講義の始まり
寝室が、アルフレッド公の部屋とつながっている緊張で眠れないと思っていたのに、さすがに、召喚されて間もなく、いろいろあったので疲れ切っていたのだろう。
いつの間にか、ぐっすり眠ってしまい、朝、ドルチェに起こされた。
身支度をドルチェに手伝ってもらい、レーテの給仕で朝食を食べた後、アルフレッド公の授業を受けるため、迎えに来たブレアに、赤の宮殿の別棟にある図書室まで、連れてきてもらう。
案内された扉を、ノックして開けて、部屋に入ると、広いホールの真ん中に、大きな机があって、椅子が2脚。ホワイトボードと思しきものもある。
ひとつの椅子には、すでに、アルフレッド公が座っていたけれど、彼を見た瞬間、挨拶をすることも忘れて、思わず、見入ってしまっていた。
前髪が、眉毛にかかるかかからないかの位置まで、きっぱり切られている。
そして、入ってきた私を見る青い目は、初めて見た時よりもはるかに、澄んで、深い深い青が美しく、吸い込まれたように、目を離せない。
「あの?ユーリ?」
アルフレッド公からの呼びかけにも気づかないほどに、その目に魅入られて、立ち尽くしていた。
と、彼が、顔を背け、視線が離され、ようやく、はっと、我に返る。
「やっぱり、顔が怖いですよね。すみません。」
寂しそうなアルフレッド公の声に、慌てる。
「いえ!全然怖くなんかありません!ごめんなさい!挨拶もしないで、見とれてしまって、その、失礼しました!」
慌てて、謝って、頭をぺこりと下げる。頭上に影がさすのを感じて、身を起こせば、すぐ正面に、いつの間に来たのやら、アルフレッド公が立っていた。
「・・・見とれて?」
顔が熱くなるのを、また感じる。きっと、真っ赤になっているだろう。
「すみません。あまりに綺麗な青だったので、魅入られてしまって!じろじろ見て、不愉快でしたよね。申し訳ありません。」
また、頭を下げようとしたら、突然、私の両手が、アルフレッド公の手で包むように握られた。
「怖くて、口がきけなかったわけではないのですね?」
「そ、そうです!」
「それを伺って、安心しました。」
アルフレッド公が、握った私の手に、口づけを落とす。
心臓が止まるかと思った。この国の貴族の単なる挨拶かもしれないけれど、日本人の私には、刺激が強すぎる!
そっと、アルフレッド公が、私の肩に手を回し、椅子まで連れて行って、座らせてくれる。
心臓の音が、彼に聞こえてないかしら、聞こえたら、恥ずかしい!そう思っていたので、椅子に座って、彼が離れてくれたので、ほっとして、次いで、どっと疲れを感じる。
そんなことには、全く気付かない、おそらく、女性に対して鈍感なアルフレッド公が、すぐに授業を開始する。
「まず、最初は、この国の歴史をざっと説明しますね。」
机の上には、何冊かの分厚い本がある。
それらを広げて、彼が、建国の時代から、現在に至るまでの、大まかな流れを説明してくれる。
この国の文字は、驚いたことに、ローマ字表記だった。
なぜか、この国の言葉が理解できるので、ローマ字表記の本は、十分読める。
また、本の記述を見ている限り、自分でも書けそうだ。もしかしたら、綴りを間違える単語もありそうだけれど。
アルフレッド公の講義は、非常にわかりやすかった。
卒業した中学校の先生たちの授業より、わかりやすかったかもしれない。
「細かい年号は、いずれ、主要なものだけでも覚えたほうがいいかもしれませんが、大まかな流れを知っていれば、社交の場では、問題ないでしょう。・・・この本は、貴族の子供が使っている歴史の教科書です。良かったら、自室でお読みになってみてください。」
「はい、お借りします。」
「そういえば!あなたは、この国の文字が読めますか?」
「はい。不思議ですが、読めます。というか、この文字、私が来た、日本という国では、ローマ字と言われています。」
「ローマ字?」
「はい。」
「不思議なことがあるのですね。この文字は、我が国の文字ですから、エルダー文字と言われています。」
「エルダー文字・・・。」
「そうです。隣国の、ガルバン帝国と、フェロー王国でも、このエルダー文字を使っています。文字の発明は、我が国が最初だったので、世界公用語となっているのです。」
「それは、素晴らしいですね。他国と、同じ言語なら、学ぶ言語は一つで済みますもの。・・・この世界には、エルダー語以外の言語は無いのですか?」
「ありますよ。」
アルフレッド公が、いくつかの言語名をあげてくれる。そして、エルダー語も、古代の言葉は、わかりづらく、判読に苦労すると、教えてくれた。日本でも、平安時代の変体仮名なんて、読めないから、同じようなものだろうと、勝手に納得する。
ざっと歴史を教えてもらった後で、貴族として知っておかなければならない、貴族法についても教えてもらった。
たくさん条文があるけれど、絶対に覚えておかなければならないことだけ、今日は教えてもらう。
主なものは、こんな感じだった。
・公式の場では、下位の者は、上位の者から声をかけられるまで、話しかけてはならない。
・国王への謁見は、上位の者から下位の者と順番が決まっている。
・公式の場では、下位の者が上位の者を呼ぶ場合、家名に爵位を付けて呼ばなければならない。
・公式の場では、貴族バッジを身体のどこかに装着しなければならない。
・跡継は、当主が指名する。当主と血がつながっていれば、男女、生まれ順は、問わない。
・当主が跡継を指名しないで亡くなった場合は、王家が指名する。
・貴族は、平民と婚姻できない。平民と婚姻する場合は、貴族籍から抜かれて平民となる。
・平民が貴族になれる唯一の方法は、騎士への叙勲。ただし、一代限り。
これらの中で、一番の疑問は、どうやって、上位下位を判断するのかだった。
その説明は、聞けば明確で、納得した。
貴族バッジを見て、判断するのだそうだ。
貴族バッジは、爵位によって色が変わる。
一番上の公爵が、紫。次の侯爵が、赤。伯爵が、緑。子爵が、黄緑。男爵と、騎士が、灰色。
だから、誰だかわからなくても、バッジの色を見れば、話しかけて良いかどうかわかるので、名前を知らなくても、爵位で呼びかけて、名前を聞けば良いそうだ。
そして、バッジは、貴族の子供が生まれ、王宮に名前を届け出ると、裏に、ファーストネームを彫り込んだバッジが交付されるのだそうだ。
このバッジは、婚姻などで、爵位が変わった場合は、新しい爵位のバッジと交換されるが、そうでなければ、一生使う。
亡くなったり、貴族で無くなった場合は、バッジは王宮に返還する。
万一、紛失した場合は、再交付されたことがわかるマークを付けられて、再発行してもらえるけれど、お金がかかるらしい。
また、貸し借りや譲渡は厳禁で、バレると、爵位はく奪または、降格もありえるらしい。偽造は死罪。
貴族にとっては大切なものだそうだ。
ちなみに、王族は、バッジを持たない。
まあ、自国の王族の顔を知らない貴族なんて、いるわけないし・・・ね。
「ユーリは、この国で一番地位が高いので、公式の場では、誰かと話をしたかったら、声をかけてあげて。」
「あの、王族の皆さまも、公式の場では、私が話しかけないと、ダメなのですか?」
「ああ、いや。そんなことはない。王族は、貴族法の枠から少し外れる部分がある。王族は、ユーリに話しかけることができる。」
「良かったです。」
*****
午前中に、アルフレッド公から、講義を受けた後、自室で昼食を食べてから、1階にある、大広間へ移動する。
貴族のマナーとダンスのレッスンを、今日から、3か月間、毎日、受けるためだ。
大広間に入れば、講師が3名控えていて、しかも、全員、年配の女性だった。自己紹介を受ければ、侯爵夫人ばかり。
理由を聞くと、侯爵以上と、それ未満の貴族では、若干マナーが違うのだそうだ。
伯爵以下のマナーは、少しだけ、緩いらしい。
だから、所作を見れば、貴族バッチを見なくても、高位かそうでないかは一目瞭然と彼女たちは、誇りに満ちた表情を見せた。
まず最初に、普通に歩き、座り、会話をすることから始まった。私の所作を見て、矯正していくのだそうだ。
歩く姿勢一つとっても、今までと違う動きなので、3か月で合格が出るか、心配だったけれど、授業が一通り終わると、講師が、かなり優秀です、と太鼓判を押してくれた。
「ユーリ様は、体幹がしっかりしておいでです。それに、体力がございますね。筋肉が適度に付いているので、今までの癖を無くして、お教えしたとおりに動いていただければ、大丈夫です。・・・普通の貴族令嬢の場合、レッスンの最初は、筋力が全くないので、姿勢を正すところから始めなければならないのですが、ユーリ様は、姿勢がきれいでいらっしゃるので、それは不要です。安心いたしました。」
そして、ダンスのレッスンだけれど、こちらも、ステップさえ覚えられれば、なんとかなりそうだった。
実は、私が卒業した中学校のダンスの授業は、半分が社交ダンスだったのだ。というのも、体育の先生が、学生時代、全日本学生競技ダンス選手権で準優勝したという実力者だったから。
だから、最低限は、一通り、なんとか踊れる。
だけれど、エルダー王国のダンスは、中学校で習ったステップとは違うし、種類が、かなりたくさんあるので、覚える量が半端ない。
「まあ、ユーリ様。ダンスの経験がおありのようですね?リズムがしっかり取れていらっしゃいます。あとは、ステップを覚えて、踊り慣れれば、問題ございませんわ。」
ダンスの講師も、うれしそうに、褒めてくれて、ほっとした。