分を弁えなさい
意気消沈する私に追い打ちをかけるように、お兄様は王立学院に入学されて、寮に入ってしまわれたのだった。
そこから、私が学院に入学するまでは退屈な2年間を過ごすことになった。
全ては『お兄様にふさわしい女性になるために』を掲げて、幼少期から頑張っていたので、その反動は大きかった。
家にお兄様がいないと思うと、何もやる気が起きないのだ。
だから今までできなかった惰眠を貪ったり、好きな時間に好きなだけ食べるという不摂生もした。
人目も全く気にならないので、髪も整えず、だらしない格好で屋敷を歩き回るようなことも平気でしていた。
侍女のメマリーはリリカの気持ちを知っていただけあって、しばらくは黙って見過ごしていた。
だが、リリカが怠惰な生活を送っていることが、主人(おばあ様)にバレるのも時間の問題になってきたので、ようやく尻を叩き出したのだった。
「リリカ様。お言葉ですが、おばあ様もいつまでもお元気という訳ではありませんよ」
「えっ、もしかしてメマリー。おばあ様をヤってくれるの?!」
「何を馬鹿なことを仰っているのですか!!いつ状況が変化してお二人の結婚の話が舞い戻ってくるかも知れないと言っているのです」
「えっ、えっ」
リリカの声が弾み出した。
頭の中はすっかり、お兄様との結婚>おばあ様の命という図式が出来上がっていた。
「そっかー、そうだよね」
「そういうことも念頭に置いておくべきだと言っているのです」
「??」
「分かりませんか? 何ですかそのお姿は!
だらしない髪型にお腹や背中にもお肉を付けてっ!
そんなポチャっ子、テオドール様にふさわしいわけがないでしょう!!」
リリカは雷に打たれたように立ち上がった。
『そうだ!メマリーの言う通り、いつまた婚約の話が上がってくるかも知れない』と喜んだのだが、それと同時におばあ様の顔が浮かんだ。
夜も明けないうちから庭を何時間もぐるぐる歩き回るあの体力。
屋敷の些細な変化にもすぐに気が付く洞察力と、それを的確に指摘する達者な口。
それに毎朝欠かさず飲むおばあ様秘伝の謎の健康ジュース。
匂い、色、どれをとっても一級品の不気味さだ。
あんな変なものを、毎日嬉々として飲んでる奴が、そう簡単にくたばるだろうか??
「お嬢様はご存知ないかも知れませんが、夏になると学院は長期休みに入るので、テオドール様もここに戻っていらっしゃいますよ」
この一言でリリカはすぐに怠惰な生活を止めた。
こんなみっともない姿をお兄様に見せるわけにはいかないと、リリカはダイエットに励み、すぐに元どおりの生活に戻ったのだった。
こうして、王立学院に入学するまでの2年間は、お兄様の休暇だけを楽しみにして何とかやり過ごしたのだった。
14歳になったリリカはやっと、テオドールと同じ王立学院に入学した。
『これからは毎日お兄様に会える』と思っていたのだが、これが全く当てが外れたのだった。
そもそも学年が違うので、お兄様とそう顔を合わせることがない。
それどころか、お兄様が生徒の代表である副評議長なる役職を務めておられて、かなり目立っているのだ。
そして評議長をしているのが第2王子のアバスチン様だ。
この王子ときたら、とにかく王子然としてやがるのだ。
艶々の黒髪に切れ長の碧眼で睫毛が長く、鼻筋も通っている。
その上スタイルも良く、頭も悪くないらしい。
悔しいがお兄様といても遜色がないのだ。
二人はとにかく煌びやかな空気を醸し出しており、女子生徒からの羨望を浴びまくっていたのだった。
これにはリリカもお兄様が皆に認められていて嬉しさ半分、嫉妬も半分だった。
こんな野獣の群れにお兄様を2年もの間放置していたのかと、背筋が凍った。
『私がお兄様を守らなければならない!!!』
リリカがそう決心した矢先のことだった。
上級生の一団が廊下で談笑していたのだった。
「ああ、アバスチン様!今日も素敵ですわ」
「ええ、本当に。凛々しい」
「崇高なアバスチン様に比べたらテオドール様でさえ見劣ってしまいますわね」
聞き捨てならない言葉が耳に入ってきたのだった。
『お兄様があんな見た目だけの王子に見劣ってるだと〜、おのれ絶対に許さん!!』
さらにリリカの怒りに油を注ぎまくる言葉が聞こえてきた。
「でも王子様のお相手は少し恐れ多いですわね。私にはテオドール様ぐらいが分相応かしら」
『はあ?お兄様と分相応だと!!しかもぐらいってなんだよ!! どこから目線で物言ってんだよ!! お前ん家が金で爵位を上げてもらったこと知ってんだからな!』
リリカはその女の目の前まで、音を立てずに高速移動した。
(淑女は決して走ったりしませんわ)
「王立学院は選ばれし良家の者だけが入学を許されたと聞きましたが、このようなところで容姿についてあれこれと仰るような低俗な方もいらっしゃるのですね。
神聖な学び舎で嘆かわしいことです。一体どのようなことに熱心に取り組まれていることやら・・・」
嫌味たっぷりの言葉を投げつけてやった。
「まあー、なんと失礼な物言いでしょう!あなた新入生ね。新参者は口を慎みなさいっ!」
お兄様と分相応だとほざいた女がそう言い返してきた。
しかし、後の二人は私がミカルディス公爵家、すなわちテオドールの妹だと、すぐに気がついたようだ。
顔を真っ青にして身を屈め「失言でした。申し訳ございません」とすぐに詫びたのだった。
貴族は綺麗な縦社会だ。
例え年下であっても身分が上であれば、そちらが上になる。
爵位を金で上げるような無礼者には、そこのところがよく分かっていないらしい。
不服そうな顔でこちらを見ている。
「ルセフィ・タキソール子爵令嬢ですわよね?!」
名乗ってもいないのに名前を呼ばれてギクリとしている。
「覚えておきますわね」
そう釘を刺してその場を後にした。
あとの二人が彼女に、目をつけられたのだと説明をしてくれることだろう。
こっちだってお兄様がいない2年間を指をくわえて過ごしていたわけではない。
この学校に在籍している者の名簿は全て頭に入っている。
5年制のこの学校にいる生徒は、1学年でせいぜい2〜30人程度。全校生徒合わせても150人もいない。
特に女性徒は、一人残らず肖像画を集めさせたので顔と名前はちゃんと合致できるように頭に入れてある。
特にお兄様の婚約者に選ばれそうな、家柄が釣り合いそうな者は、バッチリ一覧表にしてある。
入学してからは、その一覧表に名前がある者を、ひとりひとり見定めてはダメ出しを記載している。
お兄様の婚約を阻止する為には抜かりはないのだ。
言っておくが、貴族社会では肖像画で相手の顔を確認することは良くあることなのだ。
決して私が粘着質だからではない・・・
だからこそ謝った二人も私の素性が分かったのだろう。
予備知識として知っておくことは貴族としての嗜みなのだ。
相手の地位がわかっていないと上手く立ち回ることはできない。
無礼者の彼女にも良い勉強になったことだろう。
フン! お兄様のことを虚仮にしたことを後悔するがいい!!