終わりゆく夏(2009年8月24日)
俺はデリカ・スペースギヤを約20年所有していた。購入したのは息子が生まれた一年後だ。車馬鹿だった俺が、まさかこのようなファミリーカーを買うときが来るなんて夢にも思わなかった。それほど、家族の存在とは偉大だ。
このデリカ4WD、8人乗りなのに家族三人でしか使わない。贅沢の極みだ。家族での遠乗り専用に使った。二列目三列目をフラットにして、マットと布団を敷いた。寝心地は最高だった。
足回りを弄って車高が高く、濃いスモークフィルムを貼ってカーテンも装備していたので、高速のSAでも覗かれる心配がなく安心して就寝できた。
四駆だから急な天候の変化にも対応できた。タイヤが取られるような大雨でも大雪でも。兎に角、我が家族のために八面六臂の活躍をしてくれたデリカ君だったが、やっぱり別れるときはやってくる。
息子が免許を取って、通勤に別の車を購入して乗るようになると、家の駐車場に停められなくなって月極駐車場を借りた。その内、デリカは俺ら家族にとって無用の長物と成り果てていく。
滅多に乗らないから、ベルト類が痛みプーリーが錆びて空転するためエアコンが効かなくなるし、色んな経年劣化部品が出てきて金を食うようになってくる。俺ら家族は19年目の車検を前にして、思い出深いデリカを泣く泣く手放すことを決断するに至った。
この旅日記はデリカ君が俺ら家族に幸せを齎してくれた幸せの記録だ。
今年の夏は例年になく短かった。梅雨が終わったのは8月に入ってからだ。梅雨が終わってもゲリラ豪雨に悩まされる。去年は7月の第一週に梅雨が終わったのと比べると大違いだ。
あまりにも夏を感じられる期間が短か過ぎるので、盆休で大金使ったにも関わらず、盆休明けの最初の休みである今日、一年ぶりに我が家族御用達湯布院一日ドライブに出かけることにした。小倉を朝7時半に出発、セルフスタンドで軽油満タン5千円、国道10号線を豊前市に向かう。天気予報では秋の高気圧に覆われると言っていたがその通りだった。窓を開けていれば涼しく、エアコンなど必要なかった。
今日は家で朝飯を食わなかった。道の駅・豊前おこしかけに寄っていつもの弁当を食べるためだ。ここのおにぎりと惣菜は美味い。俺はお決まりの5色おにぎりに舌鼓、ちゃん(一人息子の俺の勝手なニックネーム)はかしわおにぎり、やそぐり(嫁さんの俺の勝手なニックネーム)は赤飯、デリカの中で暫しの朝食タイム。
豊前から太平村を抜けて青の洞門に向かう。駐車場は閑散としていた。俺が平日休みだからだろうか。ここの駐車場がいっぱいになったのを見たことがない。一軒ある土産物屋も人が居ない。でも潰れないのは土日祝日にはお客が入ってからだろうと勝手に推測する。
ここに寄ったら必ず鯉と鴨に餌をやる。ウグイも居るんだが、鯉に食べられて回って来ない。洞門の岩山からカラスが下りてきてちゃっかり餌のおこぼれに与ろうとするが、看板に、“カラスには餌をやらないで下さい。調子に乗りますから”と書いてある。
ここの野鯉は山国川に放し飼いだ。仕切りもない。錦鯉も数匹居る。売店で売っている餌は味噌汁なんかにいれる普通サイズの麩で、一口で食べるには普通サイズの鯉には辛いだろうが、この川には悠に50センチは超える大物がわんさかいる。
こんなこと言うと顰蹙を買うかもしれないが、鯉こくにして食ったらさぞ美味いだろうなと考えるのは俺だけか。鯉の下に居るウグイも美味そうだ。塩焼きにして食ったら最高だろう。
ここから向かうは深耶馬渓だ。いつもは旅館も持っている蕎麦屋、鹿鳴館でザル蕎麦を頂くのだが、去年黒川温泉手前に絶品の手打ち蕎麦屋を見つけたもので素通りだ。でも、深耶馬渓の美味い空気を吸うために、一応車を停めて400円もする湧水コーヒーで暫し休憩。 通常、北部九州の平地で鳴いているのはクマゼミなんだが、ここではミンミンゼミだ。珈琲屋の裏手は山移川の渓谷。川に転がる岩は驚くほどデカい。
深耶馬渓を出たら、真っ直ぐ禿の湯温泉に行くつもりだったのだが、思った通りやそぐりが一言。
「久しぶりに竜門の滝に行ってみたい」
玖珠町の夏の竜門の滝は鬼門だ。車が多過ぎて駐車場に入れない。でも今日は月曜日、そこまでないんじゃないかと行ってみたら、すでに車で溢れていた。マイクロバス用の駐車場に土産物屋のオヤジの好意で停めることができた。
まだ夏休み中でもあり、滝滑りに興じる子供が多いのかなと思っていたが、若者の多さが目に付く。今年は志賀島に行かなかったから、若い子のビキニ姿で眼の保養でもさせて貰おうとの期待は甘かった。みんなTシャツを上に着ている。残念。
日中、気温がぐんぐん上昇してきた。大分地方は快晴だ。デリカのエアコンガスはまだ辛うじて持っている。良く効く。
考えてみると俺ら家族は禿の湯温泉に行くのは一年ぶりだ。前に行ったのは確か、俺が糖尿病の教育入院から退院した去年の6月だったと思う。退院した翌日は休養して、翌々日から出勤することにして温泉に出かけた。一年ぶりの大分・熊本路は道路工事が施されて、小国町の禿の湯温泉入り口の道路も広くなっていた。
涌蓋山の威容が眼に眩しい。クスクリファミリー御用達の家族風呂、くぬぎ湯も様相が変わっていた。露天風呂に降りる階段に屋根が取り付けられていた。
着いたのが13時前、駐車場は疎らだったが、風呂から上がったくらいに混み出した。ここの良いところは何と言ってもその安さだ。岩露天で1200円、三人で大浴場に入ったと仮定しても一人400円、大人数で入るほど一人当たりの料金は安くなる。
手前に同じような家族風呂が数件できているが、やはり慣れたくぬぎ湯がいい。ここを情報誌で見つけたのはやそぐりだ。最初は迷って黒川温泉の方から入って行った。その後、ナビに案内させて今のルートに固定した。くぬぎ湯から黒川温泉に抜けるとき、一軒のパン屋の横を通る。山の中の淋しいバンガロー造りのパン屋だ。自然発酵酵母を使っていて美味い。店の名前は“そらいろのたね”
そして、今日の目的の一つ、手打ち蕎麦屋“駿”で昼食、はっきり言って高い。皿蕎麦が800円、初中食える代物ではないが、正直美味い。各テーブルの端に備えられた三冊のノートには蕎麦の評判がぎっしり書かれていた。創業して8年とのこと。ノートに高くてビビったと書かれていて、店主がコメントを載せている。手打ちで有名な店より価格を抑えて設定しているとのことだが…。
俺ら家族は一年ぶり二回目だ。偶然見つけた。ここの蕎麦を食ったら、深耶馬渓の鹿鳴館の蕎麦が不味く思えてならない。帰りにはたくあんを必ず買って帰る。このたくわんがまた蕎麦に劣らず絶品だ。
黒川温泉を素通りして瀬の本高原に出、九州縦貫道に入る。俺らは昔、この道を縦貫道とは呼ばず、やまなみハイウェイと呼んでいた。何でかというと有料だったから。別府から阿蘇まで抜けるのだが、確か三ヶ所に料金所があって千円くらい取られた。大学の卒業旅行でもこの道を使った。思い出深い道路だ。絶景が広がる。
特に、牧ノ戸峠は標高1300メートル、俺の身近で、雪が降ったら雪中行軍に勤しんでいた英彦山より高い。九州の平地では四駆で雪道を走る機会もめっきり減ってしまったが、冬場ここを通ると結構雪が積もっていて雪面を走るいい訓練になる。
牧の戸峠を下ると長者原だ。必ず車を止めて噴煙を上げる硫黄山を遠望して暫し休憩。
湯布院に入ったときは16時になっていた。京都もそうだが、観光地は17時にはぴたっとすべての店が閉まってしまう。
結婚前は湯布院の名前は知っていたが、足を踏み入れたこともなかったし行こうと思ったこともなかった。もうこの十数年で何度訪れたことだろう。観光できるのは半径1キロの狭い範囲に集合する湯の坪街道の民芸村なんだが、俺ら家族は決まったルートを何度も徘徊する。
車を停めるのは金鱗湖駐車場、最初の頃は名物親父が管理人をしていて一日400円だったが、今は自動になってしまって一時間200円も取られてしまう。ここから歩いて下りれば金鱗湖だ。新しい案内看板に立て替わっている。行き交う観光客に韓国人・中国人が多くなってきた。平日というのにこの人出だ。
やっぱり観光地は水が綺麗でなくてはならない。盆に行った京都もそうだ。金鱗湖から流れ出す水路に沿って歩く。小魚が流れに抗って精一杯尾びれを振っている。そんな魚たちに眼を遣って、また連れ立って歩く恋人たちを盗み見ながら歩くのも楽しい。この水路沿いにあったパン屋がなくなっていた。ここの紫芋パンは美味かったのに。
途中で右に折れて店に入り、店内から鯉(恋)の池に出る。やそぐりとちゃんは決まって鯉に餌をやる。湯の坪街道民芸村をいつものように散策する。コースも全く一緒だ。やそぐりとちゃんは金賞コロッケに舌鼓、いつも踵を返す一角に湯布院創作菓子屋があって、眼に付いたのが「花麹菊屋」の【ぷりんどら】、俺は食えないのでやそぐりに買って食わせて、ちょっとだけ味見、これは美味かった。