっとぼけておくとしよう。
「それにその手、拳面と呼ばれる第二関節から拳の一番高いところを中心にガラス片が入っていたと医師が話していた・・・・・・お前が手で割ったとしか考えられん!正直に答えろ!」
これ以上、逆らっても仕方なさそうだ。
「あの時は恐ろしくて、私も必死だったのです。王子様の仰った通りに私がやったのかも知れませんわね」
深窓の令嬢と誉れ高いリリカが正拳突きで割った証拠は何もないのだ。
お兄様に変なことを吹聴されないように、そして将来、お兄様と結ばれるために、ここは一つ王子の要望を受け入れておくとしてやるか。
こうして何の因果か、リリカはアバスチン王子の婚約者(仮)に仕立て上げられたのだった。