2 えっ、今からでも得られる信仰があるんですか!?
「着いた……! うわ、でっかい神殿ね……」
看板の言うとおりの道を進み、その先にラスティーヤは立派な神殿を見つけた。大きな門に、出店の痕跡、きらびやかな照明や分かりやすい看板表示。圧倒的な存在感に、ラスティーヤはズンと敗北感を覚える。
「ようこそ! 参拝客の方ですか? 夜遅くにご苦労様です、新年参りもあと数刻で締めきりですね! さ、どうぞお入り下さいませ!」
「えっ、あ、その、」
門の足下に隠れてうじうじと神殿を眺めていたラスティーヤは、突如明るい声で話しかけられ、ぎょっとして飛び上がった。声の主は、背中に羽を背負った、胸ほどの背の高さしかない少女だった。
「妖精……?」
妖精は大抵の人の目に見えないから、人間相手の接客には向いていないはずなのに……。
「高位妖精をご覧になったのは初めてですか?」
妖精はにこにことラスティーヤを見上げ、神殿に入るように促してくる。あまりにきらきらした笑顔に押し負けて、ラスティーヤは神殿に足を踏み入れた。
「高位妖精がこんなところで働いているの?」
神殿の廊下を歩きながら、ラスティーヤは思わず妖精にそう話しかけた。ラスティーヤの神殿で働いているのはみんな低位妖精――大抵、妖精とだけ呼ばれる生き物たちである。ラスティーヤの腰ほどの高さしかない小さな妖精。
高位妖精といったら、誰かに仕えることなく自然の中で暮らすか、大神様の直属で働くものである。こんな、ただの支部神殿になんて……。
「……? はい!」
ラスティーヤの質問に少し首を傾げつつ、妖精は大きく頷いた。
「ネゥイール様はとてもお優しくて、わたしみたいなポンコツ妖精でも雇って下さるんです!」
「そう……」
この言い方からするに、彼女は大神様でなく、ここの神――ネゥイールの直属の妖精なのだろう。追加で妖精を雇うことが出来るほど余裕があるのか、と、思わず遠い目をしてしまう。
「さ! お願い事はこの先の祭壇でどうぞ!」
妖精に案内されるがままに神殿の奥まで来たラスティーヤは、これまた豪華な扉の前で立ち尽くした。
(どうせここまで来たのだから、神頼みをして帰りましょう。……私、神だけど)
心の中でブツブツと呟きつつ、ラスティーヤは扉が開くのを待ち、隙間からその向こうへ体を滑らせるようにして入った。
「ようこそ! お願い事はこちら……で……」
明るい笑顔で迎え入れてくれた年配の妖精が、顔を引きつらせた。
「あれ? どうかしましたか?」
ここまで連れてきてくれた妖精が、ラスティーヤの背後からひょっこり顔を出す。妖精たちが「どうしたどうした」とわらわらと集まってくるので、ラスティーヤは少しずつ逃げ腰になってしまった。
「これはこれは……どのようなご用件でございますか? ささ、こちらへ」
「あっ、えっとね、ううん、あの、そ、そんなつもりじゃなくって、」
ラスティーヤはあからさまに狼狽える。うん千年と神殿に引きこもっていたので、知らない相手に囲まれるのには慣れていないのだ。
「うちの妖精が、とんだご無礼を致しました。あちらの応接室でお待ち下さいませ。すぐネゥイール様を呼んできますゆえ」
「あのね、えっと、そんな気を遣わなくても……っ」
ラスティーヤは勢いよく首を横に振りながら後ずさりする。妖精たちに同行を強要する意思がないのは分かっているのだが、いかんせんラスティーヤにはこの場を切り抜けるコミュニケーション能力がなかった。
「えっえっ、どうかしたんですか? お姉さん、偉い人だったんですか?」
ここまで連れてきた妖精が、慌てふためいてラスティーヤの顔を覗き込む。どう答えたものかと考えていると、妖精が腕を引っ張られて連れて行かれた。
「この、馬鹿っ! 人間と神様の見分けもつかないの!? どこに目ェついてんのよ!」
「ええーっ!? 神様ァ!?」
裏返った声で叫んで、妖精が目をひん剥く。「だって、」とそこまで言ったところで無理矢理口を塞がれて黙ったが、ろくな言葉が続かないのは何となく分かっていたので同情はしないことにした。
「あの、私ほんとに、ちょっと見に来ただけだから、」
ラスティーヤがじりじり後ずさりながらそう言ったところで、奥の扉が開いた。
「どうした、何かトラブルか?」
怪訝そうな声が響き、そちらに目を向けたラスティーヤは、次の瞬間両目を覆って崩れ落ちた。
……ま、まぶしい!
「体調不良者か!?」
焦ったように駆け寄ってくる足音から、ラスティーヤは床を這うようにして逃げる。駄目だこれ、めちゃくちゃ眩しい。見たら死ぬ。駄目だ。
「だいじょ、えぇえ!? か、神じゃん!」
ラスティーヤに話しかけようとして、その青年は素っ頓狂な声を上げる。ラスティーヤは思わず泣きながら首を横に振って「ぢがいまず!」と否定した。
ちゃんと否定したのにろくすっぽ聞いていないらしい。驚愕したように声が告げる。
「な、何だって神が新年参りの期間中ノコノコとよその神殿まで!?」
「……っ、もうすぐ神じゃなくなるもん!」
目を覆ったまま、ラスティーヤはやけ気味になって叫んだ。その言葉に、周囲で息を飲む音が聞こえる。何かむしろ腹立つ、とラスティーヤは歯ぎしりした。
「今日はクビ記念日なのよ! ノルマは全然達成できないし、とうとう解雇されて消滅するの!」
「それは……」
目を覆ったまま振り返り、肩で息をしていると、呆気に取られたように声が呟く。そこでラスティーヤは、自分の体がここ数日で透け始めていることを思い出した。そう、特に末端、手足の先から。
「あーっ! まぶしい!」
手が透けているせいで、目を覆っても外が丸見えである。あまりの眩しさに目が潰れそうだ。何が眩しいって? この神である。
「ええ、俺ですか?」
ラスティーヤにはほとんど光の塊にしか見えない神――ネゥイールは、困ったように頭を掻いた。ラスティーヤは顔を歪めて目を細めながら、何とか立ち上がる。
妖精たちはこのあふれ出る神力が分からないのだろうか。まあ、神の方が神力に気づきやすいのは定説だが、これほどまでに神力をダダ漏れにしていて、圧倒されないのか。
「誰か、サングラスを持ってきてくれ」
「はい!」
ネゥイールが声をかけると、妖精がどこかに飛び去り、すぐさま戻ってくる。「どうぞ」とサングラスを手渡され、ラスティーヤは息も絶え絶えそれを装着した。
「……大丈夫ですか?」
「落ち着いたわ」
眩しさが大部分カットされ、ようやくまともに目が開けるようになったラスティーヤは、幾分か平静を取り戻してネゥイールを見た。
幼さの残る年齢の見た目を取っている神らしい。素朴な青年の顔だった。
(何か……見たことが……ある?)
ラスティーヤは一瞬眉をひそめてまじまじとネゥイールを見たが、すぐに思い直して目を逸らした。これまで、数え切れないほどの人間の顔を見てきたのだ。神にも似ている者がいて当然だろう。
「……?」
「何でもないわ」
ラスティーヤは目をぱちぱちさせながら呟いた。……別に、サングラス越しにも眩しかった訳なんかじゃないのだ。
応接間に通され、ラスティーヤは一周回って開き直っていた。どうせ明日になれば大神様にクビを言い渡されて消滅する身である。
ネゥイールは戸惑いを滲ませながらラスティーヤを見た。
「ええと、こんばんは。俺、ネゥイールといいます。……今回はどのような用件で?」
「恨み言と神頼み、かしら」
ラスティーヤが堂々と告げると、ネゥイールは目を瞬く。
「神頼み?」
「ええ」
「神なのに?」
「そうね」
サイズが合わないサングラスが、鼻の上からずり落ちそうになる。指先でくいっとそれを阻止すると、ラスティーヤは盛大なため息をついた。
「……全然信徒が来なくて、信仰が全くと言って良いほど来ないのよ」
「今のご時世、切実な神頼みも減りましたからねぇ」
「今年の新年参りで何人の客が来たか教えてあげましょうか」
ごくり、とネゥイールが唾を飲む。ラスティーヤは両手の指を出し、ゆっくりと告げた。
「――21人よ」
「道ばたの銅像レベルの人数じゃないですか、ちょ、ごめんなさいって!」
無言でネゥイールの頭上に豪雨を降らせたラスティーヤは、そのせいで肘まで透けた自分の体を見下ろしてため息をついた。頭、肩から胸にかけてすっかり濡れてしまったネゥイールは、ぶつぶつ文句を言いながら指を鳴らして水分を飛ばす。
「何でそんなに信徒が少ないんですか? 何か他に原因があるとしか思えません」
「…………。」
お前のところの神殿のせいだ、とは言えず、ラスティーヤは黙り込んだ。
「ちゃんと広告とか案内とか出してるんですか?」
「こう……こく?」
呆然と呟いたラスティーヤに、ネゥイールは愕然と目を見開く。
「今時、広告も出さずに何をしていたんですか?」
「何も……」
そもそも広告って何だ? 首を傾げるラスティーヤに、ネゥイールは呆れた様子を隠さずにため息をついた。
(どうせ私は時代について行けないおばあちゃん女神よ)
けっ、とラスティーヤは不貞腐れて腕を組んだ。
「もう! どうせ明日には消滅するんだから、どうだって良いじゃない!」
完全にやけになったラスティーヤが地団駄を踏むと、ネゥイールは弱りきったように頭を搔く。
「そりゃ、俺も手助けしてやりたいですけど……」
その言葉に、「えっ!?」と、ラスティーヤは顔を上げて目を輝かせた。ネゥイールは顔を引きつらせる。
「……そんな顔しても駄目ですからね」
先手を打たれ、ラスティーヤは唇を尖らせて膨れた。
「何よぉ、じゃあ神頼みってことで一つ、無理なの?」
「そんな、今日初めて会った神に毎回心を砕いていては、収集つかなくなりますし……」
「……そりゃそうよね。ごめんなさい、図々しいことを言って」
あっさり断られて、ラスティーヤはがくりと項垂れた。
「あーあ、今から何とかならないかしら」
ラスティーヤは、二の腕まで透け始めた両腕をかざしながら呟く。わざわざ裾を捲って確認はしないけど、恐らく足も同じような状態だろう。
「他の神から神力を分けてもらう、とかしかないですね」
「無理よ、今断られたもの。私友達らしい友達なんて一柱もいないのよ」
自暴自棄になったラスティーヤに、ネゥイールは苦笑する。
「それにしても、神力を分けてもらうことで何とかなるものなの?」
「ええ、はい。信仰を力に自動変換する俺たち神にとっては、信仰イコール神力でしょう?」
そうね、とラスティーヤは頷いた。ネゥイールは人差し指を立て、声を潜める。
「大神様に提出するのは自らの神力ですから、神力があれば信仰が沢山得られたと言っているのと同じことです」
「別の神からもらった神力でも? 提出書類に何て書くのよ」
唇を尖らせてラスティーヤが言うと、ネゥイールはすっと目を逸らした。
「それはまあ……ちょっとした改ざんですよね」
「大神様ー! 犯罪者! ここに犯罪者がいまーす!」
「ちょ、俺はやったことないですって! 俺、超真面目ですからね! 神聞きの悪いこと言わないでくださいよ!」
立ち上がり、天井に向かって叫び出したラスティーヤに、ネゥイールは目を剥いた。どこからともなく現れた子鹿に膝に乗られ、ラスティーヤは仕方なく大人しく座り直す。
「何これ、神獣?」
「そうですね」
「かわいいのね」
子鹿の頭を撫でながら、ラスティーヤはため息をついた。
「私は神獣を出すほどの神力すら残ってないわ」
一応実体はあるものの、見た目は透けて半透明になってしまっているラスティーヤの手を、子鹿が不思議そうに舐める。
「どうしてそんなに信仰が得られるの? 後学のため……つっても明日までなんだけど、教えて欲しいわ」
ラスティーヤは、首を伸ばして擦り寄ってくる小鹿を抱きながらネゥイールを見た。ネゥイールは腕を組み、「うーん」と唸る。
「俺は、神頼みに来る人の切実な気持ちが、手に取るように分かるんです。だから出来るだけ頑張ってその心に応えたいし、沢山の人を救いたい。……ただその一心です」
「うへぁ。すげぇや」
ラスティーヤの阿呆みたいな相槌を意にも介さず、ネゥイールは静かに語りだした。
よいお年を!