スカウトマンは、交渉に勝つ。
「……確かに、少し分が悪そうね」
表情を消したアルファは、こちらと自分の戦力差を正確に測ったようだった。
宿敵である自分たちを前にして、冷静さを掻いてはいないらしい。
「怖気づいたか?」
「勘違いしてもらっては困るわね。天使の招来分を削られた今は、分が悪いと言っているだけよ。魔王と、貴方たちを私が殺すことに変わりはない……」
チリ、と憎悪を宿した瞳の奥に浮かんだ怒りの色と共に、彼女から絶望以外の香りがした。
苺の若芽に似たその香りはほんの微かなものではあったが、イストはその違和感に意識を向けた。
ーーー腐り切って、絶望に落ちたわけじゃねぇのか?
だとすると、彼女の行動には何か理由がある。
その理由すらも忘れ去った時に、人は狂気のままに、目的と手段を履き違えるようになるのだ。
アルファの絶望の発端が、オメガを殺されたことにあるのは間違いない。
その憎悪のためにイストたちを苦しめ、殺そうとしているのも疑いがない話だ。
イストは、根底から匂う香りの理由が知りたかった。
この場の形勢は逆転しており、今、不利な彼女は逃げる手段を考えているだろう。
となれば、その手段を探るか準備するかの時間稼ぎのために、対話に乗ってくるはずだ、とイストは考えた。
「……俺たちを殺せればいいなら、別に誰かを巻き込む必要はなかったんじゃねーのか?」
「分かっていないわね。私は少しでも貴方たちを苦しめたいのよ」
案の定、彼女は話をする姿勢を見せる。
イストはそれを受けて、身振りで彼女の従える奇妙に美しいモノたちを示した。
「そこの天使どもを増やして俺たちとぶつかるなら、多くの民衆を巻き込むことになる。そいつは平和を乱す行為だぜ。お前さんたちは平和のために戦ったんじゃねーのか?」
「だからどうしたと言うの? その絶望の中で、人々は魔王に屈した自分たちの選択が間違っていたと気づくのよ。そして、私たちが勝った後に再び平和を取り戻す」
戦乱の苦しみは罰よ、と告げる彼女は、やはり妄執に支配されているように見える。
「人々は、何も間違っちゃいないさ。統一前に比べて、格段に争いも飢餓も減っている。いつ魔獣に襲われ、飢えて死ぬか分からない生活が好きなヤツはそうそういない」
「貴方たちに飼われているだけよ。家畜に堕し、それまで讃えていた者をないがしろにし、手のひらを返した」
ーーーなるほどな。
彼女の根本にあるものがなんなのか、が少し見えた気がした。
となれば、自分の考えが正しいかどうかを、はっきりさせておかなければならない。
「人間どもは俺らの家畜か?」
あえて彼女自身の使った強い言葉でイストが問いかけると、はっきりとうなずきが返ってくる。
「そうね」
「となりゃ、奴らは俺らの財産だ。好き勝手に手を出されちゃ困る。……ってことで、一つゲームをしようぜ」
「ゲーム……?」
「そうだ」
アルファは、こちらの提案に対して、表向き明らかな拒絶の表情を示しながらも『対話』を続ける姿勢は崩さない。
ーーー良いぞ。
「この場でただお前さんを殺してもいいが、それだとつまらねーしな」
イストは、せいぜい小憎らしく見える仕草とともにそう口にする。
昔は、人間側に冷静な判断を奪わせるためにこの手の演技をよくしたものだ。
その小物っぽさが〝四天王最弱〟の名に拍車をかけもしたが。
「お前さんも、どうせなら俺たちを殺すチャンスが欲しいだろう?」
「……こちらは準備が整えば、貴方たちを天使の大軍勢で叩き潰すことが出来るのよ? そんな誘いに乗ってやる必要がどこにあるの?」
「だが今この場でお前さんが死ねば、その準備をする時間もなくなるぜ。だが、ゲームに乗れば猶予が出来る」
イストは、アルファの顔をまっすぐに指差した。
「仮にゲームに乗らずにこの場から逃げ出せたとしても、こちらに手の内がバレている現状、俺たちがその準備をする時間を与えると思うか?」
「……」
「それに俺も、出来るだけお前さんを殺すような真似をしたくはない。タウやクスィーにやったことは許し難いが、泣いて謝ったお前さんを二人が許すなら、ま、水に流してやってもいい」
そんなイストの言葉に反応したのは、アイーダだった。
「なんだと!? イスト、お前何を……」
「お前さんは黙ってな。クスィーとタウの問題に、口を出す権利を持ち合わせてるわけじゃねーんだからよ」
「……!」
我ながら、ずいぶんと上からモノを言っている。
ショックを受けた様子のアイーダに、少しバツが悪くなりつつも、イストはそれを表情に出さないように気をつけつつ、ちらりと周りを見た。
イストのやり口を知っているドライとツヴァイが、そういう態度を取り始めたこちらを白けた目で見てくるが、無視する。
今、茶化されると困るのだ。
そのままイストはアルファに向き直り、なるべく不自然ではない程度に揺さぶりとなるだろう言葉を口にする。
「なぁ、アルファ。……オメガが口にした最後の願いは、お前さんたち仲間を生かすことだったんだぜ? せっかくそいつを守ったのに、今さらふいにするのもどうかと思うしな」
そう告げた途端、彼女の体から放たれる殺意が圧を増す。
「……お前のような男が、オメガのことを、分かったように口にするな」
やはりそうだ。
アルファの根底には、未だ消えていないオメガへの想いが在る。
その想いは、時を経てもまだ摩耗していないのだ。
覆い隠していたその仮面が、不利な状況で、少しづつ剥がれかけている。
真の狂気に堕ちていれば、彼女の最大の目的は、本来なら『復讐手段』であるイストたちの殺害になっているはずだ。
逆に、世の中を混沌に陥れようとはしない。
それすらもが手段の一部ならば、オメガの死の後にさらなる絶望の引き金があったのだ。
引き金となりそうな事情を悟ったイストは、さらにアルファを挑発する。
「毎年、律儀に墓参りに来ている俺に対して、ずいぶんな物言いじゃねーか。魔王に支配されても、平和になったら勇者を忘れた愚鈍な人間どもと一緒にするなよ」
「……!!」
ーーービンゴ。
彼女の絶望の香りが濃くなるのと同時に、苺の若芽の香りも濃くなる。
アルファを本当に絶望させたのは、多分、オメガの死でも、魔王軍に屈したことでもない。
人々のために戦ったアイツをたやすく忘れた民衆に、彼女は絶望したのだ。
そんな奴らが平和に生きていること、そのものが許せないのだろう。
だからこそ、イストたちを殺したいだけであればもっと違う方法があるはずなのに、天使を召喚し、その平和の中に暮らす人々を。
ーーー恨みを水に流したタウや、魔王の傘下で神への信仰の頂点に立つ法皇を、その家族であるクスィーを、巻き込んだのだ。
だったら。
「お前さんが望むなら、オメガの名誉を回復してやろうか?」
「何……?」
イストは、交渉の手札を切ると、アルファのまぶたがぴくりと震える。
「お前さんの本当の目的は、そいつなんだろ?」
だからこそ、オメガの望んだ平和そのものではなく、『勇者の名の下に』魔王を討ち滅ぼしての平和を、彼女は望んでいるのだ。
「そんな話を、信じると思うの?」
「別に好意で言ってるわけじゃねぇ。別にオメガの名誉が回復しなくても俺は構わねーしな。……が、お前さんにとってはチャンスだろ? 自分だけでなく、敵対する魔王軍まで、そいつに協力するって話はよ」
それがゲームの内容だ、とイストが告げると、アルファは沈黙した。
「どちらが先にオメガの名誉を回復出来るか。そういう勝負だ」
「魔王政府の情報網を使って流布すれば簡単よね。私に勝ち目がない」
「そんな小狡い真似はしねーよ」
イストは軽く笑い、固唾を飲んで様子を見守っていたカイに目を向けた。
「カイ。こっちに来い」
「え……うん……」
おずおずと足を踏み出して近づいてきたカイに、聖剣を地面に刺すように指示する。
「オメガの魂は、ここに在る。アルファ、お前さん、気づいてるかい?」
問いかけると、彼女の口のはしが震え、怒りに似た表情を浮かべながら呻く。
「ええ。……なぜ貴方に協力したのかは、知らないけれど」
すると、オメガは話を聞いているのか、淡く聖剣の光を明滅させた。
アルファは気にしていないような顔をしていたが、その目がわずかに聖剣から逸れるのを、イストはしっかりと見ている。
「オメガの魂を継ぐヤツも、ここにいる。有り余る勇者の素質を持ち、お前さんが傷つけたタウを救った少年がな」
「……」
「ゲームに乗れよ、アルファ。オメガ自身は名誉の回復なんざ望んでないだろうが……未だにお前さんが生きることと、この世界が平和であることは、望んでいる」
再び聖剣の光が明滅すると、アルファの顔が歪んだ。
「……オメガ」
「選べよ。乗るか、反るか」
ジッと聖剣を見つめていた聖女は、こちらに目を向けると睨みつけながら吐き捨てるように答えた。
「ゲームの条件は……?」
「どちらが勝つとしても、世界は平和なままに統治すること。そして、関係のない人々や魔族に手を出さないこと。この二つだ」
イストは軽く首に手を当てると、顎を上げて笑みを深くする。
「その条件で、世界を賭けて。ーーー俺と博打を打とうぜ」
イストは改めて右手で聖剣を示した。
「オメガの魂に、俺は誓う。だから、お前さんも誓えよ、アルファ。……狙うのはお互いだけ、勝負の行方は『先に勇者の名誉を回復させた方に』、だ」
「……いいわ」
答えたアルファから漂ってくる香りが、絶望の朽葉のそれから、イチゴの果実のように甘いものに変わる。
ーーー枯れかけていた者に、希望の実が生った。
イストが、この場で最大の目的とした約束は達成された。
オメガに誓った以上、彼女はこの約束だけは反故にしないだろう。
しかし、一つだけ誤算があった。
「でも、この体は返さないわよ。……貴方が約束を守る保証はどこにもない」
「いいだろう。なら、聖剣と共にカイは俺が預かる。新たな勇者を使って、せいぜいオメガの名誉を回復させるように努めよう。オメガの魂ごと聖剣をへし折られたくなきゃ、お前さんも裏切るなよ?」
アルファにとって、カイに人質の価値はない。
しかし、オメガの魂には至上の価値があるはずだ。
「……」
それ以上言葉を発することなく、天使を従えて後ろに下がり始めたアルファを、イストはそのまま見送った。