スカウトマンは、巣穴に入る。
魔獣の巣穴は、すぐに見つかった。
というよりも、一応木々が集まってはいるものの中に入れば視界を塞ぐものがなさ過ぎてすぐに見えたのだ。
「やっぱり元々、レッドブルンはいたみてーだな。が、番じゃなく一匹で過ごしてるっぽい」
イストが木の様子と巣穴を見てうなずくと、クスィーは戸惑ったように首を傾げた。
「そのような事が分かるのですか?」
「ああ。理由の一つに、マーキングがある。あそこの木を見てみな」
彼女が目を向けた先にある木の幹は、引っ掻き傷のようなものがついている。
イストの人差し指程度の幅があるものが三本、斜めに走っていた。
「レッドブルンは縄張り意識が強く、ああやってそこら中に自分の印をつける。が、そいつは独身の個体で、相手を見つけて一緒に過ごす個体はあの印をつけなくなる」
「どうしてですか?」
「ブルンドックーが凶暴化してた理由と同じだよ。子どもが産まれりゃ『ここにいる』と知らせるのは、危険を呼び込むのと同じだろ?」
ごく一般的な、巨大魔獣の生態である。
いかに強力な魔獣といえど、子どもは弱いのだ。
「レッドブルンは両親揃って子どもを育てる上に、身の回りの世話はブルンドックーに任せてるから、基本的に子どものそばから離れることはねーけどな」
それでも万一のことに備えて、極力危険を少なくしようとするのはどんな動物でも変わらない。
「なるほど……でも、元々つけた傷が残ってたら同じでは……?」
「お、賢いな」
クスィーの問いかけに、イストはちょっと楽しくなった。
説明されただけでそれに気付いて疑問を覚えるのは、頭の回転が早い証拠である。
知識がないだけで知恵はあるのだ。
「あ、ありがとうございます」
褒められ慣れていないのか、少しはにかんだ様子を見せるクスィーに、イストは説明を続けた。
「レッドブルンは、番を見つけると新居に移るんだよ。そこから先はマーキングしない。……多分、ブルンドックーの数が倍に増えるからだと思うが」
オスもメスも、同様にお供の魔獣たちを連れているのである。
「そのことから、マーキングはお互いに居場所を知らせる目印って説もあったりするな」
「イストさんは博識ですね……」
感心したように言われるが、イストは軽く肩をすくめた。
「冒険者にしてみりゃ、一般常識の範囲内だと思うがな。ていうか、知らずに山に入ったら死ぬぞ?」
ましてイストは弱いので、余計にそういう存在に対して慎重になる。
武器になりそうなこと、自分に出来そうなことに何でも手を出した結果として、知識を蓄えているだけだ。
「話を戻そう。巣穴の入り口がそれなりにデカいから、多分成獣ってよりはもう老いてるかもしれねーな」
次にイストが指差したのは、木々の中心あたりだった。
そこにちょっとした、イストの胸の高さ程度の斜面があり、そこと地面の境目に掘り返したような穴が空いている。
穴は真新しく、斜面に垂れたツルなどが引きちぎられて辺りに散らばっている様も見えた。
「やっぱり元々、この辺りに住んでたわけじゃない。子育てを終えたか、同族や同ランク程度の魔獣との縄張り争いに負けたかして移り住んで来たんだろうな」
そうした状況から、年老いているという予想をしたのだ。
「まぁ、どっちにしたって今はいない。……とりあえず、中を覗くぞ」
イストは軽く眉根を寄せて、ロングダガーを一本引き抜いた。
幼獣を殺すという嫌な仕事は出来ればしたくないので、いないほうに期待したいところだ。
クスィーをその場に待たせて、そろりそろりと慎重に近づいていく。
そして、中を覗く直前に、スン、と軽く鼻を鳴らした瞬間。
ーーーイストは、焦げ付くような『危険の臭い』を感じて後ろに跳んだ。
一瞬前まで全く臭わなかったのに、むせ返るほど強い、焦げ付くような臭いが放たれたのだ。
飛び退いたイストの鼻先を、煌めく何かが通り抜ける。
それが刃の照り返しだと認識したところで、背筋が急激に冷たくなった。
「ーーーッ!?」
後頭部がジンジンと痺れるような感覚は、一歩間違えば生死の境界をまたいでいたことを認識した恐怖からだ。
レッドブルンの巣穴に、何者かが潜んでいたのである。
それも魔獣の類いではなく、刃を振るう知性のある存在だ。
曲線を描く片刃のそれを『刀』だと認識したところで着地したイストは、そのまま追撃をしかけようとしてきた相手に向かって声を張る。
「待て待て待てっ! なんでいきなり襲ってきてんだよ!?」
ロングダガーを握っていないほうの手を開いて上げたイストに、ピタリ、と動きを止めた小柄な影はチャキリと刀を肩に担ぎ上げる。
「なんだお主、人族か。魔獣を飯にしようと思っておったに、釣り間違えたようだな」
落ち着いてはいるが、子どものような声音。
しかし襲ってくるのをやめたソレは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「しかし我の居合を避けるとは、なかなかやるではないか」
相手はイストの腰丈ほどしかない、魔物だった。
頭の上に長く伸びた二本の耳。
高楊枝をくわえた、前歯の長い口元。
黒い毛並みに覆われた体躯に、逆関節で腿の太い後ろ足。
着流し、と呼ばれる異国風の着物を身につけて腰に鞘を佩いた相手は。
「ウ、ウサギさん……?」
息を呑んで状況を見守っていたクスィーが漏らした言葉を、イストは肯定した。
「ああ。……【戦極の兎】だ」
二足歩行して言葉を話す獣型の魔物『ラヴィ族』の一種である。
中でも毛並みの黒いモノたちは獰猛で勇壮、義に厚く武器の扱いに熟達したモノが多い。
が。
「なんで、こんな人族領の辺境にいるんだ?」
シュラビットの生息地は、極東の島国から魔物領の奥深くである。
「我は流れ者ゆえ、足の向くまま、風の向くままに世界を歩んでおる。別にさほどおかしなことではあるまい?」
まぶたから頬にかけて刀傷が走る左目を閉じて、鮮やかな色合いの翠の瞳でこちらを見据えつつ。
「我は流浪の者、名をオー・ミロクという。お主は?」
着流しのウサギはそう名乗りながら、刀を鞘に仕舞った。