プロローグ
「お願いします。私と一緒にダンジョンに潜ってくれ!」
「断る」
このやり取りを何度交わしただろうか。目の前に現れたのは、腰まで伸ばした、瞳と同じ鮮やかな朱色の髪をなびかせた、見るからに騎士ですっといった出で立ちの美人だ。はっきり言って、俺が今いる庶民向けの食堂にはあまりにも場違いだろう。
しかも、初対面の時に貴族だということを仄めかしていたので、本来このような場所に訪れるべき人種ではないというのは明らかだ。
数日前に、ダンジョンで偶然助けてしまったことが、悔やまれる。あれ以来、何かと付きまとわれ、ダンジョンを共に潜って欲しいと頼まれるようになったのだ。
そのたびに、「俺よりももっといい奴がいる」とか、「俺はソロがいいんだ」とか、「パーティが欲しけりゃ、ギルドで募集すれば、すぐに集まるさ。あんたは美人だし、引く手数多だろう」などを言っても、全く聞いて貰えない。しかも、なぜか美人云々のくだり以降、さらにアプローチが激しくなった気もする。なぜだ……
そしてついに今日などは、人が食事をしているところに、わざわざ押し掛け、俺を見つけるや否や、場の空気も読まずに、いきなり先程のセリフを言ってくる始末だ。暇なんだろうか。
「迷惑だ。帰れ」
「いやだ! 今日という今日は、あなたに了承を頂くまでは帰りません!」
「そうか。勝手にしろ」
俺は彼女を無視することに決めた。
「おい、無視をするな。こっちを向いてくれ」
「…………」
「お願いだから頼みを聞いてくれないか?」
「…………」
さて、いつもより少々時間は早いが、帰って寝るか。夜には酒場での飲みに誘われてるし。
店員を呼び会計をしてもらう。
……おい店員、横で佇んでいる女にちらちらと目線を送るな。こいつと俺は無関係だ。
変な勘繰りをされても迷惑などで、さっさとと金を渡してしまおうと、財布から数枚の銀貨を取り出した。しかし、それよりも先に、先程から無視をしていた女が、俺を押しのけるようにして、店員に金を渡した。しかも金貨を一枚だ。明らかに多すぎる。
「ここは私が払っておこう。釣りは要らない」
と、なぜかどや顔をしながら、俺に言ってくる女。はっきり言ってうざいことこの上ない。まぁ、せっかく払ってくれたんだ。食事代が浮いたと思っておくか。
彼女のことはそのまま無視を継続し、さっさと店から出る。
「これからどこにいくんだ? ダンジョンか?」
……こいつ、本当になんで俺に付きまとっているんだろうか。俺のことをきちんと知っていれば、俺が真昼間からクエストやダンジョンに潜ることなんてしないと分かりきっているはずだ。
「それとも、鍛錬に行くのか!? それならば是非ともご一緒したい! 一度見た貴方の剣技はすさまじいものであったからな。日頃から、よほどの修練をしているのだろう」
「…………」
彼女はうんうん。と一人で勝手に想像して納得している。何だこの女は、さっきからずっと無視をしているのに、そんなことは関係ないとばかりに、ずっと話しかけてくる。このままでは、本当に家まで押しかけてこられかねない。…………撒くか。
そうと決まれば、即実行。
「あれを見ろ」
右手を挙げ、指を指したのは道の端に座り込み、小さな露店を営んでいる頭の禿げたおっちゃんだ。
「ん? あのおじさんがどうかしたのか?」
「彼の名は、クロノス・レイヴァルド。俺の師匠にして、元Sランク冒険者だ。俺は人にものを教えるのが、苦手なのでな。師匠を紹介するためにここに来たんだ」
「本当なのか!? とてもそんな強者には見えないぞ!? それに、それならばなぜ今まで無視をしていた?」
「おいおい、お前は騎士なんだろ? 能あるブラックファングは爪を隠す、という言葉を知らんのか? 師匠は、普段は商人として、街での情報収集に勤しみ、裏では闇の組織や、危険な魔物と日夜戦っている偉大な方なのだ。さらにいうと、師匠のことはギルドでもトップシークレットに入る。あんな食堂なんかで話せるわけがないだろう」
もちろん全て嘘だ。でっち上げだ。誰だよ、クロノス・レイヴァルドって。かっこいいじゃねーか。
「なんと! たしかに私の故郷でも、ブラックファングとは違ったが、同じような言葉があったな」
そう言って、まじまじと俺も見知らぬ禿げたおっちゃんを見つめる女騎士。この反応で確信した。こいつ、絶対チョロい系だ。怪しげな壺とかも簡単に売り付けられるのではないだろうか。
「では、すぐに「まて」」
まだだ、まだ仕込みは終わっていない。
「お前がいきなり行っても迷惑になる。まずは、俺が師匠に君に会ってもらえるように、話をつけてくる。一度ここから離れて、十分ほどしてから、こっちに来てくれ。なんせおまえの格好は目立つからな。騎士様が同じところでじっとしていられては、何かあったのかと、不審がられてしまうだろ?」
「うむ。確かにその通りだな。わかった」
よし。あとは、あのおっちゃんに上手い事合わせてもらえるように頼み込んで、俺はさっさと家に帰るとするか。