天国と地獄
話を聞くために、みんなはどこかに連れて行かれた。
怪我をしているリリカには、お兄様が医務室まで付き添って下さったのだった。
医師は傷を見るなり「これは大変だ!!すぐに手術の準備をします」と足早に出て行ってしまった。
そうしてお兄様と二人きりになったのだった。
「こんなにも血が出てしまって・・・美しい手に傷痕が残ったらどうしよう」
リリカの怪我を心の底から心配してくれていた。
「かわいそうに、とても痛かっただろう」
お兄様は傅つき、怪我をしている方の手をそっと取ったのだった。
それはまるで物語の中の美しい求婚の場面のようで、リリカの心を揺さぶった。
こんなにも心配してもらっているという優越感は、どんな麻酔よりも痛みを和らげていた。
「お兄様にまで心労をおかけして、申し訳ありません」
リリカは塩らしい言葉を口にする。
助けに来ていただいたのは嬉しいけれど、迷惑をお掛けしたという罪悪感もあった。
お兄様は小さく首を振った。
「それよりもこんな無茶をしてはダメだよ。どうしてお友達のアイリーアさん?が戻ってくるまで、待っててくれなかったんだい?」
温室のことは十中八九、罠だとわかっていた。
だからアイリーアに「お兄様のところへ行って温室に来るよう手紙を出したか、確認してきて下さらない?」と耳打ちしたのだった。
頭の良いお兄様なら何かおかしいなと、すぐに温室まで来てくださると思っていた。
でも、こんなにも自分にとって都合の良い展開になるとは想像もしてなかった。
「私が浅はかでしたわ。でもお兄様をお待たせしてはいけないと思ったのです」
「そんな、待つぐらいどうってことないのに・・・リリカは相変わらず真面目だな」
そう言って、私の頭をポンポンと優しく撫でられたのだ!!!
『きゃー、お兄様ったら!!
私の頭はお兄様に撫でられる為に備わっているのです。さあ、もう一回!』
このようにお兄様とのふれあいのお陰で交感神経が興奮していて、怪我人とは思えないぐらいに気分が高揚していたのであった。
今から思えばあの日が、私の最高潮だったわ・・・
お兄様が颯爽と助けに来てくれてからの、熱い抱擁、充実した二人きりの時間。
あの日、あの時お兄様の頭の中は100%私のことで一杯だった。
私とお兄様が絶対的主人公で、後の人は全て引き立て役であった。
あのバカ姉弟にも感謝している。
『私とお兄様の最高の1ページを演出してくれてありがとう!』
なのに・・・なのに・・・
どうして既定路線からズレて行ったのだろう・・・
手術を終え、目が覚めると強烈な痛みが右手にあった。
傷口のところを、ぐっちゃぐっちゃと直に触られているような激痛。
「リリカ、大丈夫かい?」
お兄様の顔を見られて一瞬、喜んだが、手の痛みが『俺のこと忘れんなよ!』とばかりに前面に出てくる。
「ええ・・・まあ」
心配をお掛けしてはいけないと思うが、気の利いた言葉は何も浮かんでこない。
「目が覚めたのなら、僕はアバスチン様に事情を説明しに行ってくるよ」
お兄様が退出してしまうと、私は苦痛に顔を歪め、ほどなく熱が出始めたのであった。
その後は大変だったそうだ。
すぐにリリカの実家のミカルディス公爵家と、事件を起こしたレミケード伯爵家に連絡が行ったそうだ。
事情を聞いたおばあ様は、怒髪天を衝く勢いで、学校に乗り込んで来たらしい。
レミケード伯爵家は家族総出で何度も何度も平謝りさせられたそうだ。
さすがに爵位の降格は免れたそうだが、問題を起こした娘は停学、息子は退学に追い込まれたそうだ。
その上、慰謝料と称して多額の金額を請求したらしい。
「孫が怖い目にあった挙げ句に、傷物になったのだから当たり前だ!!」
おばあ様は、それはすごい剣幕だったらしい。
「ああ、もう孫には恵まれた良縁もこないだろう・・・」
「あんなにも目立つところ傷を負ってしまって・・・悲惨な人生を歩むに違いない・・・」
被害者であることを盾に、伯爵家が持っている生糸の事業権利書まで奪おうとしたらしいから、本当に味方だと心強いけど、敵に回すとおっかない人だよ。
このままでは伯爵家は破産するんじゃないかというところまで、追い込んだそうだ。
「では彼女に良い縁談があれば、権利書は諦めて下さいますか?」
おばあ様にそう持ちかけたのはアバスチン王子であった。
「ええ、それなら諦めますけど・・・みっともない傷のある者を受け入れて下さるような寛大な方がいらっしゃるかどうか・・・」
おばあ様は『リリカの行く末が心配だ』とばかりに、溜め息をついたそうだ。
その実、身分の高いリリカに見合う男などそうそういないことを分かっていて、おばあ様も応戦しているのだ。
もうすぐ権利書に手が届くと王手をかけたつもりだったのだろう。
「でしたら、僕がリリカ様の婚約相手ではどうでしょうか?」
王子のまさか一言に、おばあ様も飲んでいたお茶にむせたそうだ。
「お、王子様の婚約者ですって?!」
そう言いながらも満更悪い話ではないか・・・とちゃっかり計算は忘れない。
「確か、アバスチン様はテグレナール国の姫と婚約されていらっしゃいませんでしたか?」
「それが残念ながら、どうやら白紙になりそうなのです。
僕はテオドールと親密ですから、いつもリリカ嬢のことを聞いていたのです。勝手にリリカ様のことも旧知の仲のように思っていましてね。彼女のような方が婚約者になって頂けたら嬉しいことです。無論、僕では役不足だと仰るのでしたら辞退致しますが」
「役不足だなんて・・・そんな恐れ多いことでございますわ。このお話、謹んでお受けいたします」
おばあ様は慇懃にそう言ったそうだ。
私が熱を出して唸っている間に、着実に外堀を埋められていたのであった。
そしてこの経緯を、私が誰から聞いたかということが問題なのだ!!!
お見舞いに来てくれた両親から聞いたのではない。
二人は「「ああ、可哀想に・・・痛かっただろう」」とただただ、リリカの体を心配してくれていた。
その隣で、おばあ様は包帯を取らせて傷口を確認したら「よし、この程度ならそう目立たなそうだな・・・」と呟いたのだった。
「アバスチン王子との婚約を取り付けました。これからは王子の婚約者であることを常に自覚し、ふさわしい振る舞いで過ごしなさい!」
それだけ言うと、スキップしながらさっさと帰って行ったのだった。
唖然とする私の横で両親は「良かったわね、おめでとう」「災い転じて福となすだな」と喜んでいるのである!!!
『ちょちょちょちょーい、どういうことなの?!
温室であの王子がほざいていたことが本当のことになってるじゃないの!』
驚きの余り、口をパクパクさせていたら、具合が悪くなったと思われたのだった。
すぐに医者に注射をブスーっと打たれて、何の情報も聞き出せないまま、リリカは再び眠ってしまったのだった。