90.ジャスミンの心の中
ダイニングへ戻ると、ベルさんがジャスミンさんのことを起こしておいてくれた。
だけど、どうやらまだ意識の半分くらいは眠っているらしい。私のほうへ顔を向けているけど、頭がふらふらとしている。
「あ~、クロエおはよぅ」
「おはようございます、ジャスミン様」
「寝ちゃってごめんね……」
「いえいえ、たぶん魔法の行使で疲れてたんだと思います。気にしないでください」
まだ寝ぼけまなこのジャスミンさんに苦笑しつつ、魔法書を回収する。
このあとは夕飯の支度が行われるはずなので、撤収しないとティナさんの邪魔になってしまう。
元々ジャスミンさんが本を読むことが苦手と言うのもあったと思うけど、それ以上に魔力を久々に使ったことで身体が疲れていたのだ。午後は暖かくて眠ってしまう気持ちもわからなくはない。
それに魔法書の指導は、いずれはしっかり学んでもらわなくちゃいけないけど、今日はメインではないので問題はないだろう。
無理をして明日以降に倒れるなんてことになるのが一番困る。
約束通りジャスミンさんを起こしておいてくれたベルさんにお礼を言っておく。
「ベル様、ありがとうございました」
「う、ううん……このくらいは」
「ベル様は体調は大丈夫ですか?」
「へ……?」
ベルさんは一瞬、首をかしげる。
しかし、すぐに久しぶりに魔法を使用した影響が身体に出ていないかを私が心配していると気づいてくれたらしい。
「たぶん……いつもよりは、疲れてるけど……」
「無理はしないでくださいね? 今日は早く寝たほうがいいかもしれないです」
「ん、そうする……」
ベルさんはまだ13歳で育ちざかり。
身体も魔力も成長段階なので、一番気をつけないといけない。
隣のジャスミンさんを見ると、くあとあくびを零しているところだった。とはいえ、先ほどよりは目も開いていて、意識もはっきりしているみたいだ。
「では、今日はこれでおしまいです。また明日からもがんばりましょう」
指導用の魔法書を抱えて、私はダイニングをあとにした。
その後、自分の部屋で今日の振り返りをしたり、魔法書を読んだりして夕飯までの時間を過ごす。
それからどのくらいが経ったか。
窓の外では太陽は完全に落ち、夜が訪れようとしていた。
そろそろダイニングへ向かおうかな。そう思って読んでいた魔法書から目を離して伸びをする。
と、ドンドンとドアがやや乱暴にノックされた。誰かが呼びに来てくれたのかもしれない。
「クロエ! ご飯だよー!」
ドアの叩き方でシラユキさんやベルさんではないなと思っていたけど、どうやらジャスミンさんが迎えに来てくれたらしい。
少し急いでドアを開ける。
予想通り、というか声の通りジャスミンさんがドアの前で待っていた。
「わざわざありがとうございます、ジャスミン様」
「いいのいいの! さ、ご飯行こ!」
「はい」
鼻歌混じりでご機嫌のジャスミンさんとダイニングへ向かう。
睡眠をとったことで、ジャスミンさんも調子も元に戻ったみたいだ。夕飯が待ちきれないと足取りは軽やかだった。
途中、ジャスミンさんがばつが悪そうに苦笑しながら私に言う。
「いやー、クロエ、ほんとに寝ちゃってごめんね」
「あ、いえ。本当に気にしなくていいですから」
「起こしてくれても良かったのに」
「お疲れの様子でしたから。ベル様も寝かせてあげてと」
「ベルが?」
「はい」
「そっか……ベルに気を遣わせちゃったかな」
ジャスミンさんの声のトーンが落ちる。
妹に気を遣わせてしまったと反省しているのかもしれない。
シラユキさんもそうだけど、やっぱりお姉ちゃんとしては妹にはいい格好を見せたいのだろう。気持ちはわからないでもないけど、無理はしてほしくない。
「ジャスミン様」
「ん?」
「本当に無理はしないでくださいね。その……なんていうか、色々あったと思うので」
具体的に口に出してしまうことは、なんだか憚られてしまったので、後半を濁してしまった。
だけど、ジャスミンさんには十分以上に伝わったらしい。
「あは、ありがと」
自嘲するみたいに薄い笑みを浮かべてジャスミンさんが言う。
「うん。わかってるつもり。ユキちゃんやアーちゃん、ベルにもこれ以上は余計な心配とか迷惑はかけたくないからね」
地竜の騒動の責任を感じて、自分は姉妹の誰よりもがんばらないといけないと思ってしまうのは仕方がないことだと思う。
そして、それで無茶をしてしまわないかと私は心配していた。
だけど。
「でもね、今はアタシ自身ががんばりたいなって思ってるの」
明るい表情ではっきりと告げるジャスミンさん。
その顔を見て私ははっとする。
私が――もしかしたら他の姉妹も――思っている以上に、ジャスミンさんはすでに前を向いているのかもしれない。もちろん、してしまったことはなくなるわけではないから、忘れてしまっていい、というわけではない。
それを踏まえたうえで、ジャスミンさんは自分の意志でがんばろうと、魔法を学ぼうとしてくれていたのだ。
「今日も言ったけどね、アタシはクロエみたいになりたんだよ」
「私みたいに」
「うん。カタリナと戦ってるクロエ、本当にカッコよかった。アタシもクロエみたいになりたい。だから、魔法も勉強しようって思ったんだ」
珍しい、と言っては失礼かもしれないけど、真面目な表情で語る。
そして照れたようにはにかんで、表情を崩す。
「まぁ、今日は魔法書の授業を寝ちゃったんだけど」
「それはもう気にしなくていいです。それ以上に、こうやってジャスミンさんの心の中を聞けて嬉しかったです」
「な、なんか恥ずかしいかも。あはは……」
ぽっとわずかに染まった頬を掻きながら、ジャスミンさんは「にしし」、と悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「だから、明日からもアタシたちのことよろしくね、センセ!」
「ッ……はい、私にできることがあれば、なんでも」
「さ、ご飯食べよ!」
ジャスミンさんがダイニングの扉を開く。
中ではすでに三人の姉妹が席に着き、ティナさんが準備を進めていた。
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