2011年GW・奈良和歌山宮島旅行Ⅴ
一階の下駄箱に靴を仕舞いスリッパに履き替えて古ぼけた狭い階段を二階に上がる。俺ら家族が通されたのは格子戸の部屋で、開けた先は襖で仕切られている。江戸時代の旅籠じゃあるまいが、宿が建てられた時代が偲ばれる。でも俺ら家族は全く気にしない。この方式の部屋は左手にもう一部屋あった。
ご主人曰く。「ここにチェーン式の鍵がありますのでこれで格子戸に鍵を掛けて下さい」
――ウソやろ。この宿に泊まるんは善人ばっかりか!こんなもん掛けても掛けんでも一緒やで。
岡寺参道に面した部屋は広かった。仕切ればもう一部屋できてしまうのに。御主人も太っ腹だ。二階の廊下には草臥れた応接台が三セット並んでいて、応接セットの手前の台にはお茶と急須、ポットが用意されている。
宿泊者の男性が熱心に何か読んでいる。俺も一服のあと、その男性が座っていた応接台に行ってみる。分厚く綴じられたノートには宿泊者の感想がびっしり綴られている。じゃらんネットで見た高い評判通りの内容だった。これは俺も書き込まざるを得ない。
いよいよ夕食だ。階下の食堂に下りる。テーブルにはじゃらんネットで紹介されていた名物の明日香鍋(牛乳鍋のことだ。牛乳鍋と書くと、げぇという印象は拭えないが、この地方ではさらっと明日香鍋と通称する)が用意されていた。もうコンロには火が点いていてスープの中に鶏肉が煮えている。俺は鶏肉は苦手だが、口コミでは明日香鍋の鶏なら食べられたと書かれていたが…
大皿には野菜が大盛、それと豆腐。ご主人が各テーブルに来て食べ方の教授、最後のおじやに入れる卵は自宅で飼っている烏骨鶏の卵とのこと。
明日香鍋は口コミ通りだった。ボリューム満点で、牛乳スープ特有の癖もなくさらっと食べられる。食堂の入り口にごはんがあったが、お目当てのおじやのことを考えると二の足を踏んでしまう。
鍋をある程度食べ終わってご主人を呼ぶと、烏骨鶏の卵を3個持ってきてくれて、「ごはんを入れて卵を満遍なくかけたら蓋をして3分ほど蒸らしてください」
「ちゃん(息子)、ご飯ば茶碗三杯持って来いや」
嫁が、「多過ぎない?」
「ちゃんが全部食うくさ」
「父ちゃん、俺も腹一杯になってきたけん分からん」
「何がもんか。こん明日香鍋はこのおじやが売りなんやで。食えるくさ」
――うっ熱ぃ。でも旨ぇ。
「ちゃん茶碗貸せ。最後じゃ。食っちまえ」
ご飯がスープを吸ってしまって一滴も残ってない。見事に食べてしまった。風呂は家庭用をちょっと大きくしたぐらいで綺麗に改装されている。俺ら家族が宿泊客の最後だったようだが、ご主人がちゃんと清掃してくれたようで、湯船に浮いた髪の毛も浴室に飛び散った泡もなかった。
朝食は8時にして貰う。裏の駐車場からデリカを出して宿の玄関前に着ける。ご夫婦が見送りに出て来てくれた。せっかくだから、俺は事故の傷痕を指して説明する。
「高速で事故にあってこれだけとはほんとこの車強いんですね。まだ作ってるんですか?」
「いえ5年前に生産中止になりました。今の車にこんな作り方はできません」
ご主人は笑いながら、「じゃぁ大事に乗らないといけませんね」
「はいそのつもりです」
造りは古いが暖かい宿だった。ノートに書き込んでいた宿泊客にリピーターが多いのも頷ける。
――また明日香にきたときの常宿にするか。
さぁ今日今から目指すは南紀白浜の日本最古の温泉「先の湯」だ。実は俺ら家族は3年前に一度訪れたことがある。嫁ももう一回行ってみたいと願っていた。俺には今回は前回のリベンジの意味がある。
俺は3年前、糖尿病を患った。入院したのが5月の下旬、もしかするとという不安を抱いたまま恒例のGWの旅行、南紀白浜に向かった。その時、嫁が拘った温泉が先の湯だ。歴史ある温泉と案内板に解説してあったが、とにかく熱かった。俺の左足は病気のせいだろう、じくじくと化膿したまま1ヶ月以上治らなかった。足を湯に浸けられず、不自由な姿勢で入らざるを得なかったため、名物湯を堪能できないまま白浜をあとにしてしまった。そのリベンジだ。
阪和高速道路は白浜に入る手前の二車線が一車線に変わる辺りが地獄の渋滞だった。ナビは何とか正常に動いてくれている。阪和道でどうしても寄りたいPAがある。印南PAだ。3年前、俺ら家族はここで車中泊した。
病気の影響で30分に1度の尿意を催す。義足を外して休んでいる俺は外に出て用を足すことができず、デリカのスライドドアを開けて小便を飛ばした。一般ドライバーの方申し訳ありません。その印南PAが何とSAに昇格している。つい最近工事を始めたようで、PA時代の枠を消した跡があった。