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深紅の竜血  作者: 江渡由太郎
第六章 終わりの地
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9

 その浮島は、黒煙を割るようにして天穹を渡っていた。

 崩壊した聖都の上空、燃え立つ雲を切り裂きながら――まるで、神の審判を下すために現れた巨大な祭壇のように。


 マーク・オーウェンは焦げたバルコニーの欄干に手をかけ、焼けただれた指先を顧みることもなく見上げていた。

 その浮島の輪郭は、やがて幾重にも重なる魔法陣の光で縁取られた。赤、蒼、金――三色の光が交差し、空を覆うほどの巨大な印章を形作っていく。


「まさか……あれは、“神炎の方舟アーク・イグニス”……!?」


 マークの唇が震えた。

 古代王国時代、炎の神ファル=イグナが地上を離れる際、己の眷属を乗せて天へと昇ったという伝承に出てくる、神話上の浮島。

 それが、今、彼の眼前に実在していたのだ。


 雷鳴のような音が空気を裂いた。

 浮島の下層部に開いた巨大な門――そこから、炎をまとった影が次々と飛翔してくる。

 それらは鳥の形をしていたが、羽ばたくたびに羽毛ではなく灼熱の炎が舞い散り、尾が灼光の残滓を引いていく。


「……不死鳥フェニクスの群れ……!」


 マークの喉から漏れた声は、もはや言葉ではなかった。

 それは畏怖、絶望、そして――崇拝にも似た感情の混じり合った呻きだった。


 フェニクスたちは黒竜の周囲を旋回しはじめた。

 空の覇権を争うように咆哮が響く。

 竜は怒りに満ちた金色の炎を吐き、不死鳥は紅蓮の翼でその焔を裂いた。

 天と地の境が消えたかのように、光と闇が交錯する。


「……まさか、黒衣の魔女は……これを呼んだのか……」


 そう呟いた瞬間、彼の脳裏に、あの女の能面のような微笑が浮かんだ。

 ──『伝説はやがて、神話になるのよ』。

 その言葉が、冷たい鎖のように彼の胸を締めつける。


 マークは杖を握りしめ、意識を集中させた。

 崩れかけた城壁の中で、なお己が生きている理由は一つしかない。

 “この地に起きたことを、見届けるためだ”。


 だが、彼の決意を嘲笑うかのように、突如、バルコニーの下から黒い影が立ち上がった。

 それは、血のように赤い双眸を持つ巨大な影。

 炎でも煙でもない。

 漆黒の闇そのものが、意思を持って形を取ったような存在だった。


「……抱擁するエンプレス・エムブレイス……!」


 黒衣の魔女が口にしていた“伝説の竜”。

 それが、すでにこの地に降臨していた。

 竜の鱗は、光を吸い取るような漆黒。その縁を淡い紅が舐める。

 動くたびに周囲の空気が歪み、炎の音が遠のき、代わりに心臓の鼓動のような低い響きが大地を伝う。


 そのとき、天空の浮島から、一条の赤光が地上へと放たれた。

 光は一瞬で王城を貫き、黒竜の額に突き刺さる。

 轟音が響き、黒竜は苦悶の咆哮を上げた。

 そして、その赤光の中から、ひとりの少女が降り立った。


 その髪は焔のように赤く、瞳は蒼。

 浮島の上位祭司の衣を纏いながらも、その背に展開した翼は純白ではなく、血に濡れたような深紅に染まっていた。


「……炎の神の従者セラフィーナ……まさか、生きて……」


 マークは膝をついた。

 この名を知る者は、古代文献の中でも限られた者しかいない。

 神炎の方舟を操る“焔の巫女”、すなわち炎の神に最も近い存在。

 伝承ではすでに“焼却の審判”とともに滅んだはずの存在だった。


「この地は、もはや赦されぬ。――契約の火は途絶え、神の盟約は破られた」


 セラフィーナの声は、静寂の中に響いた。

 その声に応えるように、不死鳥たちが一斉に鳴き声を上げる。

 黒竜は怒り狂い、黄金の炎を吐いた。

 炎と炎がぶつかり、空が裂ける。

 閃光が一瞬、昼のような明るさで燃え上がった。


「黒衣の魔女……貴様は……何を求めたのだ……」


 マーク・オーウェンは焼ける空を見上げながら、呟いた。

 その瞳には、崩壊の中に宿る“何かの誕生”を感じ取っていた。

 ――この戦いの果てに、神話が新たに書き換えられるのだと。


 そしてその瞬間、風が凪いだ。

 黒竜が、静かに翼をたたんだ。

 炎の女神の巫女と、竜が視線を交わした。

 やがて、紅蓮の光の中で、ふたりの輪郭が一つに溶け合っていく。


 それは、古の預言書にある一節を思わせる光景だった。


 “竜は女を抱き、炎は再び神の名を得る。そのとき、世界は終わりの黎明を迎えるだろう。”




 マーク・オーウェンの頬を、熱い風が撫でた。

 彼はそのまま、静かに目を閉じた。

 眼下の王都は崩れ、天は赤く燃えている。

 そして空には、新しい太陽が生まれつつあった。


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