5.魔術具の改修③
「イーリア様……間に合いましたね」
ぜぇぜぇと息をするリフィリーゼに対して、軽く一度はぁ、と息を吐いたイーリアは、バシっとリフィリーゼの背中を叩き、執務室へと押し込んだ。
「リフィリーゼ。あんた、もう少し運動しな。……この件に顔を突っ込むつもりなら、特にね」
そう言って先を歩くイーリアの背中はピンと伸びていて、リフィリーゼは思わず目を細めた。
「この件って……。イーリア様は一体何を知っているのですか?」
そんなリフィリーゼの小さな声は、誰の耳に届くこともなく地面へと吸い込まれていった。
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「ようこそ我が家へ!」
リフィリーゼがルミアと予定を合わせた休日に、ひとまず過去見の鏡の現物を確認しようとエストランケ家を訪れた。門から延々に続く庭園は整えられており、緑豊かだ。屋敷は豪華絢爛というわけではないが、整理された美しさがある。
あれだけ顔を出していたのだから、着いてくると思われたイーリアは、「年寄りなんだから、休みくらい休ませておくれ」と言って、リフィリーゼ一人でエストランケ家に送り込んだ。別の国の貴族としての記憶が一応あるものの、リフィリーゼは古くからある名家エストランケ家の訪問に緊張した。マナーなど、不安があったが、それをイーリアに伝えた時、イーリアは大口を開いて笑って言った。
「あんた、面白いことを気にするね。いいかい? あたしたちは魔法使いだ。そんなマナーやルールなんてものに縛られる生き物じゃないよ。宮廷魔法使いをしているあたしたちは、宮廷魔法使いとして求められることには応えるけれど、それだけだ。例え国王にだって頭を下げても、魔法使いの誇りは決してなくさない。あたしたちはどう頑張ってもそういう生き物なんだよ。……一度、宮廷に馴染もうとして失敗したあたしが言うんだから、間違いないよ。貴族だろうが名家だろうが、あんたを魔法使いとして呼んだんだから、あんたにマナーなんて求めないよ」
イーリアのその言葉に励まされたリフィリーゼは、手土産なんていらないと言われたものの、魔法使いらしい魔法薬を手土産にエストランケ家に訪問した。
「あの、これ、一応わたしが昔からよく作ってた風邪の薬です。手土産なんていらないって言われたけど、渡さないと違和感を覚えちゃって……」
「わぁ! 魔女の魔法薬ですか!? そんな貴重なものをいただいていいんですか? こちらが依頼する側なのに……」
リフィリーゼは、ルミアに大切そうに受け取ってもらえて安心したと同時に、そのひどく驚いた様子に首を傾げた。他人の家に訪問するときは手土産を持参するのは貴族の一般的なマナーだ。それに、リフィリーゼが渡したのは、一般的な魔女の魔法薬である風邪の薬だ。熱を下げる程度の効果しかない。リフィリーゼが風邪を引いたたびにワイナーが飲ませてくれたもので、単なる常備薬のようなものだ。
「……魔法使いの方が、貴族的なマナーを守られるなんて……リフィリーゼさんは貴族のご令嬢なんですか?」
首を傾げて問われたルミアの言葉に、リフィリーゼは小さく息を呑んだ。こんな小さなことで、もうとっくに捨てたはずの、やっと捨てられたはずの自分の過去が明かされるなんて。昔を思い出しそうになって、呼吸が苦しくなる。意識して、息を吐くようにしていると、ルミアがリフィリーゼの困惑している様子に気づいて謝った。
「ごめんなさい。リフィリーゼさんは今、宮廷魔法使いとして立派に働いていらっしゃるんだから、貴族とか関係ないですよね」
「いえ……。大した薬をお渡ししていないのにそんなにも喜んでもらえたから、驚いちゃって」
リフィリーゼがもう一つの理由を取り出して、口からそう発すると、ルミアが目を丸くして言った。
「……魔法使いの方には一般的なものなんですか? 初めて見ましたし、魔女の魔法薬の存在は御伽話のようなものだと思っていたので……。確かに、うちの国では宮廷魔法使いは多いけど、どこにも所属せずに自由に売買できる魔法使いが少ないからかもしれませんね」
ルミアがそう納得して頷いているのを見て、リフィリーゼは思った。「無所属の魔法使いの少ない国……? では、他の魔法使いたちはこの国のどこで暮らしているんだろう?」
お師匠様に近づく道が見えかけたような気がしたリフィリーゼは、そのまま思考の海に潜ってしまいたかったが、リフィリーゼの中に残っていた理性がリフィリーゼを現実に連れ戻した。
「風邪程度にしか効きませんし、熱を下げるだけなので効果に期待しすぎないでくださいね? それで、貴重な過去見の鏡はどちらにあるんですか?」
まだリフィリーゼに直せるかわからないため、ひとまず貴重な過去見の鏡を仲良くなった魔法使いが見たがったという体で、エストランケ家に来たことにしたため、ルミアも同様に対応する。
「部屋の中でお見せします。着いてきてください」




