スカウトマンは、邪神の話を聞く。
「これだな」
魔王アインスの覚書を元に、本を探し始めて数時間。
見つけたのは、やはりツヴァイだった。
飽きたらしいフィーア、ラピンチ、カイの三人は、すでに秘書庫内にある大机の近くにある本棚にもたれて眠りこけている。
ミロクも退屈そうな顔であくびをしていた。
入り口でこちらの動向を見守る管理人の他には自分たち以外に誰もいない。
ひっそりとした秘書庫内の物品は、写し書きや持ち出しを禁じられているため、ツヴァイは椅子に座って机に向かった。
一応全ての閲覧を認められているツヴァイが、禁書の棚から見つけてきたのは単に紐で綴られただけの簡素な本……というより紙の束だ。
横から覗き込んだミロクも、ヒクヒクと鼻を鳴らす。
「古びているように見えるが、劣化はしていないようじゃの」
「普通の紙束に見えるような細工が施されているのさ。だが実際は、あらゆる魔法の影響を極力遮断するような、幾重もの保護や封印が施されている」
「ほほう。我でも斬れぬかの?」
「おそらくはな」
四天王級の攻撃でも破壊出来ないかもしれん、と嬉々としているツヴァイは、パラリと紙束をめくった。
彼女が細く長い指先で文字の表面をなぞるのを眺めたイストは、違和感を覚えて首をかしげる。
「ん……? 読めないな……?」
おそらく旧魔導文字で描かれたそれは、何と書いてあるか全く分からなかったのだ。
どういう単語なのか、どころか、並ぶ文字の一音すら何を書いてあるのか理解できない。
こんな経験は初めてだった。
「俺が知ってるものとは違うのか……?」
「いや、封印の影響だな。おそらく二段階だ。ある程度の魔力を持つ者でも、文脈が読み取れないようになっている。……これを書いた者のほうにも興味が出てきた」
「世の中にある遺物ってのはたまにとんでもないな。で、読めるのか?」
あんまり深入りしたくない雰囲気を漂わせ始めたツヴァイに若干引きつつ、イストは話を本題に戻す。
「当然だろう。ボクを誰だと思ってるんだ?」
言いながら、ツヴァイは中身を目で追い始めた。
そこまで厚みのあるものでもなく、30分もかからずにツヴァイは読み終わった。
「ふむ……」
椅子の背もたれに体を預け、豊かな胸を持ち上げるような位置で腕を組み、スカートのスリットから形の良い褐色の太ももをのぞかせて足を組む。
「で、内容は?」
「中々に素晴らしい」
赤い瞳で妖艶な流し目をくれたツヴァイは、人差し指を立てる。
「これは、基本的にはかつて存在した勇者と魔王、そして邪神に関する記録だ。ここに、もう一つ別の存在が出てくる」
「別の?」
「ああ、ここの記述だ」
ツヴァイは紙束をめくり返し、トン、と指先で、おそらくは何らかの単語を指差した。
「ーーー〝修羅〟と呼ばれる存在に関する記述だ」
「修羅……?」
「ほほう」
イストは、ミロクと目を見交わす。
「ミロクの種族についての話か?」
ミロクは、シュラビットと呼ばれる魔物である。
だが、それにツヴァイは首を横に振った。
「いや、種族的には人間に関する話だから、それはないだろう。どちらかと言えば名称の起源ではあるかもしれんが」
それは、あらゆる剣技を操り、並外れた戦闘センスを持つ存在、らしい。
「……シュラビットじゃね?」
「違うと言っているだろう」
「まぁ、そうした天賦の才を持つという意味ならば、我が種族の名として冠されることもあるかも知れぬな」
「だろう? だが、一つ語弊がある」
修羅はいわゆる、勇者のような神から与えられると言われる才でも、魔王のように支配者としての立場を約束された存在、ではないらしい。
「人の中から自然に生まれ落ち、勇者や魔王に並び立つ者である、と、この中には記されている」
「……魔王が、支配者の立場を約束された存在?」
神器、と呼ばれる聖剣や魔剣を操る存在は数多いが、勇者は、聖剣レーヴァテインを持つ者ただ一人。
ここまでは分かる。
しかし魔王は、確かに強大な存在ではあるものの、ただ『魔物や魔族を統べる者』が名乗る称号であり、資格的な意味合いではないはずだ。
「ここでは、勇者と魔王は対であり、どちらも選ばれし者であると書いてある。そして、その『対』の一点として入り、〝邪神への対抗者としての三角〟を形成するのが修羅なのだと」
イストは、その言葉に眉をひそめた。
「……そいつは、魔王と勇者が邪神に対抗するために手を組む存在だ、と言ってるように聞こえるが」
「流石だな、イスト。ご明察だ」
腕組みを解き、ツヴァイはパンパン、と手を叩く。
「邪神の到来は、約束されたものである、と記されている。そして勇者、魔王、修羅。この三者の間に絆が形成された時、生きとし生けるものは世界を滅ぼさんとする邪神……〝界喰〟と呼ばれる異空の存在に対抗出来る、と」
「オーファン……孤児?」
「名称の意味までは記されていないが、意味合いはそういうことだろうな」
ツヴァイが言うには、この〝界喰〟に関する記録を持つ『異界の記録』とやらにも文中で触れられているらしい。
「これらの存在は、どうやら異界にもいるらしく、マザー、アナザー、ファーザー、など家族的な記号の名前を持つらしいな。だが、この記録のそれに触れた部分ではそれらを総称して邪神群とも呼んだりしていて、曖昧な部分が多い。ここについては、不確定の記録だと記述者本人も記している」
「話がデカすぎて追いつけないが……要は、俺たちが相手をするのはオーファンとかいう一体だけか?」
「恐らくはな。この世界にかつて現出した、という記録があるのはそれだけだ。残りの名称は異世界で討伐された邪神に対するものだと書いてある」
イストは、それらの話を頭の中でまとめてから、一つうなずいた。
「なるほどな」
そして、チラリとツヴァイに目を向けてから、言葉を重ねる。
「てことは、アルファの背後にいるのが邪神だと確定した時点で、俺らのやることは一つ決まったな」
「何だ?」
ミロクが問いかけてくるのに、イストは片目を閉じた。
「〝修羅〟とかいう適性を持つ人間を、探すんだよ。邪神への対抗手段なんだろ?」
勇者はいる。魔王もいる。
絆、というものが何を指すのかは分からないが。
「カイとオヤジ。そして〝修羅〟……オメガの名誉を回復するゲームをしている間に揃えちまえば」
イストは、無精ヒゲの生えたアゴを撫でて、ニヤリと笑う。
「ーーー後は邪神を潰して俺らの勝ち、ってことだ」
※※※
【『邪神に関する太古の記録』より抜粋。】
ーーー以上の事実に基づき、我々は、今後再来するであろう邪神に関する幾つかの措置を行った。
一つに、本来であれば〝世界の在り方〟を円環の内に収める抑制装置『魔王』及び『勇者』双方の力を分散することによる、邪神出現の遅延措置。
世界寿命の短縮と隣り合わせの危険な措置故に、完全な封印はあえて避けた。
その為、最短で数百年、最長で千年程度の遅延措置となる。
二つに、邪神再来についてある程度の時期を確定する措置。
遅延措置の解除に関しては、三つの『鍵』のいずれかの二つの出現により行われることとなる。
『鍵』となる事象は『修羅の出現』『疑似魔王の魂魄と魔王の力の合一転生』もしくは『真なる魔王の出現』、『竜の魂と勇者の力の合一転生』のいずれかである。
これには『後天的な獲得』を含むことを明言する。
勇者の出現後、一定期間をもって魔王の出現が。
魔王の出現後、一定期間をもって勇者の出現が。
それぞれに、抑制機構の理に基づいて行われることが確定している。
『修羅の出現』は不確定事項に分類される……仮に、人為的に此れが成された場合。
エルフ族、人面を持つ竜人族同様に『銀糸の頭髪』を持つ者の内、規格外の魔力を有する者が該当することが確認されている。
自然発生的修羅については、確定的な記録が存在しないためあらゆる情報が未知数である。
また例外的な事象として、旅芸人として世界を放浪していた一族の血を引く者は『銀糸の頭髪』を持つ。
これらの事実から、修羅の適性を持つ者は銀糸の頭髪を有する血脈より出現する可能性が高いが、あくまでも可能性である。
其の他、竜の魂を持つ勇者の出現は人種の別なく発生し、魔王の再来に関しても同様となるが、亜人を含む人族の内より発生することは確定事項となる。
最後に、最悪の事態に備えた措置を記録を記す現時点より執り行う。
大陸中央に存在する(未来において現存するかは定かではないが)九龍の地において、太古の遺跡内部最奥に時間凍結を可能とする封印装置を発見した。
この遺跡は、古代に存在した五つの浮遊大陸の一つが落下し、後に古代文明の遺跡とされたものである。
封印装置に、現存する修羅の一人である『オロチ』、及び『リンの名を持つ勇者の力の一部』を、保存する決断を下した。
勇者、及び魔王の出現において、抑制機構が作動している場合、邪神の出現確率は限りなく低い。
この均衡が崩れるのは『魔王と勇者の対立』が抑制限界を越えた場合、もしくは共存等により世界に満ちる天地の気が飽和した場合である。
邪神の再来が起こり得る状況において〝修羅〟が存在しないこと……此れが最悪の事態となる。
『魔王』『勇者』『修羅』の三者が存在し、その間に強固な何らかの関係が結ばれ、共闘することが邪神撃退の最低条件となる。
もし仮に最悪の状況が現出した際、『無慈悲と公正の真なる神』の使者である聖白龍認可の元、上記『修羅』の目覚めにより対応することを望む。
聖白龍の招来方法、魔王の力の合一法については、別紙を参照のこと。
最後に、世界の均衡が平和の内に永く続くことを願う。
王国歴204年 雑用係 著
※※※
ーーー秘書庫を辞して、深夜。
上記の記録を、改めて思い返しながらツヴァイは嗤った。
赤い絨毯が敷かれ、人の姿もない蔵書殿を音もなく歩く。
出る際に、秘書庫の管理人は脅しておいたので、鍵は開いているはずだ。
ーーー魔王の力を得る方法。
『疑似魔王の魂魄と魔王の力の合一転生』もしくは『真なる魔王の出現』というのが何を意味するのか、別紙を参照とするそれを、イストにバレずに確認するために。
「ふふ……」
ツヴァイは、力を得ることに貪欲だった。
もちろん、アインスを含む四天王を裏切るつもりなどは微塵もないし、現在の権力に成り代わろうという意図も特にない。
ーーーだが、邪神への対抗者が『真なる魔王』とやらなのであれば。
その立場に、自分が立つ。
ーーーずっと退屈していたんだ。
最後に血湧き肉踊ったのは、勇者パーティーとの戦いが最後だったのだ。
邪神とやらがどう考えても強大な存在であるのならば。
「それと死合うのは、ボクだ……!」
自分が勇者にはなれず、修羅でもありえないのなら、後は魔王になることだけが、最前線で戦う条件となる。
記述には、後天的になれる、とも記されていたのだから。
そうして、秘書庫の前に赴いたツヴァイは、ピタリと足を止めた。
入り口の前に、誰かの姿が見えたからだ。
同時に相手も気づいたらしく、こちらに向けて軽く手を上げる。
黒髪黒目で二十代前半くらいの、アゴに薄い不精ヒゲを生やし、目の下に濃いクマを持つ目つきの悪い男。
頭巾に外套、胸元を覆う軽装鎧、そして右腰に差した二本の長短剣。
「よう。待ちくたびれて、居眠りしそうになったぜ」
そう言いながらニヤリと笑みを浮かべたのはーーーこの場にいるはずのない、イスト、その人だった。