2009年 盆休京都・奈良・高松旅行
少し前までの俺は戦国に凝っていたんだが、韓国ドラマの高句麗ドラマの見過ぎの反動で古代日本に興味を持ってしまった。何とか一作書きたいという願望が迸って歴史小説の書き出しだけはできたんだが、あまりに浅薄な倭の知識のために筆が止まってしまった。古代大和の中心地である奈良県桜井市を訪ねれば某かのインスピレーションが湧くのではとの淡い期待を胸に、俺は盆休を利用して旅に出ることにした。
今年の俺の会社の盆休みはたったの5日間だ。去年は8日間あったのに全然物足らない。京都の定宿、加茂川荘の予約も取れ、14年物の家族の愛車、デリカ・スペースギヤも完璧に整備したつもりだった。
まず、全く効かなくなったエアコンにガスを封入し、ブレーキローターを研磨してジャダーを止め、リヤのショックアブソーバーも2インチアップに対応したストロークのランチョ9000XLの高圧ガスショックに交換した。旅行の一週間前、ベルト鳴きが気になったので思い切ってファンベルトも交換した。締めて、今回の整備料は11万円也。ここまでやれば14年経っているとは言え、デリカは家族の期待に応えてくれるだろう。
もう一つ、旅行に際して気に掛かること。そう我が家の猫軍団だ。総勢7匹!今年2匹生まれて7匹になってしまった。これが我が家が養育できる猫の限界だ。今年のG・W、猪町から帰ったら家の中、散々な目にあっていた。台の上のパソコンは畳の上に落とされ、換気扇は壁から剥がれて油塗れの床に放り出されていた。というのも、5匹を家に閉じ込めて行くより仕様がなかったからだ。屋外では、俺らが“白黒”と呼ぶ野良猫が子猫の頃から数年も居座って、我が家族に無法の限りを尽くしていた。猫軍団の出入口、洗面台の窓を開けっ放しにして出掛けたら何をされるか分かったもんじゃない。
ところが、今年になって異変が起きた。我が家に禍を齎していたあの白黒が突然消えてしまったのだ。ラッキーとは思ったが、何処かで一匹寂しく死んでいるのかもしれないと思うとかわいそうな気もしてきた。あれだけ憎たらしかった筈なのに…。
余談だが、白黒は名前とは裏腹に毛色はシャム猫に近かった。親の毛色が白黒で、その子供なのでそのまま白黒と呼んでいた。今までに二度、6匹の子を生んだが、育たずみんな死んでしまった。俺が手を差し伸べてやれば白黒の子猫が死ぬことはなかったんだろうが、家の猫で手一杯だ。恐れていた猫屋敷になってしまい、ご近所に多大な迷惑をかけてしまう。今俺が言えるのは、白黒には、“謹んでご冥福をお祈りします”ということだけだ。
ということで、今回は堂々と洗面所の窓を開けたまま旅行に行くことができる。子猫2匹は窓の位置が高いのでここから出入りすることは無理だろうが、小さいので家の中で我慢できる筈だ。
8月13日、会社から帰宅したのが8時頃。ETC利用の千円高速は、木曜日の内に高速を走ってさえいれば別に夜中の12時を待ってゲートを潜る必要はないのだが、会社から帰って少しは家で休みたかったので、嫁に嘘を言って、洋画劇場なんか見て12時手前に家を出た。
眠くならなかったら一気に京都までノンストップで行くつもりだったが、やっぱり無理だった。途中で嫁に代わって貰ったが、渋滞に巻き込まれることもなく早朝の7時頃桂川SAに到着した。ここでちょっと休憩して朝飯を食った。
空はどんよりと曇っていたが、陽が高くなれば夏の強烈な陽射しが戻ってくるかもしれないとか考えながら、ふと右の白いアルミホイールに目を遣るとブレーキパットの粉がこびり付いて黒く変色している。見比べるために左に回ると明らかに右が酷い。
俺の脳裏に数年前の悪夢が蘇る。あの時は左のアルミが黒く変色していたが、構わず京都から嫁さんの実家の高松を経由して小倉に戻った。夏は盆を過ぎるとあっという間に終わってしまう。その淋しさを振り払うかのように、8月最後の休日、俺は家族と湯布院へのドライブに出かけた。途中とうとうブレーキが鳴き出した。湯布院の駐車場に車を停めて左のアルミに触ったら火傷しそうに熱かった。そう、ブレーキキャリパーの引きずりだ。
パッドを押すキャリパー内の2本のピストンロットが戻らずにローターに圧着したままになる現象だ。もちろん、パッドは走れば走るほど減って無くなり、残量が1ミリを切ったため鳴き出したのだ。湯布院観光どころではない。下手するとローターまで交換しなくてはならなくなってしまう。何とか近くの工場でパットの裏表を逆にして貰って騙し騙し小倉まで帰った。
まずい!非常にまずい。まだ、旅行の道程の半分も消化していない。小倉に帰るにしても約600キロ。奈良には絶対行きたいし、高松に寄れなかったら、会えるのを楽しみにしている嫁の弟家族、特にお袋さんには何と言い訳すればいいのか。嫌な予感が胸を過る。
ここで悩んでもしょうがない。嵐山までくらいなら行けるだろう。素晴らしい景色でも拝んでゆっくり考えよう。高速を下りて暫く走った後、再び車を降りてアルミに触れたら無茶熱い。もう不安で不安でどうしようもなくなってしまう。
嫁が心配顔で訊いてくる。
「ねぇ大丈夫?高松まで行ける?」
――盆に開いとる修理工場なんかある訳ない。ここでジ・エンドや。高松なんか行けるわけねぇやないか。俺が一番楽しみにしとった奈良まで行くのも無理や。残念で堪らない!
という思いとは裏腹に、「どこか修理工場開いとるかもしれん。ナビで片っ端から探して行ってみるか」
4・5ヵ所回ったが無駄だった。こんなときはガソリンスタンドで情報でも仕入れてみるかと、俺はエネオスに飛び込んだ。
「これはたぶんブレーキパッド無くなってますね。部品屋が休みなんでどうしようもありませんわ」と、がっくりくる返事。でも、スタンドの人は北九州ナンバーの俺らのために頭を捻くってくれた。
「待てよ…この近くにスーパーオートバックスがあるんですが、そこは車検もやってるんでもしかしたらパット置いてるかもしれませんよ」
おっと、これはいい情報だ。確かに通り道みスーパーオートバックスがあったのを覚えている。そこなら、たとえパットが無くてもキャリパー分解してくれるかもしれない。
まだ開店前だった。シャッターが閉まっている。俺は一縷の望みを抱いて待った。その内、掃除のオヤジが出てきたので切羽詰まった顔で訊いてみた。オヤジの返事は期待通りのものではなかったが、一応現場に話を通してくれて、何とか見てみましょうとのこと。
ここのオートバックスはデカかった。小倉の西港のスーパーオートバックスの優に3倍はある。店員の話しによると、日本で二番目の大きさとのこと。何と喫茶店まで備えているのにはびっくりしてしまった。
地獄で仏とはこのことだ。俺らは快適な待合室で珈琲をゆっくり味わいながら、ガラス越しに修理の進捗を見守った。
思った通りキャリパーのピストンロットが1本癒着して戻らなくなっていた。しかし、パットはまだ半分残っているとのこと。これが分かっただけでも儲けものだ。もしかしたら、癒着したままでも小倉までくらいなら帰れるかもしれない。
整備士は、「何とか引きずりだけは解消されるでしょうが、左に比べて右が重いので注意して乗って下さい」とのこと。これで心の重荷も取れて俺ら家族は晴れやかな気分で嵐山に向かった。
桂川の清らかな流れにかーっと照り付ける太陽、盆地特有の蒸し暑さに京都に来た実感が湧く。嵐山に着いたのはちょうど昼時、お決まりの亀山家で昼食。視線の先の桂川には保津川下りの川船が続々と到着する。俺らの横には国際結婚カップルが二人の娘と昼食中。
桂川の涼に誘われてボートに乗ってみたくなる。渡月橋から延びる道を散策した。やっぱり、日本有数の観光地・嵐山だ。人が多い。竹林の道まで行きたかったが、額からは滝のような汗。粘って歩いたが、暑くて堪らないと嫁が煩いので止めた。