スカウトマンは切り札を切る。
《身体能力向上》は、《変装》の上位スキルである。
ただ相手の視覚を騙すだけの《変装》と違う点が、三つある。
一つは、肉体の変化を伴うことにより、自分とあまりに体格が違う存在だと模倣しても外見上の大きさに差異が生まれる点。
もう一つは、相手の種族や能力をよく知る相手……理解の深い相手にしか変化出来ない点。
最後の一つは、相手のスキルこそ使えないが、変化した相手の身体能力を劣化コピーする点だ。
使い手の記録がなく、文字として特徴が記されているだけのこのスキルは、一見何の役にも立たないものとして認識されていた。
しかし、違うのだ。
理解の深い、ありとあらゆる相手の劣化コピーになれる、ということは……このスキルは、イストにとってはとてつもない力を得るに等しいスキルなのである。
イストの体を、変化を望んだ相手の外観が覆う。
ざわり、と髪が長く伸びて灰色に変化する。
同時に鉱物のような質感の、漆で染めたような光沢のある外殻が形成されて、イストの肉体を二回りほど膨れ上がらせる。
瞳の色が赤く変化して、瞳と瞳孔が消滅し。
鬼に似た、下から牙を生やした黒仮面が顔を覆った。
「分かるか? タウ」
イストの呼びかけに、人狼が最大限の警戒を示して上半身を前屈みにし、牙を剥いて威嚇してくる。
こちらが纏う覇気に、反応したのだ。
「ーーーこいつは、魔王の力だよ」
劣化だけどな、とうそぶき、イストはゴキリと首を鳴らした。
イストはオヤジ……魔王アインスに誰よりも幼い頃から親しみ、稽古をつけてもらい、その戦闘を間近に見てきたのだ。
魔神の末裔とも呼ばれる、闇の巨人たる父親の本性。
ひとたび戦場に立てば、ありとあらゆる魔力を吸収して、己の力に変える貪欲の魔人の力を、イストは振るえるようになった。
人の中で暮らし、人と共に生きた者には決して得られない力。
世界で、イストだけが持つ唯一無二の特技。
ーーー《魔人化》。
「始めようぜ。あんま、時間がねーからな」
通常であれば、《変装》と同程度の効果時間を持つスキルのはずだが、弱点も当然ある。
自分とあまりにも力がかけ離れた存在に変わった分だけ、効果時間が短くなるのだ。
今のイストで、約5分。
それが、魔人の力を振るえる限界点だった。
『ガァ……!』
人狼が、こちらに飛びかかろうと足に力を込めた瞬間、イストは動き出した。
軽く一歩前に踏み出しただけで、人狼の顔が眼前に迫る。
「ちょっと遅いぜ?」
左の拳で、アゴの下を突き上げると、人狼の頭が弾かれたように天を向いた。
硬い手応え。
だが、致命傷には程遠い。
「手応えはトントン、ってとこか」
城ほどもある魔王の本性に比べて、イストは小さく非力だ。
同様以上の大きさである人狼が相手では膂力だけで圧倒することは出来ない。
しかし。
「足の速さは、こっちが上だ」
闇の巨人の肉体は、魔力吸収能力、覇気、そして闇化の能力を生まれつき備えているのだ。
ゆらり、とイストがもう一歩足を踏み出すと、体が人狼をすり抜けてその背後に立った。
天を仰いで直立した魔性の背中に、そのまま後ろ回し蹴りを打つ。
相手の巨躯が吹き飛んで木立に叩きつけられると、そのまま幹をへし折ってうつ伏せに倒れ込んだ。
『ガァァルゥァアアアアアッッ!!』
激昂した人狼が吼え猛りながら身を起こし、そのまま飛びかかってくる。
振り下ろされた爪を左腕で受け、逆に横っ面に拳を振るうが、それは避けられた。
そのまま勢い任せに押し倒そうとしてきた人狼に、イストは踏ん張って耐える。
そして、するりと競り合っていた左腕を右のかぎ爪から外して相手のバランスを崩すと、腕を擦り上げるように首筋に掌底を叩き込んだ。
が、盛り上げた首の筋肉でそれを受けた人狼が、今度は左の肩口に噛み付いてくる。
ミシミシと軋みを上げる外殻を無視して、左手をそのまま相手の首の後ろに回したイストは、抱え込むように下に向かって腰を落とした。
超至近距離、がっぷり四つ。
組み合ったまま、わずかに開いた腹と腹の間に狙いを定めながら、右の拳を握って大きく体を後ろに捻って半身になる。
「……終わりだ、タウ。そのまま寝ろよ?」
そうしてイストは、相手から見盗ったスキルを、発動した。
「ーーー《剛竜烈破》」
闇の魔人から放たれる、拳闘士の最上位スキル。
そこに、イスト自身が鍛え上げた体術を加える。
後ろで踏み締めた右足から伝わる力を、膝、腰、肩、肘を通して、拳の勢いに加えて。
イストは、人狼の腹を撃ち抜いた。
『……!!!!』
先ほどは衝撃波として撒き散らされた威力が一点に集中し、人狼の腹に拳の形の陥没を作り出す。
声にならない声を上げて大きくアゴを開いた人狼は、そのままグルリと白目を剥く。
体から力が抜け、こちらに覆いかぶさるように倒れ込んできた。
気絶したのだ。
「カイに感謝しろよ、タウ。お前さんを救ったのは、アイツの優しさだ」
聞こえていないだろうが。
イストはタウの背中をポンポンと叩き、共に戦った者たちをグルリと見回した。
スティが、終わったことを察したのか、教会の影から走り出してカイに向かっていく。
横にいるアイーダは顔を引きつらせており、ゼタは尊敬するような眼差しでこちらを見ている。
「これが……魔王の力……」
「なんて綺麗な体術……」
その近くで、あぐらを掻いたミロクはゾクゾクとした様子で、闘志をこちらに向けていた。
「やはり力を隠しておったな。その力で、一度我と戦りあえ。今回の報酬はそれでいい」
「勘弁しろよ……」
イストは呻き、人狼を地面に寝かせながら最後に残った二人に目を向けた。
クスィーは目を丸くしており、カイはキラキラと目を輝かせている。
「勝ったぜ?」
《魔人化》を解いたイストが親指を立てると、二人は口々に言った。
「本当に……倒した……!」
「すっげェええええええ!! イスト、めっちゃ強ぇえええええええ!! わぶっ!」
歓声とともに両腕をバンザイの形に上げたカイに、走り寄ったスティが抱きついた。
「もう! バカバカバカ! やっぱり危なかったじゃないのよぉ!!」
「な、泣くなよ!? 無事だったんだからいーだろ!?」
そんな二人を微笑ましく見ていたイストは、ふと、視界の隅にキラキラと輝くものを見つけてそちらを注視した。
教会の横に、黄金色に輝くものがある。
「なんだ?」
気になって歩み寄ったイストは、輝くものの正体に気づいた。
「まさか……いや、まさか……!」
それを見て徐々に早足になったイストは、最後にはダッシュしてそれを手に取る。
「どうした?」
遠くから声をかけてくるミロクに答えず、イストは人狼の近くに戻ると全員を呼び集めてそれを見せた。
「これ……花か?」
「新月草……じゃ、ないわね」
カイとスティの言葉に、イストはうなずく。
「ある意味正しいよ、スティ。これは間違いなく、元々は新月草だったもんだ」
本来は、枝垂れるように銀の花を咲かせるその草は、今、天に向かって満開の黄金色の花を咲かせていた。
「こいつは多分ーーー満月花だ」