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少女と雪の平原 2話-1.「初対面?」

 お母さんの子守唄は、世界で一番優しい響きでした。幼い頃は毎晩せがんでいたのを思い出します。それでも今はもっと聞いていればよかったと後悔したりしています。

 お母さんが今の姿に成り果てたのは、私が頻繁に魔導士の男性に誘われるようになったばかりの頃です。

 植物が内部から蟲に喰われるように、知らない所でお母さんは変わっていきました。初めの頃はそう気にもしていなかったのですが、徐々に口数が減り、食事を取らなくなり、最終的にはまるで魂を抜かれたように動かなくなりました。

 呼吸すらせず、眠ることも無く、椅子に座る石像を見ているようでした。

 お母さんは魔人になったのです。「呼吸の仕方」はブラウニーが教えたそうです。

 その時初めて知ったのですが、魔族になるのに特別な儀式は不要らしいのです。魔族の誰もがやっている「呼吸の方法」を受け入れれば、体がそれに合わせるらしいのです。

 しかし魔族になりたいならば「国王の儀式を受けなければならない」というのはこの国の常識です。お母さんはお城に行っていません。国王シェルセザ様の儀式を受けていません。その結果が今の状態だとブラウニーは言いました。200年近く燃え続ける聖火カディアの前でなければ魔人に「心」は生まれず、ほとんどが母のようになってしまうと――。

 私はどうしてお母さんをお城に連れて行かなかったのかと怒りました。泣きました。ブラウニーの石のように硬い体を何度も叩き、手に血を滲ませました。ブラウニーは何も言わなかったけれど、お母さんもきっと全てを分かった上でブラウニーに頼んだんだと思います。それでも私はブラウニーを攻めることしか出来ませんでした。

 私は暫くお母さんの傍にいました。

 外に出ることも無く、ずっと隣に座ってお母さんを見ていました。稀にお母さんが瞬きをするのをただじっと見ていました。

 たまに話しかけたり自分でお母さんの子守歌を歌ったりもしました。でも最後には涙が溢れてきて……その繰り返しでした。

 そんな私を見かねて、ブラウニーは私に魔法学校に行くことを勧めてくれたのです。


   ―☆☆☆―


「戻ったよ」の挨拶と共に木製の戸が開き、うっとうしい雨音と湿った空気が店に入り込む。

 店のカウンターにだらしなく顔を乗せたロセアがパクパク口を動かして「おかえりなさ〜い」と気だるそうに返事をした。レステ達が店を後にしてからは随分と暇だったらしい。

 ブラウニーが傘をたたみながら店内に入ってくる。濡れた黒い傘から滴る雨粒がぽたぽたと床に落ちた。

 ロセアがその跡を見ながら何となく今日のレステとニューエのやり取りを思い出していると雨音に混じって落ち着いた黒い羽音が店内に浮かび上がった。


「きゃっ、何?」


 ロセアが目を丸くして見上げると店を飛び回る黒い鳥の姿があった。


「驚かせてすまないね。今朝話した魔族の黒煙だ」


 黒煙……?

 その姿を見たときロセアの視界が揺らいだ。動揺し激しく脈打った心臓が全身を痺れさせ、口から変な空気が漏れる。記憶に蘇る優しくて愛想の無い女性の顔……。


「あの鳥は、パシェードの……」


 ブラウニーは急に狼狽したロセアを心配して声を掛けたが、それも彼女に届いていない様子だった。

 暫く取り憑かれたように黒鳥に釘付けだったロセア、ぱちぱちと長い睫毛を2回瞬かせれば今度は『今』魂が入ったように突然喋り始めた。


「ね、ねえブラウニー。あの鳥って魔人なの? 話ができるって事?」


 答えようとしたブラウニーを遮って黒鳥はロセアの目鼻先に降り立った。息を呑む程静かで、ロセアは驚くというよりも見惚れていた。


「何だ娘。この国に住んでいる身で人型の魔人しか知らんのか?」


 黒鳥が喋った。ロセアは鳥の黒くてまん丸い瞳を不思議そうに見ながら「うん」と気の抜けた声を出す。


「リジェールといえど100年以上歳を重ねた魔人はそういませんから。況してや獣化した魔族なんて私も知りませんよ」


 ブラウニーは「獣化は趣味でやっている部分もありますしねぇ」と付け加えた。それをうけて「違いない」と笑う黒煙、アッアーと奇妙な笑い声が雨音を払い除けた。


「――あの!」


 魚が餌に食らいつくようにロセアは黒煙に質問を続けた。


「パシェードって女の子の事知ってますよね?」

「パシェード? 人間か? 人間の名前なんぞ覚えんぞ」

「えっと、あの……。あなたと同じ黒い髪で黒い瞳をしていて、半年位前にお城から魔導器を盗んで……それで……」


 この出会いは彼女にとってとても大きなチャンスだった。忘れるしかないと思っていた事件の真実がほんの少しでも分かるかも知れない。そう思うと食い下がらずには居られなかった。


「例の魔剣を使った子のことかな?」


 ブラウニーの言葉で気が付いたのか黒煙はアーと声を上げた。


「あの小娘か、居たな。魔導器ディストレインに身を捧げた馬鹿者だ」


 魔剣? 身を捧げた? ロセアの知らない内容だったけれど恐らくはパシェードの話なんだろう。「その子の事について教えてください」と更に顔を近づける。

 何でもいい。どんな些細なことでもいい。どうしてパシェードがあんな事になってしまったのか? ただそれが知りたかった。

 パシェードはロセアの友達。魔法学校で知り合った特に仲のいい友達だった。

 彼女は半年前に罪を犯し、処刑された。罪は王の所有する魔導器と呼ばれる宝具を盗んだからである。ロセアが何よりも悲しんだのは誰よりも深い仲だと信じていた友達の裏の姿を永遠の別れが来るその時まで知らなかったことだった。

 さらにロセアに伝えられた情報はパシェードの死とその理由だけ。友達が一体何を望んでいたのか? 大事な部分は何も分からないまま……。もやもやとした気持ち悪さがやけに重いシコリになって胃の奥に居座り続けていた。


「その娘の事と言われても、何が知りたいのか?」

「何でもいいです! いや、えっと……パシェードはお城で何を盗んだんです?」


 興奮気味のロセアは手当たりしだいに質問する気満々だった。


「む? そのことか? それならワシも噛んでいたんだがな……」

「え!? じゃあ黒煙さんも関わってたんですか?」

「ああ、わしらの目的は『死界の種』だった」


 ――死界の種。

 ロセアが名前を聞いてピンと来ないということは昔から在る有名な魔導器では無い事は確かだ。実はロセアは魔導器に多大な関心を持ち、周囲からも「魔導器マニア」と感心(?)されるほど魔導器には詳しかった。

 しかしその不吉な名前から連想できる魔導器が一つあった。


「もしかしてそれは、南方の島国を滅ぼしたっていう――?」


 ロセアが記憶の片隅から搾り出しながら口に出すと黒煙は「ほお!」と唸った。


「まさかこんな小娘が知っているとは。そうだ、国一つを島ごと死の世界に変えた魔導器だ。数多く在る魔導器の中でもあれ程おぞましい代物は無いわ」


 ロセアが知ってる内容は噂程度のもので、聞いた時には話に「尾ヒレ」が付いているものだと思っていた。というより実際今でもそう思っている。それほど破滅的な内容だった。

大陸南方海岸線から少し離れた沖合いに浮かぶ島でその魔導器は猛威を振るった。木の実の様な、種の様なその魔導器は永遠と「死」を生み続け、島全土を殺し、近海を死の海に変えたという。その後近づく者も同じように死に呑み込まれるとか。

 それがもし大陸で使われていたならば、同じような死界が大陸全土に広がっていたかもしれないとまで噂された代物だ。


 ――そんな物がこの国に!


 まてまて、と首を振るロセア。ここで魔導器マニアの彼女だからこその疑問が浮かび上がる。


「でも、同じ魔導器は二つと無い筈だわ! 近づけもしない死界の種をどうやってここに持ってきたっていうの?」


 それを聞いた黒煙はまた「ほおお!」と唸った。


「なかなか詳しいのお。盗みに加担した人間共は何の知識も無かったというのに……。確かにもう死に呑み込まれた島には誰も近づけん。だが元々な、死界の種は『二つの実』から成る一房の魔導器だった訳だ」

「そのもう一つがこの国に在ったっていうの?」

「今でも在る筈だ。わしらは失敗したからの」


 ロセアは生唾を飲んだ。この国は悪魔を抱えていた。もし悪魔が気まぐれに牙を見せれば少なくとも国中の人間や魔人がどうすることも出来ずに死ぬしかない。この事実を知っている人はどれだけいるのだろうか? 恐らく数名じゃないだろうか? でなければ国境の外にまで人が住み着く筈が無い。この国は数百年もの間戦争の起きていない平和な国。そんな安心を求めるからこそ人が集まった訳で、今ロセアが知ってしまったことは本当は漏れてはいけない機密だった。だからパシェードの事もほとんど教えてもらえなかったのか……。確信と共に納得するように、ロセアはもう一度唾を流し込んだ。


「それで……もし『死界の種』を手に入れたらどうするつもりだったんですか?」

「人間共は浅はかにも脅迫の道具としか見ていなかったようだ、他国との交渉の際に使うな。実に下らん、呆れてまともに聞く気にもならんかったわ。わしの方は……秘密だな。教える意味も無い。ただ貴様の魔導器に対する知識が本物ならば教えてやってもいいぞ」


 なんだかんだで黒煙は魔導器に詳しいロセアを気に入ったようでもあった。


「魔導器に関してなら自信があるわ」

「口では何とでも」


 黒いくちばしを大袈裟にパクパクと動かしロセアを馬鹿にした態度だ。それを見てムキになったロセアは口先を尖らせ「……なら、質問でも何でもして!」と持ち前の負けん気を見せる。ただ尖らせた口が黒煙のマネをしているようで傍から見れば実に間の抜けた光景だった。


「『問い』ならもう出とるわ。貴様が惜しいまでも回答に達していないだけだ」


 アッアッアーと黒煙が笑い散らしても、『問い』にも『回答』にも全く検討が付いていないロセアは唸って顔を真っ赤に膨らませるしか無かった。


「わ、分かったわ。絶対に答えるからソレまで遠くに行かないでよ! まだ聞いていない事も沢山あるんだから」

「ほお! わしにそこまで指示するか。なかなか面白い小娘だの。いいぞ但し答えられんかったらわしの使い魔にするぞ」

「なな、なに? 使い魔って……?」

「魔族の奴隷だ。『呼吸の仕方』と共にわしに仕えるよう催眠をかけるんだ。そうすればわしを主人として永遠に尽くす事となるぞ。なに、存在する価値を見出せない魔族よりよっぽど幸せだからそう不幸という訳でもない」


 冗談じゃない! と喚き散らすロセアと、小バカにした笑い声を上げる黒煙。


「何だか分からないけれど、微笑ましいなぁ」とブラウニーは只々見守っていた。


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