【①】
稲積涼介は夜が怖い。
ジッとしているだけで汗の滲み出る、そんな夜。にもかかわらず涼介は頭のてっぺんから足の先まで布団に身を隠し、胎児のように膝を抱えて震えて眠る。あるいは、一睡もすることなく夜を明かす。
夜は、無数の考えが浮かんでは消える。
涼介の頭を痛々しく悩ませるのは、もっぱら将来の展望である。将来のことを考えるだけで、がちがちと歯が震えて眠れない。
稲積涼介は夜が怖い。
夜が明ければ朝が来て、また一日、大人へと近づいてしまうからである。老化が、ゴツゴツとわざとらしく足音を立ててやってくるからである。
先天性重度高齢者嫌悪障害、通称“嫌老障”。
現代日本で度々社会問題となっている精神障害の名称である。
この障害を抱える者は高齢者に対し尋常ならざる嫌悪感を抱き、高齢者と身体的に接触する、あるいは高齢者と近接するだけで(一説には、嗅覚で高齢者の存在を認知できる距離感か否かが肝要とされている)吐き気や身体の震え、蕁麻疹や呼吸障害等の症状に見舞われる。
ちょうど「高い所への耐性が完全無欠ではない」というだけで高所恐怖症を自称する者がいるように、高齢者を揶揄・糾弾する目的で嫌老障を騙る若者が後を絶たないなど未だ国民の理解を得られていない障害であり、その性質上、超高齢社会も相まって事あるごとに社会的論争の引き金となっている。
いずれにしても、その者の社会活動を著しく脅かす障害であるにもかかわらず、いまだ罹患者への支援体制が十分でないほか、嫌老障であるということがただちに社会的地位の暴落に直結しかねないことから、障害のことを包み隠そうとする者は多い。
稲積涼介もまた、この障害を抱えていた。
嫌老障を持つ者は自身が老いることに対しても強い恐怖を抱き、罹患者の約半数は齢五十を迎える前には自ら命を落とすともされている。
さりとて、十四歳という若い身空で、刻一日と時の流れに心底恐怖する者もそうはいない。涼介の嫌老障のその程は、他の罹患者と比しても一層重度であるといえる。