2011年GW・奈良和歌山宮島旅行Ⅱ
あの言葉づかいは大阪人か。俺らの前を通り過ぎ間際、「このボケが!事故りやがって。迷惑すろうが。死ねや」
トンネルの手前の路側帯は広かった。三台駐車しても走行車線の流れを妨げずほっとする。サーフの運転手は広島の三次の養鶏場の農場長で、奥さんと大阪に行く途中。MPVの運転手は福山市の木材会社の社長で神戸に居る息子さんに会いに行く途中だった。
サーフの運転手は小まめな性格のようで、色々と事故を検証し、保険会社に詳細に伝えている。俺とMPVの運転手の免許証をノートに控えて、自分の住所と電話番号を書いたノートのページを破って渡す。二人が俺に名刺を渡すものだから、俺だけ知らぬ振りする訳にもいかず、財布から名刺を取り出す。
俺はMPVの運転手に、「誰も好き好んで事故る者は居らんでしょうが、不思議なもんですね。事故らんやったら一生互いに名前も住所も知らん間柄やったやろうし…」
まさに袖触れ合うも多少の縁だが、二人が良識ある普通の人で良かった。汚れと知り合いになるとこっちも構えて応じなければならず疲れるし、下手したら喧嘩になる。喧嘩になっても被害者である俺は絶対に引かないだろう。
事故処理の警察が来る前、被害者である俺だけが言えることを提案した。
「今回の事故は物損だけということで片付けましょうや」
事故処理はその場でスムーズに終わった。事故ったのは9時前だったが、警察の来るのが遅く10時を回っていた。
俺たち家族はサーフに寄って行って、「すいません。私たちはもう行きます。幸い車が軽傷で済んだので」
「どうぞ。後で保険会社から連絡が行くと思いますので」
「分かりました。では事故に気をつけられて」
「この事故跡じゃ格好悪くてどこも行けません。倉敷に帰って大人しくしときます」
MPVの運転手にも暇乞いをした。
「じゃ私たち奈良に発ちます」
「そうですか、お気をつけて。私はJAFを待ちます。あと30分掛かるそうです」
俺はしみじみ思った。
――あの腐れベンツにオカマ掘らんで良かったぁ。
「さぁて気取り直して奈良まで一気に行くか」
「ほんとあのベンツに当たらんで良かったね。腕よね」
「あぁ、俺は滅多なことじゃ当たらんぜ」
「私が運転しとかんで良かったぁ。絶対当たっとったよ」
走り出して、ふと俺はパイオニヤのナビに目を遣る。地図になってない。
――あれっ、おかしかな。ずっと地図にしとった筈やけど。
「ちゃん(息子)音楽掛けろや」
「父ちゃんナビ動かんよ」
俺の目が点になる。
「なんて?動かん!」
俺ら家族が普通に車で関西まで走れるようになったのは全てナビのお陰だ。大阪の複雑な高速の立体交差もナビがあるから間違えずに済んだ。それまでは連休中に遠出しても鳥取・島根・広島・鹿児島・宮崎までだった。7年前思い立って京都に行ったが、車で行くのが不安だったので新幹線で行った。
予約した明日香村の民宿・若葉もナビ無しではチェックインまでに着く自信がない。今さら地図を手に眺め眺め行くなんて…どれ程時間が掛かるか分からない。
「どうするん?」
嫁が不安な顔で俺に訊く。
「ちょっとSAに寄って弄くってみるわ」
俺は直ぐのSAに入った。どんなにタッチパネルや釦を押してもうんともすんとも反応しない。
――まてよ、DVDなら再生するかもしれんな。兎に角この画面が変われば何とかなるんやねぇか。
恐る恐る挿入した。音声が出た。
――やった!画面が変わった。
タッチパネルを押しても直ぐには反応しなかったが…う、動いた。
「父ちゃんやったやん」
「また固まるかもしれんばってんもう弄らんでこのまま奈良まで行くぞ」
山陽自動車道―名神自動車道―近畿自動車道―西阪奈自動車道を経由して橿原市に入った。今走っているこの高架を下りるまでは前回と同じように酷い渋滞を耐えて抜けねばならない。
橿原考古学博物館の案内板があった。明日香村の方向だ。時刻はお昼、チェックインは4時だから十分な見学の時間がある。ちょっと行ったら餃子の王将があったのでここで腹拵えだ。久し振りに食う王将の餃子は美味かったが、俺の前の席に顔付きの悪い鳶職風の男が仲間と飯を食っている。
――くそっ!正面に目向けられんやねぇか。胸糞悪ぃ面じゃ。早出ろちゃ。