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旅日記  作者: クスクリ
18/32

2011年盆休・広島Ⅰ

 夜は昨日ほどじゃないがぐっすり眠れた。朝から強烈な陽射しがフロントガラスに照り付ける。嫁は俺がうとうとする間にSAの洗面所で朝支度を終えていた。俺も息子を引き連れて洗面所で歯を磨いて顔を洗う。朝飯はちょっと贅沢してレストランの方で朝定食。吉備SAから広島まで約200キロ、そう言えば5月の連休もここから宮島に向かった。


 広島インターの出口で、右折したら安佐南区かとふと脳裏を過る。まだ開通区間は20キロくらいだが、やっと広島市も都市高速の高架が目につくようになってきた。神戸以西では人口百万を切った北九州市にもあるのに人口111万の広島市にないのはおかしいとは思っていた。

 広島新交通システム高架下の幹線を走る。確かこの交通システム工事中に信号待ちしていた数台の車の上に桁が落ちてきて何人か亡くなった。痛ましいことだ。

 左手前方に広島城が見えた。辺りは公園として整備されている。ご存知の通りこの城は賤ヶ岳7本槍の猛将・福島正則の居城だ。正則の晩年が不遇だったのは三成憎しだけで豊臣家を裏切った報いか。

 ナビの指示は広島城を左折してすぐ右折だ。太田川沿いを下ると見えた、原爆ドームだ。結構な人出だ。公営駐車場らしきものがない。

 ――こりゃ駐車場に一苦労するな。原爆ドームから少しずつ遠ざかる。コインパークは数ヶ所あったがどこも満車だ。ゴールデンウィークの宮島並みだ。

 長崎県は南北に長く、北部の北松浦郡に住んでいた俺は、長崎市には1・2度ほどしか行ったことがない。それも遠い記憶だ。猪町小学校の見学旅行かも。右手を空に伸ばす長崎平和記念像を見上げる俺が見える。

 広島・長崎に行って原爆の悲惨な写真、遺品を見た人は口を揃えて言う。この世の地獄の光景を見たと。目頭が熱くなって涙を禁じ得なかったと。俺は長崎県人でありながらまだ原爆資料館に足を踏み入れたことがない。だから、今回はぜがひとも原爆というものに触れてみたかった。

 余談だが、この2022年、ウクライナ戦争で、糞ロシアのプーチン、恫喝のために核を使うかもしれない。打ち込んでみればいい、アメリカ以来77年ぶりのリアル核だ。歴史に燦然と刻まれることだろうよ。


 原爆ドームを仰ぐ前に平和記念資料館に足を運んだ。驚いたことに何と外人の多いことか。これも世界に冠たる広島・長崎の威力か。まず、東館から入場する。見学順に従って歩を進める。あまりの人だかりに展示物に近づいて文字を読むことができない。人垣が次に動くのを待つ。

 大きく引き伸ばされたパネル写真は広島市の歴史から始まる。そして、なぜアメリカ合衆国が悪魔の兵器を使わざるを得なかったかの背景説明に入る。

 ――勝てば官軍、負ければ賊軍――

 人類の歴史は報復の連鎖であり、あらゆる文明の利器は兵器からの転用だ。官軍のアメリカ合衆国はいかなる大量殺戮兵器を賊軍の日本に使っても正当化される。合衆国は原爆投下都市の候補に小倉も入れていたとバネルに書いてある。このことは北九州市民には周知の事実だ。

 今の小倉は俺が出できた30年前の活気を失なってしまった。人口も100万人を切ってしまい惨憺たる有り様だ。市は公共投資を繰り返し、何とか以前の賑わいを取り戻そうとあの手この手でインフラを整備した。勝山公園の景観を乱していたホームレスのブルーテントを彼らを自立させることによって撤去して整備し直したり、紫川の河岸を公園化したり。でも現状を変えるには至らない。

 人口はどんどん福岡都市圏に流出して行く。でも、観光都市を標榜する北九州市もまだ捨てたもんじゃない。門司港レトロの成功だ。去年9月のシルバーウィークなんか2時間の駐車場待ちだった。イライラして腹は立ったが、多くの他県ナンバーを目にしてちょっと嬉しかった。


 俺はパネルの前に佇んで妄想に耽る。人口111万人の広島市に比べて、北九州市は97万人、盆休中の平和記念公園のこの人出に対して勝山公園は閑散としていることだろう。あの日、上空が晴れていたら長崎型プルトニウム原爆が落ちていたのは小倉だった。広島長崎は広島小倉と世界に発信されたことだろう。原爆が落ちていたら5市合併で北九州市が誕生しなかった筈だ。

 そして、小倉市は世界に向かって平和都市宣言をし、爆心地となった勝山公園は小倉平和記念公園として整備され、もちろん原爆資料館もあり、全世界から観光客を呼び込んだことだろう。そうなっていたら小倉市の立ち位置は特殊であり、福岡市とは比較の対象にならない。今のように人口とか繁華街の人出とか、いろんな面で福岡市を意識することもなく超然としていられる。

 例の如く、パネルの文章の隅々まで読む俺の進行は物凄く鈍い。対して嫁と息子は先に進む。結果、この人混み、俺は二人を見失ってしまう。まぁ3人とも携帯を持っているから大丈夫だろう。


 暑い。何か飲みたくなる。元安川に架かる元安橋の中島町側の袂に土産店があったので、3人とも冷たいコーヒー牛乳で喉を潤して休憩だ。

 嫁が、「もうお昼よ」

「せっかく広島に来たんだからお好み焼き食べたい」

「昼飯にお好み焼きか、げっそりくるぜ」と嫁に反抗したものの押しきられる。

 元安橋を渡って、アーケード街の手前に行列が…、お好み焼き屋だ。

 俺はうんざりして、「おい、まさか並ぶんか?」

 嫁は当然のように、「並ばんやったら食べれんやん」

「お好み焼きはこの店だけやなかろうもん。先にもあるくさ」

 嫁は納得行かないようで、「こんだけ並んどるってことは美味しい証拠じゃん」

 アーケード街に入ってすぐお好み焼きの看板が。店は2階のようだ。上がってみたら待ち客は一組だけだった。通常メニューで一皿800円くらいだったか、結構高い。鉄板に一気に数人分作る。皿にもった形が少々崩れても気にしない。それは客も同様だ。一人前作るのにほんの数分、割りの良い商売だ。


 小・中・高の教科書・雑誌・テレビで何度も見た原爆ドーム、やっと俺は実物の前に立った。原爆を知らない者が見たらただの崩れかけたバラックだが、俺ら日本人の目には気高く荘厳にさえ見える。永遠に残さねばならない人類の大きな瑕疵だ。

 昔火炙りの刑があったが、もし俺が殺されるなら一気に死なせて欲しい。火で焼かれてじっくり殺されるほど酷いことはない。広島市民は地面を鉄板に見立てて数千度の熱で炒め殺されたのだ。ぞっとする。アメリカ合衆国の市民はこれを見て何を思うのか?ざまぁみさらせ賊軍め、とでも思うのか?それとも罪の意識に目を覆いたくなるのか?

 ドームを前でどっぷり物思いに耽る俺を嫁の声が現実に引き戻す。

「もういいんやない。行こうよ」

 地元のオヤジらしき人が観光客数人に何か語って聞かせている。原爆の語り部か?それにしてはまだ若い。どう見ても60代くらいだ。被爆者じゃないだろう。若い女性がメモを取りながら特に熱心に耳を傾けていた。俺もオヤジの語りを聞いてみたかったが、嫁の手前、そこを後にするしかなかった。


 元安橋に向う。元安川桟橋にはクルージング船が着く。ここから川を遡って川面からの市街を楽しみながら宮島までも行くようだ。

 広島市は河川の三角州から発展した街だ。市内を流れる川はクルージングに耐え得る十分な水量がある。でも小倉は駄目だ。広島の川に比べた小倉の川は全て小川だろう。紫川も上流の鱒淵ダムや数々の堰に流れを堰き止められて、浮かべられるのは公園のボートくらいだ。

 桟橋の横にレストランがあってテラスにオレンジを大量に並べていた。これでジュースを作ってくれるとのこと。早速頂いたが、金欠の俺ら夫婦は一人分しか頼まない。回し飲みだ。搾りたては美味だった。俺は名残惜しさに元安橋から原爆ドームに向けて携帯で写真を一枚撮った。

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