スカウトマンは、一人の少女に出会う。
ーーーしかしやっぱ、外に出れるってなると気分がいいな。
イストは荷物の入った皮袋を肩にかけて、鼻歌を歌いながら魔王城の入口に向かう。
すると玄関先に門番がわりの魔物である【注文の多い姿見】が立っていたので、声をかけた。
「よ、いつもご苦労さん」
ついでに鏡面を覗くと、映ったのは黒髪黒目の二十代前半くらいの頭巾を巻いた男。
アゴに薄い不精ヒゲを生やして冴えない顔をしている、と思っているが、仲間曰く目つきは悪いしクマもあるが顔立ちは悪いほうではないらしい。
外套の下の装備自体は、ごく普通のもの。
胸元を覆う軽装鎧と、右腰の脇に差した二本の長短剣。
足に巻くタイプの投擲具用のスリット・ホルスター。
そして腰の後ろに固定した【七ツ導具】と呼ばれる、空間拡張の魔法陣を内側に描いたポシェット型の魔導具である。
ごく普通の斥候っぽい……まぁ、あまり強くなさそうな冒険者の格好だ。
が、そんなイストに声をかけられた魔物は、なぜかうろたえたように軽く身じろぎした。
「そんな怯えんなよー。ただの挨拶だよ」
ぽん、と軽く人間で言えば肩のあたりを叩くと、ブラブラと天気のいい外に足を踏み出す。
四天王だとかいう大層な肩書きは、やっぱり窮屈だ。
ーーーノインが言ってたスカウトマンは本当に良いな。しっくり来る。
考えれば考えるほど、自分にはピッタリな気がした。
イストは外に出て知らない人々と会い、良い香りがする人物が才能を開花させていくのを見るのが何よりも好きなのだ。
その上で、勧誘できれば最高である。
特にここ最近は天災も少ないため人々が飢えることもあまりなく、大きな争いごともない。
ーーーこれが平和ってやつだろ? なぁ、オメガ。
そう、心の中で、かつて倒した勇者に語りかけながら、飛竜部隊の待機場に向かって城の脇を歩いていると、頭上からしゃがれた声がかかった。
「またサボりかの?」
「お〜……いや違う違う。人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ、オヤジ」
軽く睨みつけながら顔を上げると、二階にある窓から顔を覗かせていたのは豊かな白ヒゲを蓄えた老人だった。
シワだらけだが彫りの深い顔立ちと、どこか茶目っ気のある表情。
義父でもある魔王……アインスである。
イストは彼に向かって、下唇を突き出しながら逆に問いかけた。
「自分のほうこそどうなんだよ?」
「ワシは当然サボりじゃ。仕事仕事で気を張っても疲れるしのう」
「同感だが、悪びれもしねーのはさすが年季入ってんな」
「ホッホ。おぬしが捕まえてくる有能な連中のおかげで、さして支障もないからの」
魔王アインスはヒゲを撫でながら、ホッホッホ、と笑った。
イストはそれに、手を上げて応じる。
「そいつは良かったな。てなわけで、今日も探しに行ってくるわ」
「またノインが目くじら立てておるのではないかの?」
「いつものことだよ」
からかうように片目を閉じるアインスに、軽く肩をすくめてみせた。
「文句があるなら、四天王とか次官付の役職から下ろせよ」
「特にありゃせんよ。そもそも四天王という役職は作った覚えがないし、次官付は外に出るのも仕事の内だったはずじゃ」
好きにするがよい、と告げるアインスは、何もかも見透かしたような顔をしていた。
こういうしょうもないやり取りが、イストも義父もお互いに好きなのである。
しかし長いこと話していると、出先に着く頃には日が暮れてしまう。
「んじゃ、皆様がご大層な肩書きどころか存在を忘れるくらい出かけてくるわ」
「あり得んことを、考えるだけ無駄じゃと思うがの」
「ンなこたねーだろ」
今のところ、たった一人の部下であるノインですらイストの存在を覚えている意味はない。
そんなことを思いながら、アインスに軽く後ろ手を振って待機場へ向かおうとしたが。
「そろそろ、おぬしの『弟』の命日じゃな。今回の任務は墓参りに最適じゃろう?」
「!?」
その言葉に驚いて振り向くが、イストが再び目を向けた窓辺に、もう魔王の姿はなかった。
「……オヤジの出した任務だったのかよ」
驚かされた上に取り残されたイストはポリポリと頬を指で掻き、辺境査察の書類を取り出すと内容を確かめる。
依頼者まで見ていなかったが、そこには確かに魔王の名前が記されていた。
かつて自分の住んでいた村があった地域への、特に内容もない任務が。
―――どうりで、都合がいいはずだわ。
オメガの命日……生き別れた弟である勇者との決戦を行った日を、アインスは覚えていたのだ。
「……相変わらず世話焼きなオヤジだぜ」
そのまま飛竜を管理している小鬼の元へ向かうと、内容を精査もせず、さらさらと使用許可書を書きつけてくれる。
いってらっしゃいませ、とにこやかに小鬼に見送られ、イストは竜騎兵と二人乗りで東の辺境に向かった。
辺境まで半日だけの空の旅だ。
この時期、毎年のようにそこを訪れているのを、義父も、もしかするとドライも知っていたのかもしれない。
そんなことを思いながら、イストは最終決戦の時のことを久しぶりに思い出していた。
※※※
―――弟が勇者であることを知ったのは、最終決戦の戦場だった。
その頃、人族側に『神に選ばれた聖剣を手にした勇者』がいる、という噂が魔族の間で流れていたのだ。
直接まみえることはなかったものの、幾つかの拠点を勇者パーティーらしき連中に潰され、有能な将を何名か失っていた。
しかしこちらも人族の英雄を複数討ち取っていたこともあり、お互いを最大の敵と目した頃合いで、相手側から『四天王と4対4の決戦を望む』と伝えてきた。
魔王は、その要請に応えた。
そして魔族と人族、どちらにしても敵を喰い倒せばそのまま一気に局面が傾く大事な戦いを、イストら四天王に任せてくれたのだ。
だが才覚のなさを知った時と同様に、現実は残酷だった。
なぜか懐かしい日の匂いに似た香りを感じていたイストは、その意味を相手の顔を見て知ることになったのだ。
対峙したオメガは、悲しそうな表情で問いかけてきた。
『イスト。なんで魔王軍に加担する? 故郷を失った悲しみを忘れたのか?』
彼も逃げた先で旅の商人に拾われ、その後、勇者の才覚を発揮して聖剣を抜いたらしい。
そんな弟の問いかけに、イストは皮肉を交えながら答えた。
『忘れてねーから、戦ってんだよ』
世界を平和にするために。
そんな魔王の望みは自分の望みでもあり、また弟の望みでもあったのだ。
ただ一つ違ったのは、矛先の向きだ。
『魔族を滅ぼしても、平和は訪れねぇ。ーーーそもそも、俺たちの村を襲ったのは人間の兵士だぜ』
『魔族が攻めなければ、悲劇は起こらなかったと思わないのか?』
『思わねーな。結局、人間同士じゃ争うことはやめられないんだよ、オメガ』
イストは、故郷が滅んだ原因を後に調べていた。
そして故郷が滅ぼされたのは、魔族の侵攻に由来するものではなく、人族同士の些細な確執が原因だったと知った。
だからこそ、今までにない形が必要なのだと考えたのだ。
イストとオメガは『争いを終わらせる』という願いは同じだったが……お互いにそれまで背負ってきたものが大きすぎて対話は平行線になり、結局は戦うしかなかった。
ーーーイストは、自分の手で弟を殺した。
斥候職を極めることで得た二つのスキルは、最後の最後まで隠し通して使えば勇者にすら対抗出来るものだった。
死闘の最後、お互いに刺し違えるつもりで繰り出した一撃。
弟はその刃先を鈍らせ、イストは躊躇わなかった。
『……俺の方が薄情だったな、オメガ』
『いや……オレの覚悟が、イストに比べて足りなかったんだ』
決着の後、勇者パーティーは撤退したが、内二人は深手を負って再起は出来ないだろうと思われた。
見逃したのは、弟である勇者の望みだったからだ。
『ありがとう、兄貴。……必ず争いを終わらせて、平和な世の中を作ってくれ』
そう告げて、オメガは死んだ。
「……俺は、間違っちゃいなかったぜ」
飛竜の背の上で、眼下をたまに通り過ぎる村や街を見下ろしながらイストはぽつりとつぶやく。
世界征服の後、大きな戦争はなくなった。
だが、人の治める領地に向かえば、たまにお互いにいがみ合っているのを目の当たりにすることがある。
ーーー完璧な統治なんてのは誰にも出来ねーだろうが。
それでもイストは、出先でそうした問題を見つけるたびに、自分で解決できそうなら一つずつ潰して、無理そうなら魔王に報告していた。
地道で小さな働きだ。
しかしそれ以外に自分に出来ることはないし、そんな人の営みは、魔王城に引きこもって数字だけを見ていたら見えないのだ。
やがて、休憩を一度挟みつつ故郷の山村があった辺り……今はオメガと村人の墓がある山が見えてきた。
この辺は人族領である。
飛竜は魔王軍の正式装備を身につけていて目立つので、真下に見える平原のどこかに下ろしてもらおう……とイストは声を上げかけて。
「ん?」
イストはスン、と鼻を鳴らした。
ーーーなんか、変な混ざり方した香りだな。
顔を叩く風に乗ってそれらが漂ってきたのは、眼下からだ。
一つは柑橘系の匂い……誰かが才覚を発揮する時に放つ芳香だった。
もう一つは何かが焼け焦げるような、いわゆる危険の臭いだ。
目を凝らすと、小さな点のようなものが動き回っているのが見え、すぐにその頭上を通り過ぎてしまう。
一瞬の間に見取れたのは、四足獣が何体か草原の中を駆け回っていたこと。
そしてその中心で、真っ白なローブを纏って防御結界を張っている誰か……おそらくは女性の姿だ。
ーーー魔獣に襲われてんのか?
魔族・魔物と〝魔獣〟の間には、明確な違いがある。
人に近い姿をしている者が魔族と呼ばれ、人からかけ離れた姿をしているのが魔物だ。
しかしどちらも、会話が可能な知性を持っている存在である。
対して〝魔獣〟は、強い魔力を持つ獣のことだ。
話は通じず、弱肉強食の自然の掟に従って生きている彼らは野性の存在である。
ーーー助けるか。
香りを最初に嗅いでから、2秒程度。
女性から感じた才能の匂いに惹かれたイストは、飛竜兵に声をかけた。
「悪い、ここで降りるわ。もうそのまま帰ってくれ」
「え?」
「ありがとなー」
思わず、といった調子で声を上げた騎手の理解を待たずに、イストは飛竜の背からするりと滑り落ちた。