51.ベルの提案
「あの、ありがとう……」
メリダのお店からお屋敷へ戻る途中、ベルさんが不意に口を開いた。
小さな声だったので前を歩いている私は危うく聞き逃すところだったけど、行きと同じく人通りの少ない静かな道を選んでいたのが幸いした。
「いえ、お礼を言われるようなことは何も」
今回、私はベルさんに本を買ったわけじゃない。ベルさんが嬉しそうに抱えている物語の本はメリダがプレゼントしてくれたものなのだ。
私の魔法書とシャルをメリダに見せることと引き換えとはいえ、ベルさんが今まで本を読んできたからこその結果だ。本好きの気の合う者同士、メリダも話して楽しかったからベルにプレゼントしようと思ったのだと思う。
「で、でも……連れていってくれたし」
「それは約束でしたから。メリダも言ってましたけど、その本はベル様とメリダが仲良くなった記念なんですから、私は何もしていませんよ」
「そうかもだけど……その、えっと」
目を泳がせながらベルさんはもじもじと両手の指先を合わせる。
何か私に伝えようとしているのか、口を開くもののもごもごと唇が動くだけで何も言葉は出てこない。
「ベル様、どうかしました?」
「へっ!?」
「なんだか様子が変っていうか、そわそわしてるっていうか」
「いや、その……それは……」
走り回っているジャスミンさんならともかく、普段落ち着いているベルさんがこんな浮足立っているのは珍しいと思う。
本が読みたいだけ、だろうか?
いやでも、メリダのお店を出てからすぐは普通だったし……。
言い出しづらいことなんだろうか。何だろう。
はっ!
もしかして。
「お手洗いですか?」
「ううん、違う……」
すぐさま否定される。
あ、あれぇ?
この感じだとそう思ったんだけど、違ったらしい。
「……ねぇ」
「はい?」
「クロエ!」
「!?」
急に名前を呼ばれたのでびっくりして、背筋を正してしまった。
一方のベルさんは、やや顔を俯けてちらちらと恐れながらといった様子で私を見ていた。
「って、呼んでもいい……?」
「は、はい、それはもちろん」
いきなりのことで驚きはしたものの、名前で呼ばれるくらいは何の問題もない。
というか、他の姉妹たちからは許可などなくとも呼ばれているし、なくても呼んでもらって構わないのである。いや、アリエルさんからは「お前」しか言われていないかも?
アリエルさんのことは今は置いておくとして、ベルさんからも呼ばれたことってなかったっけ?
今までのことを思い出してみると、たしかにベルさんからは「ねぇ」とか、そんな感じが多かった気がした。
「それでね、クロエ……」
「はい?」
「……しい、かも」
「え?」
「ま、魔法書のこと教えてほしいかも……」
「はい、私でよろしければ……って、えぇ!?」
「そんなに、驚かなくても……」
「いやだってベル様」
魔法書を教えてほしいってことは、魔法について学びたいと言っているようなものである。
本は好きでも魔法書は読まないと言っていたベルさんが、まさか自分から魔法書を教えてほしいだなんて……。これが驚かずにいられるだろうか。いや、いられない。
「ど、どどどうしてですか? 急に魔法書なんて」
「ダメ?」
「ダメじゃないです! でも、魔法書は嫌がってたから、どうしてかなと」
「メリダちゃんがね……?」
「メリダですか?」
コクッとベルさんはすぐにうなずく。
「魔法書もけっこう読んでみたら面白いって。物語っぽいものも、あるんでしょ……?」
「少ないですけど、確かにありますよ」
「それと、魔法の知識があれば、その分読み方、感じ方変わるかもって」
「ベル様……」
「アリエル姉様みたいに剣は振り回せない、けど、読むのはいいかもって思ったの」
たしかに、ベル様の性格や今までの暮らしから体力を考えると、いきなり実技的な練習は避けておいた方がいいと思う。
アリエルさんやジャスミンさんはそっちのほうが向いているかもしれないけど、ベルさんには座学をメインで指導をしたほうがよさそうだ。
「わかりました! ではさっそく明日から魔法書についてお教えしますね!」
「いいの!?」
「当たり前じゃないですか。私はベル様たちの指導役なんですから」
「あの、メリダちゃんのところも、また連れていってくれる……?」
「もちろんです! メリダも喜びますし!」
ちょうど今日、四姉妹のための魔法書を買っておいてよかった。さっそく出番がありそうだ。
ベルさんが魔法書をしっかり学んでくれて魔法の知識が深まったら、メリダのお店に行く機会も自然と増えていくだろう。メリダは魔法書の知識も多いので、さらに二人の仲は深まるだろうし。
それに魔法のことなら私も二人の会話に混ざることができる。
正直、今日は少し寂しかった。
とりあえず明日は基礎からになるだろうか。でも、四姉妹とも冒険者として登録はされているみたいだから、多少の知識はあると思う。ギルマスの娘だし、特にベルさんは本での知識もあるだろう。
まずは把握からかな。
そんなことを思いながらお屋敷へ戻っていると、途中で見知った顔を見つけた。
「あれ?」
「ど、どうしたの……?」
私がふいに足を止めたので、ベルさんが不思議そうに首をかしげる。
「あそこにいるの、アリエル様じゃないですか?」