スカウトマンは、少女の匂いを嗅ぐ。
ひらりと飛び降りたイストは、纏った外套を大きく広げた。
イスト自身は飛行の魔法などもちろん使えないが、この装備は、見た目は古ぼけているものの【浮遊】の効果を持つ立派な魔導具である。
とある中古魔導具店で見つけた掘り出しモノだ。
外套の効果が発動すると耳元で唸っていた風の勢いが緩み、不快な滑落感がふわりとした浮遊感に変わる。
着地した地点は襲われていた少女からは少し離れてしまったが、走れば殺される前に間に合うだろう。
イストは頭上で旋回した飛竜に向かって軽く手を挙げた後、平原の中を戦いが起こっている方向に向かって駆け出した。
「よし」
鼻に意識を集中しながら、背の高い草のせいで視界が悪い中を走り抜ける。
ーーー痒いな。
イストは葉が顔を撫で過ぎていくのを嫌って、グイッと首に落としていた口布を上げた。
草が溜め込んだ熱による草いきれと相まって多少息苦しくなるが、一応訓練は毎日欠かしていないので、気になるほどでもない。
危険の臭いが強まったところでさらに身をかがめつつ、斥候のスキルを発動した。
「ーーー〝潜伏〟」
自分が使える、ほんの少しだけ戦闘にも役に立つスキルだ。
もっとも、姿を消す魔法のような便利なものではない。
障害物があれば相手に少し発見されづらくなる、という程度のものである。
「……見つけた」
少女が立っていたのは、平原の中でも街道近くの少しひらけた場所。
少し止まって草の間から覗くと、彼女を取り囲んでいるのは【猪の忠犬】と呼ばれる魔獣だった。
「大した強さの連中じゃねーが……数が多いな」
『魔獣』は野生の存在である。
人に近い姿をしている『魔族』や、姿が異形なだけで知性を持つ『魔物』とは違い、知性の面では獣とあまり変わりがない。
が、獣よりも強靭な肉体を持ち、魔法や異能を使うのが厄介なのである。
危険度はS〜Fまで認定されており、ブルンドックーは『危険度E』に分類されていた。
「……ちょっと様子がおかしいか?」
ブルンドックーは、本来なら群れで狩りをする時でも数匹単位で行動する連中だ。
しかし少女を取り囲んでいる魔獣の数は、10を優に超えている。
襲われている側の金髪の少女はどうやら治癒士のようで、白いローブに身を包んでいた。
自分を包む青い筒のような光の防御結界を張っており、数匹のブルンドックーがスキルを使用して体当たりをかましても、ビクともしていない。
かなり強固な結界のようだった。
「まだ保ちそうだな……とりあえず、数を減らすか」
イストは、足に巻いたスリットポーチから薄い板のような投げナイフを引き抜くと、草の中を再び移動して少女に当たらないように慎重に位置取りをしてから……。
「―――フッ!」
鋭く息を吐きつつ、8本のナイフを同時に投げ放った。
ブルンドックーの内数匹が、不意打ちに急所を貫かれて短い悲鳴を上げながら絶命する。
「よし!」
相手がいくらEランクの魔獣でも、二桁の数は一人で相手にするには多すぎる。
腰の鞘からダガーを引き抜いたイストは、一気に数を減らしたブルンドックーに向かって距離を詰めた。
〝潜伏〟の効果は、完全に相手に視認されるまで継続する。
なのでなるべく姿勢を低くしたまま、草の中を駆け抜けてさらに二匹を始末するが……そこで残りの四匹に、こちらの姿を捉えられた。
「チッ……」
だが、このくらいの数ならまだなんとかなる。
そのまま身を起こしたイストに、残りの四匹が牙を剥いて立ち向かってくる。
ブルンドックーは魔獣の中でも大人しく臆病な部類なので、普段なら半分以下になったら逃げているはずだ。
―――こりゃ、めんどくさいことになってんな……。
魔獣たちの様子に、イストはこの場で何が起こったのかを悟った。
ーーー悪ィな。
心の中で魔獣たちに謝りながら相手の牙を避ける。
ガチン! と空振りして顎を鳴らした魔獣にダガーを振るい、首を引き裂いて命を奪い取った。
そのまま軽く横に転がったイストは、腰の【七ツ導具】から奥の手を取り出す。
【邪銃】と名付けられた、魔法の弾丸を吐き出す遠距離用の武器の一種だ。
一般的に出回っているものではなく弾も貴重なのだが、そもそもイストは戦闘自体があまり得意ではない。
ーーー近づいて下手に苦戦するよりマシだからな!
そのまま残りの三匹に狙いを定め、立て続けに引き金を絞る。
ガンガンガン! と鉄のぶつかる異音を立てて吐き出された火の魔法弾は、ブルンドックーたちを貫いて燃え上がらせた。
イストは、ふぅ、と大きく息を吐き、無傷で倒せたことに安堵する。
邪銃を仕舞い、魔獣を引き裂いたロングダガーの血のりを飛ばして布で拭っていると、後ろから声をかけられた。
「あの、あ、ありがとうございました……!」
振り向くと、襲われていた治癒士の少女がこちらを見て頭を下げている。
顔を上げた彼女は紫の瞳に褐色の肌をしており、銀糸のような色合いの髪がさらりと流れた。
目鼻立ちの整ったかなりの美人だ。
この辺りでは珍しい容姿なので、もしかしたらどこか他の国の血が混じっているのかもしれない。
フード付きの白い薄手のローブに、身長程度の杖を手にしたその少女は不安げな表情をしていた。
なのでイストは、笑みを浮かべて片目を閉じてみせる。
「別に、礼を言われるようなことはしてねーよ。俺には俺の目的があって助けただけだし」
「も、目的ですか?」
「おう」
答えて装備を仕舞ったイストは、ズカズカと少女に近づいて肩を掴むと。
ーーーそのまま、少女の首筋あたりの匂いを大きく吸い込んだ。
「ふ、ふぇえ!?」
「クンクン……ん〜、やっぱりお前、良い匂いがするな!」
先ほど飛竜の上からでも感じた、柑橘系の香りである。
この類いの匂いがするということは、多分、防御に関する才能がとてつもなく優れているのだろう。
治癒魔法が得意な者は、もっと葡萄や苺のような甘みの強い香りがするのである。
「いやー、良い才能だな!」
イストは彼女に、優れた素質を感じた。
が、防御魔法を発動している時に比べるとまだ青臭く、完熟して爽やかな香り、というには少々物足りなかった。
身につけた装備は高級そうだが、多分駆け出しだろう……と当たりをつけて言葉を続ける。
「もう少し熟したら、勧誘したいくらいだ! 頑張れよ!」
彼女の両肩をバンバンと軽く叩きながらイストが笑みを浮かべると、相手は軽く背筋をのけぞらせて顔を引きつらせていた。
なぜか、耳と目元が赤く染まっている。
香りを嗅いで満足したイストは後ろに下がり、街道の方を指差した。
「だけどまぁ、あんま強くないのに下手にこういう場所に踏み込むと危ねーから、大人しく道を歩けよ?」
そう告げて、じゃーな、と軽く手を挙げたが。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」
「ん?」
なぜか少女に外套を掴まれて、イストは振り向いた。
「何だ?」
「何だはこっちのセリフです! 助けてくれたと思ったらいきなり匂いを嗅がれたんですよ!? へへ、変質者さんですか!?」
「いきなり、なんて失礼な」
初対面の他人を変質者呼ばわりとは。
思わず眉をひそめたイストに対して、なぜか少女は抗弁してきた。
「礼を失しているのはあなたのほうです! 私はちゃんとお礼を言いました!」
「いやそういう話じゃねーし。まぁいいけど」
そもそも変質者だと思ったなら、引き止める理由が全く分からない。
この少女は少しズレているようだ、と思いつつ、イストは外套を離してくれない少女が何か話したいようなので再び向き直った。
「で、俺の用は終わったんだけど、何?」
そう問いかけると、少女は少し言葉に詰まった後、またどこか不安そうな表情に戻ってこう言った。
「あの……こ、ここはどこなんですか?」