安い罠
その日は朝から、どんよりとしていた。
なかなか降り出さない雨のせいで、午前中からずっと頭が痛かったのだった。
お昼はいつものようにアイリーアと食事をしていた。
そうしたら、またも懲りずにカロナールが現れたのだった。
「はぁ〜・・・何かご用かしら?」
頭痛のせいでいつもよりイライラしていた。
「廊下にこのような物が落ちていたので、届けに参りましたの」
そう言って差し出されたのは手紙だった。
表には『リリカへ』と書かれてある。
裏返すとそこにはお兄様の名前があったのだった。
すぐに開けて中を確認する。
『話があるので昼休みに中庭の温室に来て欲しい』
と書かれてあった。
「お兄様から温室に呼び出されましたわ」
二人にそう報告し、手紙を元に戻すと、再びスプーンを取り食事を続ける。
「のんびり食事なさっていてもよろしいの?」
「だって、これ日付がないですもの。後でお兄様に確認してみますわ」
「つ、ついさっき拾ったのですわよ。勿論、今日なのではありませんか?」
カロナールはそこに行かせたいからか、必死のようだ。
リリカは面白くなってついついからかってやりたくなった。
「食事が済んで、時間があれば行くことにしますわ」
「そ、そ、そーいう態度は失礼なのではございませんこと。
お兄様とはいえ目上の方なのですから、すぐに行くべきではございませんか?」
「まあ、それもそうですわね」
確かに可能性が 1%でもあるのなら、お兄様をお待たせするわけにはいかない。
「そうです、そうです。さあ、お兄様が温室でお待ちですよ」
そう言って彼女は召使いのように椅子の背を引いたのだった。
立ち上がったリリカはアイリーアにヒソヒソと内緒話をした。
怪訝そうな顔でカロナールはその様子を見ていた。
「じゃあアイリーア、科学のアレロック先生に伝言をお願いします。カロナール様、お手紙をありがとう」
本当に私が温室へ向かうのか不安だったようで、ご丁寧にお見送りまでしてくれたのだった。
外はとうとう雨が降り出していた。
こんな雨の中を温室まで行くのは本当に面倒だが、あの目障りな女を懲らしめる為には相手の作戦に乗るしかない。
もしも、もしも、万が一にも、本当にお兄様からの呼び出しだったらどうしましょうと、リリカの足取りは心持ち軽くなるのだった。
初めて訪れた温室は全面ガラス張りの立派なものだ。
王立学院は国の研究機関も兼ねているので、植物学や薬学の先生方がここを使用されているのだ。
色んな樹木や草花も何かの目的のために植えられていて、生徒がここを訪れることはあまりない。
「お兄様がこのようなところに呼び出すわけないか・・・」
大体、筆跡が違ったんだから当たり前か。
リリカが温室の植物に興味を示している間に、どうやら外から鍵をかけられたようだ。
『閉じ込め作戦か。助けに来て恩を売るつもりなのかしら。それとも何か別の・・・』
考えていたところで、リリカの予期せぬことが起こったのだった。
ガチャンと音がして1つしかない出入り口の扉をみたら、そこには悪口男ことレミケード伯爵家のネスプがいたのだった。
「助けを呼ぶ声が聞こえたので来ました。大丈夫ですか?」
そんなことを言いながら入室してくるではないか。
リリカもこのような人気のないところで、男(しかもめちゃ嫌い)と二人きりの状況に怯んでしまい、後ずさりをした。
運悪く、雨は本降りになってきていた。
これでは大声を出しても、そうそう助けは来てくれなさそうだ。
ここは何とか自力で乗り越えるしかない。
相手に動揺を悟られてはいけないと、手をギュッと握りこんだ。
「助けなんて呼んでいませんわ。私はここでお兄様と待ち合わせをしていますの。
どうぞお引き取りを!」
気丈に言ったが声の震えまでは隠せなかったようだ。
ネスプは自分に有利なこの状況を好機と思ったらしい。
「お兄様なんてここには来ませんよ! 俺にとーっても興味がおありだと伺ったんですよ。女性のあなたからは誘えないでしょうから、こちらからわざわざ機会を作って差し上げたんですよ」
「こ、このようなところにお兄様の名前を使って呼び出すなんて、非常識ですわ!」
「まあまあ、そんなに照れなくても良いでしょう。折角、二人きりになれたのですから、お話しでもして交流を深めようではありませんか!」
何こいつ、全然話が通じない。
嫌がっていることが、どうしてわからないのかしら!!
「お兄様がいらっしゃらないのでしたら、私帰りますわ!」
「どうぞ、どうぞ・・・但し、こちらに来ないと出られないぞ」
口では強気なことを言ったが足が竦んで動けない。
「この状況を誰かに見られて困るのはお前の方だぞ。公爵令嬢が温室で男と逢い引きしていたら、みんながこぞって噂するだろうな」
リリカが怯えている様子を楽しむように、ネスプは顔をテカらせニヤニヤしながらこちらに近づいて来る。
「ほらほら、どうした。扉は俺の後ろだぞ。後ずさりしていていたら、ここからは出られないぞー!」
どんどんと距離は詰まってくる。
「家柄は申し分ないし、何よりお前は美しいからな〜。俺の横を彩るにはもってこいだ!その気の強さは難点だが、俺の腕に抱かれたらもう離れたくなくなるだろうよ!」
リリカを見下したような言葉と、話の内容から身の危険を感じる。
このままだと何をされるかわかったもんじゃない。
じりじりと後退していたが、とうとう背中に壁のガラスが当たった。
もう逃げ場が無くなってしまったのだった!