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旅日記  作者: クスクリ
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2011・12年末年始・香川でホームレスⅡ

 当時のお袋さんの、俺といざこざがあったときの口癖は「離婚させる」だった。そんなら、初めから結婚なんかさせるなと言いたい。嫁は難聴の二級(難聴は二級が一番重い)だ。親父さんは嫁が二十歳のとき悪性リンパ腫で亡くなった。それ以来この4人家族はお袋さんを家長に肩寄せあって生きてきた。特に、障害者の嫁に対しての家族の情は異様に強かった。言うなれば、今の俺は平和に暮らして来た惑星に侵入してきたエイリアンだ。

 玄関扉を潜った俺にエキサイトしたお袋さんの会話が聞こえてきた。親戚中に電話して俺の悪口を言いふらしていた。言葉の端々に離婚させる離婚させると出てくる。その度に俺はびくっびくっと身の竦む思いがした。お袋さんの俺への応対は冷徹で縦横無尽に強権を振り翳す。

「申し訳ないですが私たち家族はもうあなたとやって行けません。離婚してもらいます」

 俺は小さくなってただ聞くしかなかった。

「だいたい私は結婚させるつもりはなかったんです。姉さんがいい人だからと薦めるから仕方なくお話をいただいたんです」

「ヤスコは私がずっと面倒みて私が死んだらフミオが面倒見る約束ができてたんです」

 ――ならせっかく両親揃って生まれてきたちゃん(息子)な1ヶ月で父無し子か、悲哀の極致やな。

 まぁ俺も結婚できるなんて夢想だにしてなかったから今なら初めから縁がなかったと諦められる。これから先のお袋さんとの交渉は嫁の気持ち次第だ。俺への気持ちが強ければいずれはお袋さんの呪縛からは解放されるだろう。

 お袋さんに輪をかけ、義妹のマユミも俺に辛辣だった。

「もう二度とうちの敷居跨がないで!」はキツかった。

 俺は、「暫くうちで預かります。あなたたちは小倉で頭冷やして来なさい」というお袋さんの言葉に一切抗うことができず、すごすごと小倉に引き返すしかなかった。


 さてこれからどうするか、小倉に帰った俺は頭を抱える。嫁次第だが、観察していたらお袋さんに同調する気はなさそうだ。猪町の親父に電話したら、任せろと飛んで博多まで出て来てくれた。親父お袋と4人、平身低頭謝って何とかちゃんを取り戻した。

 それからも意気軒昂なお袋さんはことある毎に俺らの生活に口を挟んでくる。お袋さんに洗脳されている嫁は俺とのことをまるでスパイの如く報告する。俺が傍にいても全くお構いなしだった。

 そして、2歳になったちゃんが嘔吐下痢症で1週間北九州総合病院に入院したとき、お袋さんとの最大の諍いが起きた 。原因はもう忘れたが、嫁は例の如く漏らさず連絡し、お袋さんが看病に飛んで来た。

 どうしてここまでこじれてしまったのか、15年前のことがどうしても思い出せない。結婚して新居に選んだのは会社まで車で5分の7階建ての賃貸マンションだった。間取りは3DK。六畳の居間のテーブルを挟んで俺はお袋さんと差し向かう。お袋さんは当然の如く離婚話を蒸し返す。その日のお袋さんはこの俺がよくここまで迫力を出せるものだと感心するほどの高圧的な態度だった。

「私が女だと思って嘗めとりゃせんね。私は主人が死んで十数年女手一つで子供3人育てて来たんよ。青二才のあなたに嘗められるような私じゃないのよ」

「とにかく離婚させます。明日福岡に連れて帰りますからね」

 ――くそっ、何なんやこのババアは!いったい俺の人生ばどげんしてぇんか。

 俺は嫁の表情を伺う。俺と口を利こうとしない。洗脳された人間特有の顔だ。

 ――この顔か!あんときの顔だ。

 14年前、人生唯一の彼女だった紀子の家に気軽に電話を掛けた俺は、お袋さんに唐突に別れを切り出され、真っ青になって彼女の家に乗り込んだ。突然やってきた招かれざる客の俺を前にした、あのときの紀子の表情と同じだ。忘れたい悪夢が甦る。


 お袋さんと布団を並べて寝る嫁を起こした。

「お前ほんとに俺と離婚するつもりか」

「明日お母さんと福岡に帰る」

 ――くそっ!

 居た堪れなくなった俺は部屋を飛び出して、マンション一階食堂街前の歩道で煙草を吹かした。

 ――何辺離婚騒動起こせばあのババアは気が済むんじゃ。消えてぇ奴は消えれや。俺ん知ったこつか。また、独身の若園時代に戻ればええだけじゃ。


 この事件の記憶は薄い。どうやって円満解決したかも忘れた。ただ、猪町の親父お袋、本家の叔父夫婦まで小倉にやって来て元直しに門司港レトロに行った記憶はある。

 もう限界だ。耐えられない。この状況を打破するには嫁の洗脳を解くしかない。さてどうするかと日々頭を悩ましていたところ、後で考えると俺にとってはほんとに都合が良かった鳩事件が隣人との間に巻き起こる。

 俺がベランダに置いていた四駆のタイヤの中に数羽の鳩が巣食っていて、小倉にやって来たお袋さんがベランダを掃除してタイヤを動かしたら鳩が驚いて隣に逃げ込んだらしい。隣人は俺のお客さんだ。車を売ったとき、お客さんはスーパーの前で野菜屋をしていて、俺が今度結婚することとまだどこに住むか決まってないことを話したら、横の部屋が空いてるからそこに住めばいいやんとここを紹介してくれた。

 鳩が逃げ込んだとき、お客さんはベランダで爪切りしていたらしく、奥さんが言うには主人が鳩を捕まえて捨てに行ったとのこと。会社に居た俺に奥さんから激しい苦情の電話が掛かってきた。

「どういうことですか?奥さん鳩を私の部屋のベランダに追いやったんですよ。何か私たちに恨みでもあるんですか?」

 俺はこの隣人とは俺のお客さんの中でも特に親しい関係だと思っていた。互いの部屋も家族ぐるみで行き来した仲だし、子供も俺になついていた。その奥さんからこんな電話が会社に掛かってくるなど全く思いがけないことだった。

 奥さんは俺に畳み掛ける。

「私たちはもう長年このマンションに住んでいて住民同士仲がいいんです。あなたたちはその平穏を乱します。ここから出て行って下さい。もし出て行かないならみんなで排斥運動しますから」

 俺は嫁に事の次第を問い質した。

「別にわざとやった訳やないよ。お母さんがタイヤ動かしたら鳩が隣に逃げたんよ」

「向こうがお前を名指ししとるんやからとにかく俺と一緒に謝れ」

「嫌!鳩が勝手に行ったんやない。私のせいやない」

「俺の仲の良いお客さんや。こんくらいのことちょっと謝れば済むことやねぇか」

「それに奥さん私を見る目が冷たいんよ。何か文句言いたそうなんよ」

「そげなことあるわけねぇ」と俺は取り合わなかった。でも、嫁の感は当たっていた。そうでなければ高が鳩くらいで突っ掛かって来る訳がなかった。

 隣の奥さんは嫁の謝罪を求め、嫁は俺の要望に頑強に抵抗する。そんな隣人との冷戦状態が二ヶ月ほど続いたある日の夜、夫婦が訪ねてきた。この一件で子供が情緒不安定になったとのこと。自分たちも大人気ないと反省したとのことだった。


 事件は落着したが、俺は釈然としない。一度諍いを起こした人の隣に済むのは気色悪い。何より本性を見てしまったから。俺はその夜、歩いて直ぐのセブンイレブンで住宅情報誌を買ってきた。

 この際引っ越そう。そして、嫁のお袋さんには引っ越し先を秘匿する。一石二鳥だ。嫁にはその理由を得々と説明して納得させた。猪町の実家には住所を教えたが、嫁のお袋さんから電話が来ても知らないと白を切り通してくれと重々念を押した。

 このマンションの駐車場は一台分しかなかったのでレース用のパジェロを停めていた。あと、営業用のミニカはその辺にゲリラ的に停めて、パジェロ・V23Cはベスト電気の有料駐車場に、スペースギヤは隣人に紹介して貰った日豊線側の駐車場を借りた。どうした縁か、俺が住宅情報誌で探した借家はデリカの駐車場を見に行ったとき雨宿りをした家だった。本当に奇遇だった。昭和43年築で30年物の古い家だったが、最大の魅力は車が3台停められることだった。


 猪町から知らせてきた。予想通り嫁のお袋さんから問い合わせの電話が何回も掛かって来て、脅迫紛いのことも言われたらしい。俺は電話番号も当然変えた。現在この電話番号は使用されていませんのアナウンスを聞いたときのお袋さんの慌てふためいた顔が見て見たかった。もちろん、直ぐ小倉に飛んできたことだろう。俺らが引っ越したのを知って周章狼狽したことだろう。

 ――ざまぁ見さらせ!俺にも意地があるんじゃ。息子と嫁を質子に取られたような精神状態に置かれてずっと逆らえなかったが、一寸の虫にも5分の魂、窮鼠猫を噛むの実践じゃ。


 邪魔者が居なくなったところで、俺は嫁に車の免許を取らせたりして平和な数ヶ月が過ぎた頃、ほとほと困り果てた親父から連絡がきた。

「あの婆さんしつこかばい。知らんって言うても全然諦めん。絶対知っとる筈って言うて何度も何度も電話掛けてくる。もう教えてもよかか」

 この辺が潮時か。嫁もやっと洗脳が解けたようだし。もうお袋さんの言動に迷わされることもないだろう。その翌日きっちりお袋さんはやってきた。フミオを伴って。俺と2人は玄関で対峙した。フミオが口火を切った。

「こんな子供じみたこと大の大人がやることですか!」

 初っ端からカチンときた俺は裸足で玄関から飛び出すとフミオの襟首を掴んだ。

「貴様弟やろが!誰に向かって偉そうな口利きよるんじゃ」

 俺のこの思い切った行動はお袋さんには相当薬が効いたようだ。それからは少し相手を思い遣ることを覚え、無用な諍いは無くなった。

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