79.シラユキと『長女』
「制御、できない……?」
シラユキさんから告げられた言葉があまりに唐突で、思わず聞き返してしまった。
そんな情報は聞いていない。
またシラユキさんは指導をサボろうとして……いや、違う。
視線を伏せているシラユキさんの様子は、どう見ても冗談を言っている人ではない。
何より、さっきシラユキさんは自分から私の指導を受けると言ってくれたのだ。それにファミリアとなった以上は自分勝手は許されない。
長女のシラユキさんならわかることである。
つまり、シラユキさんが魔法を制御できないというのは本当で。
未だに半信半疑の私に、シラユキさんはポツリと肯定する。
「……あぁ」
その声色はまるで、がらんどうに響くみたいに虚しく、寂しい。
「もしかして、それでシラユキ様は自分よりも妹を優先するよう、私に……」
「そう、だね。それもある。嘘じゃないし、間違いじゃない」
力なく薄っすらと笑みを浮かべて、シラユキさんがわたしに言う。
「でも……一番はカッコ悪いところを見せたくなかったのかもしれないね……ボク自身も含めて、失望させたくなかったのかもしれない……」
「失望だなんて」
「あはは、クロエはね。でも、多くの人はそうじゃない。ボクは多くの人の期待を裏切ってしまった」
アポロンのギルドマスターの長女であるシラユキさんへかけられた期待の大きさは、計り知れない。
普通の人が一生で経験するかさえわからないような期待を生まれた瞬間から、シラユキさんは背負っていたのだ。
「信じてくれないかもしれないけど、ボクだってこれでも、昔は魔法が好きだったんだよ?」
「そう、だったんですか……」
「あぁ。母上のようになりたかった。だけどボクは制御ができなくて失望されてしまった。それに、そんなボクのせいで妹たちまで悪く言われているのも聞いたんだ」
「え……」
「ボクのせいで妹たちには嫌な思いをさせてしまっただろうね……」
シラユキさんが魔法を嫌いになった理由、使わなくなった一番の理由はこれなのだろう。
自分が期待を裏切ってしまった、お母さんのようになることはできないと感じてしまったということも少なからずある。
でも、魔法を使わないと決断したのは、妹さんたちを守るためだったのだ。
きっと幼いシラユキさんは心無い言葉をたくさん浴びせられた。
それなのに自分よりも妹さんのことを優先させたのだ。
シラユキさんが魔法を使わなくなれば、きっと才能がないから逃げたのだと、努力を怠っているのだと厳しい言葉をかけられるのは想像するに難くない。
それでもシラユキさんは……。
「母上が生前、良く言っていたんだ。お姉ちゃんなんだから、妹たちのことをよろしく、と」
「だからシラユキ様は私に何度も言ったんですね」
「母上はいつもボクに優しくしてくれた。だから僕も母上の期待に応えたかった。姉らしく、妹たちのために」
シラユキさんは年齢的にもお母さんと接することができた時間が一番長い。当たり前のことだ。
でも、だからこそシラユキさんは自身がお母さんに優しくしてもらったことを、妹さんたちに返してあげたいと思ったのかもしれない。
それで病的と言いたくなるほど、自分よりも妹たちを優先して指導するよう私に言うようになったのだ。
「魔法を使うことができないボクが姉として妹たちのためにできること。悩んで考えて苦しんで、邪魔をしないことくらいしか思いつかなかった」
「そんなことは」
「あるよ」
弱々しく微笑みを湛えるシラユキさん。
「実際、ボクはジャスミンのことで何もできなかった。クロエに頼ってばかりで」
「そんなことは」
「あるさ。ボクがしたのはクロエに頭を下げたことくらいで、結局ボクは姉として何もできていない。母上との約束を守れていない」
ははは、とわずかにシラユキさんは寂しげに口元を緩める。
自分自身に自嘲しているみたいだった。
「お姉ちゃんらしく、なんて、こんなに情けないボクが気にしても、今更何をって感じだけれどね……」
「シラユキ様……」
「そういうわけだから、妹たちを優先的に指導してくれないかな」
今回の、この時間に私のところにお話をしにきたのは、こういう理由だったらしい。
謹慎明けから始まるファミリアとしての姉妹への指導で、自分への時間は最低限でいいということだろう。
だけど、それは契約と反する。
「それはお断りします」
「は?」
私の返事に、シラユキさんは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「クロエ、ボクの話を聞いただろう」
「はい、聞きました」
「だったら、ボクよりもアリエルやジャスミン、ベルに時間を割くべきで……」
「何を言われても私は自分の方針は変えません。私が指導をお願いされているのは二人でも三人でもなく、四人です」
「どうして……せめてこのくらいは、ボクに姉でいさせてくれないかな」
シラユキさんはずっと自分の能力、才能と姉妹とを比べて、それでも自分がそれ姉としてどう在るべきか悩んできたに違いない。
でも、シラユキさんやお母さんが言う「お姉ちゃん」とはなんだろう。
私にはいいお姉ちゃんが分からない。
何か基準があるわけではなくて、それを決めるのはきっと、シラユキさんの場合はアリエルさん、ジャスミンさん、ベルさんだ。
この一か月くらいの間、私は姉妹のことを見てきた。
もちろん、シラユキ様が三人の妹にどのように接してきたかも。
私はそれを、シラユキさんのお母さんが見てガッカリしたり、悲しんだりするとはとても思えない。
「シラユキ様」
「……?」
「シラユキ様は、十分にお姉さんしていると思います」
「ボクが?」
「はい。私には少なくともそう見えます」
「まさか。お世辞はよしてくれ」
「ほんとですよ。だって、今だって妹さんたちのことを一番に考えているじゃないですか」
「それは、そのくらいしかボクにできないからで……」
「誰かのために頭を下げることなんて、簡単にできることじゃないです。今みたいに自分のコンプレックスを打ち明けることだって」
シラユキさんは私の言葉が意外だったのか、それともまだ受け入れられないのか。
目を大きくさせて、私を見つめていた。
「長女として本当に大変だったと思います。でも、私はガッカリなんてしません。むしろ私は一人っ子だから尊敬しています」
「クロエ……」
「私だけじゃないです。アリエル様もジャスミン様もベル様も。絶対にシラユキ様の味方です」
これだけは絶対の確信をもって言い切ることができた。
シラユキさんの心に届くよう願いながら、微笑みかける。
「シラユキ様は、ちゃんとお姉ちゃんできてますよ。私が保証します」
「……ありがとう」
「あ、でも。困ったら遠慮なく私を頼ってくださいね!」
私はシラユキさんの妹じゃなくて先生。
私を頼るのはお姉ちゃんだとしても、別に恥ずかしいことじゃないはずだ。
「うん……ありがとう、クロエ」
シラユキさんはきっと、今まで頼れる人はいなかったんだろう。
妹たちに弱いところを見せまいとがんばって、それでも陰ではこうして落ち込んで。自分を責めて。
お母さんが亡くなってからは、誰にも相談もできなかったに違いない。
そう思うと、私は思わずシラユキさんの頭に手を伸ばしていた。
「く、クロエ……?」
突然のことに驚くシラユキさん。だけど、私は構わずそのサラサラの髪をゆっくりと撫でる。
「な、なにを」
「あはは、すみません」
「いや、謝らなくてもいいけど……」
「嫌ですか?」
「嫌、ではない……」
シラユキさんは頬を少し染めて、照れたように視線を俯けた。
私が年下ということもあるし、シラユキさんは随分とこんな甘やかすようなことをされなかったから、慣れていないのだろう。
最も年下のベルさんは13歳だから、シラユキさんは自分がすることが多かったはずだ。
だけど。
いつもは私がシラユキさんにからかわれているので、しおらしい様子のシラユキさんは新鮮だった。
王子さまのような立ち居振る舞いとのギャップもあって、愛らしく感じる。
きっとアリエルさんも知らないシラユキさんの姿。
……よし。
私は嫌がっていた割には大人しくなってくれたシラユキさんの方を掴んで、私の膝の上に寝転がらせた。いわゆる、膝枕というやつである。
「えいっ」
「わっ!?」
私の太ももの上に寝転がったシラユキさんが大慌てで抗議する。
今までに見たことのない表情だし、ほっぺたが真っ赤である。
「ちょっと、クロエ。さすがにこれは」
「いいじゃないですか。今日はとことん、シラユキ様のことをいたわります」
「でも、妹たちが見たら」
「大丈夫です。誰も来ないですよ」
「……うぅ………」
それから少しの間。
私はシラユキさんの髪を撫で、シラユキさんは静かにして時間が過ぎていった。
「……クロエ」
「はい」
「その、このことは誰にも……」
長い髪の毛でシラユキさんの顔を見ることはできない。だけど、銀色の髪の隙間からわずかに見えている耳が真っ赤に染まっていた。
やっぱり姉としては、この姿は誰にも――特に妹たち――見せたくないらしい。
「わかってます。誰にも言いません。もちろん、妹さんたちにも」
「……ありがとう」
お読みいただきありがとうございます。
今回のお話で第一章は完結となり、次回から第二章が始まります。
クロエと四姉妹、新生ファミリアとしての日々がスタートです。
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