スカウトマンは、問題を一つ解決したようです。
イストはレッドブルンが落ち着いたのを確認して、スティの親から手に入れた軟膏を取り出した。
これも新月草由来のものだ。
『魔性による怪我』に対する効能があるのは同じだが、痛み止めではなく外傷に効くものである。
レッドブルンの目の周りを見ると、おそらくは目を苛む花粉毒を出そうとしているのか、目やにで張り付いたようになっていた。
『少しなだめておいてくれ』
イストは世話係のゴブリンたちに体をさすらせている間に、次いで【七ツ導具】の一つである香水瓶を納めた箱を取り出す。
それを少し、ロウで固めた布の上に垂らすと、レッドブルンの鼻先……毛束の横に置いて、発動した火の魔石を上に乗せた。
ジジ、と音を立てて香水の成分が蒸発すると、魔獣の立てる呼吸音が深く緩やかになっていく。
「それは何ですか……?」
おそるおそる問いかけてくるクスィーに、イストは淡々と答えた。
「極楽蛇って魔獣の体液だよ。魔獣を落ち着かせる効果がある」
原理はよく分からないが、痛みというか感覚も鈍る類いの香料らしく、抵抗感がなくなるらしい。
興奮状態の相手には効かないので、レッドブルンは今は落ち着いていたのだろう。
ーーーもう、戻らなくていいって分かったからだろうな。
魔獣は、自分の巣が消えたことを悟ったはずだ。
老域にあり、ゴブリンを助けるような魔獣である。
おそらくは主人を失ったブルンドックーたちがどうなるかを案じていたのだろう。
共に歳を取り、番を失った後も従者として連れ添ってきたモノたちが気がかりだったのだ。
死を悲しみ、受け入れられずに暴走するか、あるいは巣の命運を悟って安堵するかは多少賭けではあったが。
イストはまず目やにを取り払うと、続いてレッドブルンの目の周りに軟膏を塗った。
『よし。見えるようになるかは分からないが、少なくとも不快感は消えるはずだ』
処置を終えたイストは、ゴブリンたちにそれの使い方を教えた後、村長に渡した。
「あなたは人の言葉が喋れるけど、一応これを」
「なんでしょうカ」
一枚の文字を書いた木札と、いくつかのコインを掌の上に乗せたイストに、村長は戸惑ったように首をかしげる。
「『ハジメテの村』という人の村が一つ山を越えた向こうにある」
「存じテ、おりまス」
「そこの門番と、薬屋に話を通しておくから、軟膏が足りなくなったらこの木札を見せて買い足してくれ」
ブルンドックーを狩ったこと自体は不可抗力なので、贖罪のつもりはない。
人も獣も、お互いの命や縄張りをかけているのだ。
だがせめて、心優しい獣に敬意を表して。
「レッドブルンの寿命は、そこまで長くはないだろう。もう巣に帰ろうとすることもないはずだ。……死ぬまで、ここで面倒をみてやってほしい」
「それハ、言われずとモ。しかしよろしいのですカ?」
「気にすんな。これ、俺のただのお節介だしな」
言いながら、イストは笑って片目を閉じた。
「尊敬できる相手には敬意を表すもんだ。そして迷惑でなければ相手を利用し、利用されるのは悪いことじゃない」
ゴブリンたちはレッドブルンの面倒を見て、イストは金を渡す。
お互いに好きでやっていることがお互いの助けになるのなら、それに越したことはないのだ。
「じゃ、後はよろしくな」
「一晩、お泊まりにならないのデ?」
「ラフレシアンを探さないといけないから、山で野宿するよ。もし繁殖してたら……しばらく待てば、魔王軍の駆除が来る」
言葉の後半は小声でささやくと、村長は大きく目を見開いた。
「そのようなことまデ……?」
「治安は良くしておきたいからな」
イストは小柄な村長の肩をぽん、と叩くと、一緒に来ていた四人にヘラリと笑ってみせた。
「用は済んだ。行こうぜ」
「「え?」」
「泊まっていかないのですか?」
少し驚いた様子を見せる三人娘に、ミロクがクスィーの腰を軽く叩く。
「これだけ月の明るい晩なら、野宿も悪くなかろう?」
「あ、いえ、野宿がイヤというわけでは……」
そう言って片耳を立てたミロクに、彼女はどこか釈然としない様子を見せるが、歩き出したイストに大人しくついてくる。
「ラフレシアンが繁殖していたら危険ではないのか?」
「植物型の魔獣は昼行性だよ。キノコ型だと少し違うが、ラフレシアンは夜寝るんだ」
むしろ花粉を無意味に振りまかない分、夜の方が相手をしやすいまである。
しかし、ミロクがクスィーに対して野宿を勧めた理由は、イストにはきちんと理解出来ていた。
ーーーゴブリンの飯はマズイ。口には出さねーけど、俺もそう思ってるしな。
正直、せっかく好意で出された物に手をつけないのも申し訳ないが、腹がキツくなるのも勘弁なのだ。
ゴブリンの村を出ると、アイーダは別のことが気になったのか問いかけてきた。
「イスト。先ほどの威圧はなんだ? 魔獣と同質のスキルを扱うなど、お前は何か特別な力を持っているのか?」
持ってねーよ、とイストが言う前に、クスィーがアイーダに告げる。
「イスト様は、邪眼の持ち主なのです! ブルンドックーを撃退した時も使っていました!」
すると、ミロクが興味深そうにこちらを見上げてくる。
「ほう。あの威圧を使ったのは、邪眼の力か。これはますます面白いな」
しかしイスト自身は、そんな周りの反応に戸惑う。
ーーー何言ってんだこいつら?
「いや、さっきのは邪銃、全然関係ねーし」
「ええ!?」
「……だったら、素で使えるの?」
否定すると、クスィーが大げさに驚き、ゼタがますます不審そうな顔をする。
「いや、つーか邪銃が威圧とどう関係があるんだよ……?」
「では私たちを麻痺させたのは、どうやったんだ?」
「それは邪銃使ったけど?」
アイーダに出会った時のことを問われ、イストは腰から銃を引き抜く。
「こいつだよ」
珍しいものではあるが、別に隠すほどのものでもなかった。
クスィーは、イストの取り出した邪銃をしげしげと眺めてからこくん、と首を傾げる。
「……それは、何ですか?」
「だから邪銃だって」
イストは、邪銃の性質を四人に説明した。
「魔法を込められる弾丸を、この本体で放つんだよ。色々込めれるけど、威力は元の連中が使うもんよりいくらか下がる。そのくらいの武器だよ」
「武器……」
「なるほど、つまり」
「クスィー様の勘違い、って奴ね」
こちらの言葉を復唱したクスィーに、アイーダが困ったような目を向け、ゼタが苦笑する。
「はぅう……!」
彼女は二人の従者にそう指摘されると、顔を真っ赤にして縮こまった。
威圧を使えた理由についてはごまかせたようで、何よりである。