2011年GW・奈良和歌山宮島旅行Ⅳ
「おい、無茶旨そうなきんつば売っとるぞ」
「食べてみたい」と嫁。
ここが食通に有名な飛鳥藍染織館だった。バラ売りで一個百円。小豆きんつばを二個買って分けあう。俺は病気だから一人で一個は多過ぎる。
ちょっと歩いたらタバコ屋があった。ちょうどいい。煙草仕入れとくか。
3月の東日本大震災でJTが被災したためほとんどの銘柄が生産中止になった。俺はキャビン・スーパーマイルドの一日十本スモーカーだが、無いものは仕方ない。同じ6ミリのラーク・スーパーマイルドに切り替えた。だが、この外国産煙草でさえ売り切れのコンビニが多く、小倉で普通に買えるのはセブンイレブンだけだ。
こんな村のタバコ屋にあるか不安だったがラッキー、ちゃんとあった。
オヤジにパスポを借りて、落ちてきた煙草を見て、「オヤジこれパッケージ違うで」
「ああ、そりゃ前の箱のデザインや」
「ありゃほんとや。確かにキャビンスーパーマイルドじゃ」
――村にゃあんまり煙草吸う奴ぁおらんのやな。いらん心配やと言われそうやが、これでオヤジ飯食って行けるんか?
辻辻に道標が打ってある。
――左に行ったら飛鳥板蓋宮跡か…
目的地は道標にあった飛鳥寺だ。
「まだ飛鳥寺見えんとか。きちぃぜ。何か飲みてぇ」
「もうちょっとって思うよ」と嫁。
「あそこで休憩しようぜ」と入った建物は飛鳥民族資料館だ。モニターには斉明天皇が小判形石造物と亀形石造物で身を浄め儀礼を行う姿がCG化されて流されている。飛鳥の古代史は底が深い。記紀の記述だけでは分からないことが多過ぎる。その内の一つが酒船石だ。遺跡発掘現場のような土地で団体が何やら熱心に覗き込んでいる。ふと横を見たら酒船石遺跡の入場受付があった。
「何か金掛かるんか」
俺ら家族はこの有料施設はパスだ。どうせ飛鳥寺でも拝観料を取られるに決まっている。
飛鳥寺が見えた。俺は杖を早足で動かす。横をバスが通り過ぎる。
「何かこの道はバス路線か。そう言えば所々にバス停があったな」
嫁が、「結構遠くまで歩いたよ。帰りはバスに乗ろうよ」
「あぁ俺も正直疲れたわ」
「飛鳥寺の前にもバス停があるよ」
有名な寺にしては寺域が狭く、門もその辺の名もない寺と変わらず、歴史を感じさせない新しさだ。その辺の金持ちの篤志家が建てたような雰囲気だった。例によって、俺は寺に入る前に立て看板の案内文を食い入るように読む。文字は住職の自筆らしかった。こんなのは珍しい。
飛鳥寺は乙巳の変で宗家が滅んだ蘇我氏の氏寺で、開基は馬子だ。
門の手前に土産店。門を入ってすぐ拝観料を払って下履きを脱ぎ、飛鳥大仏が鎮座されているそう広くない本堂に上がる。参拝客が正座して、僧侶の大仏の由緒に関するありがたい話を畏まって聞いている。話が終わって団体が吐き出されると、俺ら家族も板壁のすぐ前に正座して別の僧侶のありがたい話に耳を傾ける。
「この飛鳥寺は12世紀の火災で焼失してしまい、創建当時の五重の塔を中金堂・東金堂・西金堂が囲む壮大な伽藍は見る影もありませんが、現在の飛鳥寺本堂の建つ場所は蘇我の馬子が建てた中金堂の跡地で、大仏様も補修が甚だしいとは言え、飛鳥時代と同じ場所に鎮座されております」
僧侶は鞍・作・鳥と三文字を書いた短冊を掲げて、「これは『くらつくりのとり』と読みます。この飛鳥大仏を作った百済から渡来してきた仏師の名前です。飛鳥時代、百済から多くの技術者が渡って来て住んでおり、彼らは母国の都の風景をこの飛鳥の地に重ねて見ていたことでしょう」
飛鳥寺の廊下には貴重な文化財が展示されていた。一通り見て回って庭に下りる。寺の築地の向こうには畑地が広がる。もしかしたら開発が禁止されている明日香村の風景は飛鳥時代とそう変わらないかもしれない。僧侶の話が反芻される。この同じ景色を百済の人達も見ていたのかもしれない。
庭の一角が一段高くなって万葉の歌碑があった。俺は家族と離れて前に佇み、万葉の昔を偲ぶ。
寺の門を出て時計を見たらもう4時を過ぎている。
「帰りはバスじゃ」と飛鳥寺前バス停の時刻表を見たら何ともうバスが無い。
「何かもう終わったんか。えらい早過ぎるでぇ」
嫁が、「どうするん?私歩くん疲れた」
「そがん言うたっちゃしょうあるめぇ。歩くしかねぇぜ」
チェックインはご主人が迎えてくれた。受付は厨房と一緒になっていて、宿の奥さんが中から差し出した宿帳の記入は嫁に任せる。