【②】
貞一郎を別室の使用人へと預けた貞江が、小走りで部屋に戻る。
貞子の刺すような視線を受ける顔の右側だけが、嘘のようにじわりと熱い。畳の上に膝を折りたたむと、長らく待っていましたと言わんばかりに間髪入れず貞子が口を開いた。
「いくら考えてみても、選択肢は二つです。まずひとつに、貞江、貞一郎、忠義さん。あなたたちはこの家を出て三人で暮らしなさい。こういう状況になった以上、仕方ないでしょう。ただしその場合、この大蔵家からは籍を抜いていただきますよ、当然、そういう話になりますよ」
ひゅう、と、貞蔵がわざとらしく口を尖らせて口笛を吹く素振りをした。
「次に。貞江、忠義さん。もしも、あなた方がこの大蔵家で生きることを望むのであれば。貞一郎の親権を放棄して、児童養護施設にでもおやりなさい」
ざわり、とさざ波が走った。
「ちょっ、お母さん!? それは……えっと、どうなんでしょう?」
と、貞蔵。
「親権を、ですか?」
と、忠義。
「お母さん、それはいくらなんでも、それは、いくらなんでも」
と、貞江。
「っていうか、親権ってそんなに簡単に放棄できるの?」
次女の貞世だけが、唯一、意義のある反論を述べた。
「それについては問題ありません。私もこの立場になっていろいろと調べてみましたが、この障害が一般的になりつつある昨今、嫌老障に起因する親権の放棄は認められつつあるようですよ」
「でも母さん、忠義と貞江姉さんはまだ三十代ですよ」と貞蔵が引き続き異を唱えれば、「貞子と共存できないっていうだけで親権の放棄が認められるのかなあ」と貞世が続く。
「お黙り!」
貞子が、不意に声を張った。
「そんなことは私がどうとでもします。私は、貞江と忠義さんに問うているのです。むろん、二人のことですから、貞一郎を捨てるようなことは天地がひっくり返ってもないでしょう。私は二人の性格をよく理解しています。ただしこの大蔵家を出るのであれば、今後、私が忠義の会社に便宜を図るようなことはなくなるでしょうがね」
「そんな、お母さん……!」
とっさに反論の意を示す貞江の傍らで、忠義は正座した膝の上の拳を見つめるばかりであった。
「母さん、それはちょいと厳しくないかい」
貞子に対して反旗を翻す資格を持たぬ忠義の心境を察してか、貞蔵が助け舟を走らせた。
「お義兄さんと貞江姉さんだって、望んでこんなことになっちまったわけじゃないんだからさ。親権放棄なんて、あんまりだろう。仮にこの家を出たって、家族じゃないか。助けてあげなよ」
反論むなしく、窪みの深い貞子の瞳にぎょろりと睨まれて、貞蔵は観念したように諸手を挙げた。
「いいじゃあないか、親権くらい」
水分を含まない貞子の口元が、静かに語る。
「たとえば、親の都合で堕ろされる命が年間何人いるんだい。胎の中だって外だって、子は生きているんだよ。22週目までなら中絶手術が許される、なんてのは子を堕ろす側が自分勝手に定めた法律さ。親の都合で子を殺すことが許されるというなら、貞一郎だって同じことじゃないのかい。しかも、なにも貞一郎は殺されるってわけじゃないんだ。大蔵家ではないどこかの誰かが、すこやかに育ててくれるだろうさ」
「いや、しかしですね、お母さん」
縋るような声色の貞江を遮って、貞子はすっと立ち上がった。
「話は、以上。あとは二人でお決めなさい。大蔵家を出るか貞一郎を諦めるか、二つに一つです。腹が決まったら私のところへおいでなさい」
そう言うと貞子は部屋を出て、ぴしゃりと障子を激しく鳴らした。