2011年盆休・奈良大阪旅行Ⅲ
朝飯を食って即行でチェックアウトした。若女将が見送ってくれる。
「今日は何処に行かれるのですか?」
「羽曳野市の誉田古墳にいきます。私たちが奈良に来るのは古墳があるからなんです。ほんとはゴールデンウィークに羽曳野市に行くつもりだったんですが予定が狂ってしまいました」
「そうですか。昨日来られたときにお聞きしてれば古墳公園お教えしてたのに残念です」
女将、勘違いしてるようだ。しょうもない古墳に行ったって何も興奮しない。目指すはただ一つ天皇陵だ。ナビで誉田を検索して行き先に設定する。目的地が山上の霊園になっている。あんな有名で巨大な遺跡がナビに示されてないことは不可解だったが、天皇陵も一応墓だから霊園の辺りにあるんだろうと勝手に理解した。
香芝市から太子町を経て羽曳野市に入る。この辺りは葡萄の一大産地らしく、丘陵地・平地問わず葡萄畑に覆われている。観光葡萄園も数ヶ所あった。ナビ画面の目的地はすぐだが、陵の案内標識も現れない。そのうち道路は上って行って霊園の只中に入り込んでしまった。
――ありゃほんとに墓地に着いてしもうた。
今日はお盆の13日、先祖の墓参りの車がどんどん登ってくる。霊園の案内所の建物の前はロータリーになっていて駐車場もあったが、さすがに部外者が停めるのは憚られる。
――おっ古墳がある。
高台で眺めが良さそうだし、俺は車を路肩に停めて芝生の植えられた古墳の周りを歩き出した。半周ほどしたところで嫁が大声で俺を呼ぶ。
「車が邪魔になっとるよ。はよ戻らんね」
「うるせぇ、ちゃんと通れよるやねぇか」
俺は仕方なく車に戻る。次々に俺らの車の側を通り抜ける墓参りの車を見ながら思う。今年は亡くなった親父の初盆だ。この前次男の賢二から電話がきた。
――兄貴、12日に潮音院の住職がお経あげに来らすばってんどうするや?
――すまん、仕事で戻れん。よろしゅう頼むわ。
俺は1月、親父の葬儀に一週間故郷に留まり、いろんな面で精神的苦痛を被った。故郷には弟が二人もいる。別に長男の俺が居なくとも事は進む。できることならもう故郷の土を踏みたくないというのが俺の偽らざる心情だ。
それに俺にとって盆・正月・ゴールデンウィークは年にたった三度、仕事で真っ当な精神を蝕まれつつある俺が、命の洗濯の旅ができる貴重な連休だ。盆帰りをするとしたら15日の一日しかない。12・13・14日は思いっきり羽を伸ばすつもりだ。
それはそうとして、さっき車から降りて高台から見渡してみたが、天皇陵らしきものはなかった。誉田で検索したのが拙かったのか。となるとあと分かる地名は古市。俺はナビを古市にセットして車を出す。砂州の広がる川を越えて、車は羽曳野市郊外から街中に入っていく。注意深く案内板を見ながら進んだのだが、応神天皇陵の方向は分からない。四つ角をどっちに行くか迷って市役所の方に右折した。眼前に誉田八幡宮の案内板。
――誉田八幡宮ちゃ主祭神は応神天皇やねぇか。そいに誉田御廟山古墳のすぐ南にある筈や。
俺は路地を左折する。この路地が昔、京都から高野山への参詣道として使われた東高野街道だ。狭い東門から境内に入ったら藤棚の公園前が駐車場になっていた。車から降りる。殺人的な暑さだ。本当にエアコンが直って良かった。神に感謝だ。
境内案内の看板を見たら…あった、応神天皇陵だ。巨大だ。果たしてこの炎天下、徒歩で一周できるのか。鳥居を潜って拝殿に向う。さっきの交差点を左折したら応神陵前という信号があるのだが、俺は右折してしまった。旅行者に対する羽曳野市の心遣いのなさに俺は若干憤っていた。
一応、交通安全御守を買って金を落としたあと、拝殿の神主さんに捲し立てる。
「九州から応神天皇陵を訪ねて来たんですがこの街は案内標識が全然ないんですね。古市古墳群って言えば有名なんに信じられんです。やっとのことでここまできました」
「そうですか。迷われましたか。私どもとしても市には要望してるんですが…、その点隣の藤井寺市は整ってるんですけどね」
神主は俺らを労ってくれる。
「よっしゃぁ気合い入れて歩くぜ」
元気良く歩きだしたのはいいがこの暑さ、途端に喉がからからだ。すぐ目についた自動販売機で飲料水を買う。応神天皇陵は周囲をぐるりと厚い住宅街に囲まれている。東高野街道をてくてく歩く俺には陵の全体が見えない。当然今陵のどの辺りを歩いているのか分からない。陵の縁ばかり目で追うから、街道から逸れて住宅街の迷路に入り込む。
嫁が暑さと歩き疲れに切れた。
「いったいどこまで歩くとね。もう歩きたくない。車に戻る」
「ぼけか。今日は天皇陵に拝みに来たんじゃ。参拝所まで行くに決まっとうやねぇか。歩きとうねぇならお前だけ車に戻ってエアコンつけて寝とけや」とキーを渡そうとすると、「こんなところまで歩いてきたんに今さら引き返せんよ」
「ほんなら勝手にせぇや」
西名阪自動車道の高架が見えてきた。誉田八幡宮から貰った古市古墳群の地図を取り出して照合してみる。道は高架のすぐ手前を鋭角に折れ曲がっている。右手に古墳があった。案内板が藤井寺市になっている。
――そうか、応神天皇陵のすぐ隣は藤井寺市か。
見えた。陵への参道だ。嫁は歩きたくなさそうにいやいや付いて来て参道の入り口にヘタリ込む。嫁は無視だ。俺だけ鳥居の前で手を合わせた。
拝所から陵の回りを見回してみる。見事に住宅街に囲まれている。完全に観光スポットとして整備された大山陵古墳とは大違いだ。参道の左下に宮内庁古市陵墓監区事務所があった。建物はかなり立派だ。古市だけじゃなく、かなり広範囲の陵墓を管理している。
ここで働いている宮内庁職員が羨ましい。民間じゃないからノルマもない。仕事で悩むこともない。もしかしたら、一週間に数組訪ねてくるだけの旅行者に、陵墓印を押してやるだけで一日の仕事が終わってしまうのではないか。 もし俺が職員だったら日中ずっと太古の倭に想いを飛ばしていることだろう。幸せなことこの上ない。
古市古墳群の地図によれば、ここがちょうど折り返し点だ。陵を囲む住宅街に沿ってコンクリートで固められた川が流れる。ドブ川ではないので悪臭が鼻をつくことはない。住宅街と川の間の道を辿って誉田八幡宮に戻ることにした。大通りを行くよりずっと近道だ。参道の入り口に座り込む嫁を尻目に俺は黙って歩きだす。ついてくるだろうと思っていたが、その気配がない。
息子から電話が入った。
「父ちゃんどこに居るん?」
「川に沿うて歩きよるわ。はよ来んか」
「母さんもう歩かんって言よるよ」
「何しよるんか。あの野郎」
――くそっ!俺は片足なんに、足のある奴が何甘えよるんか。そいけんぶとる(太る)んじゃ。
腹立たしいが放っておく訳にもいかず、俺はせっかく進んだ道を戻る。
相変わらず参道の入り口に座り込んだままの嫁に憎々し気に、「何しよるんか。はよ来んかちゃ。俺に戻らせやがって。俺もきついんじゃ」
「もう来たやないね(嫁は応神天皇陵には来たやないねと言ったつもり)。もう別の所なんか行かん」
「お前馬鹿か。戻りよるやないか。ぐるっち回って元の場所に戻るんじゃ」
俺の説明に納得した嫁がようやく重い腰を上げる。
暑い。堪らない。首に巻き付けたタオルで拭けども拭けども汗が噴き出す。今年は特に熱中症が世間の話題を拐った。俺だけは大丈夫は通らない。十分な水分補給が重要だ。
「暑ぃ、何か飲んで休憩じゃ」
川の向こう側に店がある。
「ラッキー!飲みもん買いに行こうぜ」
狭い川に、辻毎に橋があり、ベンチが置いてある。俺はどうせ買うなら2リットル入りの麦茶にしようと店内に入ったが、嫁とちゃんは自動販売機の前に居るようだ。俺はペットボトルがちゃんと冷やしてあるのを確かめて一旦外に出た。叱言になる。
「お前らそんなもん買うてもすぐのうなってしまうんは分かっとろうもん。考えれや」
嫁が反駁する。
「買ってしもうたもんどうしようもないやないね」
仕方なくベンチに座る。
一服しながら、「やっぱ暑ぃ!なんぼ飲んでも足らん」
「ちゃん、やっぱ2リットルのペットボトルの麦茶買うて行こうや」
「さぁて道々水分補給しながら歩くとすっか」
川は所々に堰があり、上流に行くほど水が浄化されて深さが増す。ふと川面に目を落とすと野鯉がいた。大通りに突き当たって住宅街が途切れる。左手に応神陵が山となって視界に広がる。応神陵に沿って歩こうと思えば、ここからは舗装されてない野道だ。野道と応神陵の間は一面の無花果畑。小倉では固定資産税逃れに空き地に無花果を植えている資産家が多いが、ここは完全に売り物の無花果のようだ。整然と植えられた無花果の木は挿し木で育てられて高さ1メートルほどに成長しちゃんと実を付けていた。
陵南面の住宅街を抜け、今度は誉田八幡宮の正門から入る。
「疲れた。もう私どこにも行かん。車ん中で寝とく」
「分かったちゃ。もう止めや」
――くそっ、せっかく関西まで来たんに行けたんが応神陵だけちゃ情けない。たった五日の休みで明日も来る余裕はない。次に来れるとしたら年末年始休か。
だが年末は日が短い。すぐ日が暮れる。5・6年前、年末の30日に紀州根来寺に行ったことがあるが、観光客も居らず寒々と感じた。国宝の大塔には入れず資料館も閉まっていた。俺は根来衆の使った鉄砲の展示を見たかったのだが。神社仏閣を巡るなら暑くて堪らなくても夏がいい。
俺は腹立ち紛れに公園の前で煙草をふかす。
「暑くて汗掻いた。風呂に行こうよ」と嫁が俺に催促する。
まぁ確かに一理ある。この炎天下、汗を掻き過ぎて身体中べとべとだ。
「前に松本に行ったとき風呂に行ったやない。大阪にもいっぱいあるって友達が言よったよ」
「そやなナビで検索しちみゅうか」
結構いっぱい出てくる。あまり遠くへは行きたくない。太子温泉が目に留まる。太子町はここに来るとき通って来た町だ。よしここに行こう。
太子温泉は日帰り入浴利用可能な一軒温泉宿だ。結構入浴客の出入りがある。
「お前行って入浴料見てこい」
「1人じゃ行かん」
「くそが!」
仕方なく車を降りて玄関まで行く。
「何ち!一人千円」
俺は唖然とした。
「大浴場で千円ちゃ聞いたことねぇわ」
嫁も、「高過ぎるよ。止めるやろ」と俺を見る。
「止めや。よう出しても800円までや。3人で3000円やねぇか。個室家族風呂の料金やで」
俺は悔し紛れに道路端に車を停めて、太子温泉に来たという証拠写真だけ撮って帰ることにした。その前に道路の右側の雑木林の前に立って煙草を一服だ。
嫁が諦めない。仕方なく次の風呂を目指した。香芝市総合福祉センター。公共の浴場のようだ。行ってびっくり。古い建物でどうも老人用の福祉施設のようだった。おまけに閉まっている。
「もう諦めようぜ」と俺。
そういえばまだ昼飯を食ってなかった。ちょうど餃子の王将があったのでここでランチタイムとしよう。
嫁にはひとつ分からないことがある。王将だ。嫁は王将があまり好きではない。九州にも王将はあるが、入りたがらない。でも関西に来たら喜んで入ろうとする。数えたら関西の王将の店舗数は半端じゃない。応神陵の前にもあった。北九州には3店舗しかない。まぁ俺にとってはあいつの好みの店を探すのが煩わしくなくて大歓迎だが。
さぁ今からどうするか。時間を無駄にしたくない。明日は14日。15日は親父の初盆に帰郷せねばならない。観光できるとしたらあと一日だが、なるべく九州に近い場所か?とにかく動こう。俺は進路を大阪に向けて取った。
ちょっと走ったら案内板があった。なんと武烈天皇陵とのこと。これはラッキーだ。参拝して帰ろう。デリカには狭くて辛い道だった。実際離合に苦労する。おかしい。2回登って下ったが、拝所らしき場所がない。神社があったが、武烈天皇とは全く関係なかった。
離合できる場所に車を停めて携帯で検索してみたら、こう書かれていた。
明治22年に現陵が治定されたが、古墳として造営されたものではなく単なる自然丘だと。実在した可能性が低い天皇でも神武天皇とは扱いが大違いだ。歌って踊れる国家公務員、何も仕事をせず、皇族のご機嫌ばかり取っている宮内庁に言いたい。日本国民の永遠の財産として国費で管理運営している陵なら大王に差をつけるな。せめて木製の鳥居ぐらい武烈天皇に差し上げろと。何ともいい加減な宮内庁だ。
時刻は16時過ぎ、俺は何となく車を走らせ始める。大阪の街中を前方・左右ときょろきょろしながらじっくりと目に焼き付け、交通の流れに任せながら走る。一般道から淀川を渡ると、視界が低くて飲み込まれるような迫力、さすが日の本の第一級の大河、デカい。比べたら九州の川がかわいそうだ。左方に目を遣ると大阪湾に注ぐ河口も見える。縄文時代、もう消えてしまったが、河内湖が大阪平野の大部分を占めていた。河内湖は淀川・大和川、二本の大河が運び込む土砂で徐々に埋まっていった。気の遠くなるような話しだ。