スカウトマンはこうして生まれた。
ーーーイストは、異常に鼻が利く。
それも、ただの香りにではなく〝才能の匂い〟や〝危険の臭い〟といったものに対して。
その事実に気づいたのは、生まれ育った故郷の村がどこかの兵士に焼き滅ぼされた時だった。
その時の光景はよく覚えている。
襲い来る兵士たちが掲げた、光を照り返す剣の恐ろしさも。
村の人たちの怒号や悲鳴、目に染みる黒い煙と肌を焼く炎の熱も。
『逃げろ!』と、鍬を構えながら叫んだ父親の顔も。
その声に弾かれたように、十歳だったイストは双子の弟と一緒に逃げ出した。
途中で逸れて一人になっても、必死で走り続けた。
鼻に感じる、香りを頼りに。
不快な臭いを避け、良い匂いがする方へと向かって行ったイストを助けてくれたのは、思いもよらない相手だった。
ーーー魔王。
たまたま近くを通りかかったという、歳経た大樹のような香りを纏う老齢の男は、肩書きに似合わず優しかった。
追ってきた兵士を部下の魔族と共に撃退し、村人たちの死体を丁寧に集めて埋葬してくれたのだ。
そんな魔族の王は、全てを失って呆然としていたイストの頭を撫でて、こう言った。
『のう、ボウズ。ワシの子になるか?』
そして寂しそうに微笑みながら、言葉を重ねる。
『この世界は、ほんに争いが絶えぬ。ワシは、誰もが平穏な生活を送れる世の中を望んでいるんじゃがのう……』
イストは、そんな魔王の養子になった。
そして平穏な村の中では知ることのなかった世界の実情を知るうちに、こう思うようになった。
ーーー他の誰かに、期待をするだけではダメだ。
黙っていても誰かが助けてくれる、世界をより良くしてくれる、なんてのは儚い望みに過ぎない。
悲劇をなくしたいなら、平穏が欲しいなら。
どこかで誰かがやってくれるなんて思わずに、自分がやるのだ。
誰よりもこの手を血に染める覚悟で、平和のために義父と共に世界を征服する。
そう決めたイストは『訓練して力をつけたい』と魔王に申し出た。
ーーーしかし待ち受けていたのは、残酷な現実。
『おぬしには戦闘の適性がないようじゃのう。剣士にも、魔導士にもなれぬ。唯一のかすかにある適性は、斥候じゃが……』
それも初期職以上の才覚を開花させることはないじゃろう、と彼は言った。
上級職にはなれない。
ただの斥候が手に入れられる技能など、せいぜい気配を消したり、速く走れるようになる程度のものだ。
だがそれでも、イストは下っ端として魔王軍に入れてくれるよう志願した。
ーーー俺は諦めねーぞ。
自分の力でどうしようもないなら、他の連中も巻き込む。
世界を平和にするために、どんな相手でも利用してやる。
ーーー俺自身が英雄になれないなら、なれる奴をいっぱい見つけりゃいいんだ。
そうして魔王軍に入ったものの、当然、人族はたった一人。
まして才能もない上に体力も遠く及ばないので、最初はただの足手まといだった。
しかしここで役に立ったのが、特殊な鼻だ。
手始めに、自分と同じ落ちこぼれの中で目ぼしい奴を、漂わせる匂いに合う立場へと誘導してみた。
例えば、言葉が率直すぎて周りと馴染めない女吸血鬼。
彼女が書いた報告書からはミントの清涼な香りがしたので、イストは彼女に提案した。
「なぁ、お前って事務の方が向いてるんじゃね? 転属願い出すか?」
「書類を相手にして引きこもっていられるなら、私はそっちの方がありがたい」
女吸血鬼が転属すると、兵站管理や全体の能率が劇的に改善された。
あるいは、朝が弱くて、お荷物扱いだった小悪魔。
いつも疲れている様子の彼女は、夜になると濃厚なバラの芳香を漂わせ始めるのを知った。
「夜の方が調子がいいんなら、交代制にしてる夜の見張りを専属でやってみるか? 代わりに昼勤は免除で」
「良いの? 夜型の体質は直らないから、アタシは嬉しいけど……」
すると小悪魔は目に見えて元気になり、暇な間に訓練して魔法の才能を開花させた。
戦場で興奮して、敵味方に被害を出すお荷物だった竜戦士。
普段は無臭なのに、1対1の訓練になると強く甘いバニラの香りがするので気になった。
「お前一回、一人で戦ってみるか? 上官には俺から提案するからよ」
「被害を気にしなくて良いノ? ならボク、いくらでもやるヨ!」
竜戦士に一撃離脱の訓練をして単騎特攻を行わせると、多大な戦果を上げるようになった。
そうしてイストは、少しずつ人材活用に関する信頼を重ねた。
気づけば魔王軍の編成を任されるようになり、能力を存分に発揮して頭角を現した最初の三名と共に、『四天王』などとも呼ばれ始めた。
もちろん、人間のくせに、と反感を買うこともあり……〝四天王最弱〟という陰口も現れ始めたが、イストは気にしなかった。
腕前は魔王軍の中でも今まで通り下の下だったのだから、何も間違っていない。
それにイストは、弱いながらも修行は続けていた。
鼻が利く効果は自分にも及んでおり、『斥候職を極めた先にあるもの』が見えていたからだ。
だから、ちっとも育たないスキルなど磨く必要がないと言われても、鍛錬は欠かさなかった。
ーーーオヤジみてーに、なりてーしな。
そうして鍛えた成果は、世界の半ばを征服したあたりで現れた。
ついに斥候職を極めたのだ。
二つの技能を得たイストは、当時すでに最強格だった竜戦士と模擬戦を行い、勝った。
皆はイストが強くなったことを喜んでくれたが、それを得たことを彼ら以外に明かすつもりはなかった。
成果を試す機会は幾度かあり、その最大のものが人族側に現れた勇者との決戦だ。
彼を倒した後から戦局は一気にこちらに傾き、人族最後の一国が降伏するまでさほどの時間は掛からず。
ーーー世界は、魔王の元に統一された。