【⑥】
深い闇を、ふたたびバイクに跨って駆けてゆく。
ただし往路ほどの爽快感は得られない。それは、経験に基づく予測が感動を奪ったということでなく、アクセルを操る尾崎の右手が心なしか控えめだからということでもない。
己の身体が風切る様を楽しむ気には到底なれなかった。むしろ、涼介は、一秒でも早くこの時間が終わることを願っていた。先程の涼介にとってのバイクは遊園地のアトラクションだったが、あらためて腰を下ろしたそれは純然たる移動手段に過ぎぬのであって、それ以上の意義を微塵も持ちえなかった。
あれほど頼もしく、さながら実の兄かのように感じられた背中も、今は軽蔑の対象でしかない。深夜にもかかわらず駆けつけてくれたことに対する謝意などとうに吹き飛んでしまっていた。むしろ、心細い夜にこんな男の顔を思い浮かべていたのかとひどく恥じた。
涼介は、物理的な接触を極力最小限にしながら尾崎の背中に掴まっていた。
結論から言うと涼介は、尾崎の壮大な計画にまるで賛同しなかった。町に無数に蔓延る老人たちを、暴力によって追い出してしまおうという理論。はたしてそれが現実的か否か、ということは些末な問題である。他人を傷つけることをまるで厭わないその思考回路が、涼介には理解の及ぶところではなかった。己の身を守るためならば他人を傷つけても致し方ないとする邪悪な利己主義が、涼介にとって許すべからざる悪であった。
「ここでいいのか? お前んち、まだ全然遠いじゃんか」
しばらく鉄の塊を走らせて、尾崎は指定された場所に停車した。涼介の自宅からはほど離れた人気のない住宅街。
「いいんだ。少し、歩きたいから」
「そうか。まあ、ゆっくり考えてみるといい。なにを優先し、なにを守るべきなのか。念のため言っておくが、俺だって好き好んでジジババいじめる趣味はねえよ。困ったことにこの世界は、理想論だけじゃ生きてはいけねえようになってやがるんだ。特に、俺たちみたいな連中にとってはな」
そう言うと尾崎は、一枚のメモを手渡した。
「さっそくだが今週の日曜日、会合がある。俺の考えに賛同する連中だ。嫌老障なんつう癌を抱えても、まっとうに生きてみたいと願う連中だ。今すぐ賛同できなくてもいい、興味があれば来い。同じ悩みを共有するだけでも、お前にとって有意義な時間になるはずだ」
なにやら最後は教師らしい言葉を語って、尾崎はアクセルに手をかけた。
「俺はこの北海道札幌市を、老人のいない町、【不老都市】にするつもりだ。お前も力を貸せ」
去っていく尾崎の背中を、涼介は冷めた瞳で眺めていた。
その一方で胸に湧き上がるのは、山村登喜子への深い愛情であった。はたしてこれまでどこに隠れていたのかと不思議に思わずにはいられない、壮大なる愛であった。
涼介は、自覚していた。
もしも登喜子の存在がなければ、尾崎の誘いに心が揺れてしまっていたかもしれないと。
他人を傷つけることを是とは思わない。それでも登喜子の存在がなければ、涼介はその心細さを埋めまいとして尾崎の傍らに立つことを選んだであろう。それは確信を伴う悔悟の念。
涼介は、恥じた。
心細いというだけで尾崎の誘いに乗っていたであろう己の弱さを。
そして、この瞬間まで登喜子への愛を自覚していなかった己の愚かさを。
涼介は、自分の中で登喜子という女の存在がいかに大きく、いかに代えがたいものであるのかを尾崎との会話の中で痛感し、そしてそのことをただちに登喜子に伝えたいと思った。
炎のような衝動を抑えられず、抑えようともせず、涼介は登喜子の自宅の前に立っていた。
闇は明け、空は次第に白み始めている。迷惑は百も承知であった。されど十四歳の熱情は理性を遥かに超えて、躊躇なくインターホンに指を伸ばす。
ほどなくして、がちゃりと扉が解かれる音がした。