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王は死んだ。
それについては、蚤の心臓ほどの小心者であった王チャールズ陛下のため仕方がないことである。
「わたしのせいではない……わたしのせいではない……」
宮廷魔術師は侮蔑を込めてそう心の中で繰り返し呟いた。
そして、熱気を含む突風が火の粉を舞い上がらせているこの光景が、まるで幻影であるかのように飽きることなく眺めていた。
その熱風に合わせてマーク・オーウェンの鮮やかな濃い紫色の賢者のローブの袖が風で靡いた。
黄金色の炎で大地を焦がし民を焼きつくしている炎の熱気を纏った風の乙女は死の旋律を奏でているのだ。
こんな荒れ狂う炎の精霊力が異常に強まった状況では風の精霊シルフも狂気を孕む存在と化していた。
「わたしのせいではない……わたしのせいではない……」
火の粉を舞い上がらせている風を全身に浴びなからバルコニーに立ち、宮廷魔術師マーク・オーウェンは物思いに耽っている。
つい先刻、黄金色の獅子という王国のチャールズ王は恐怖の余り錯乱し、このバルコニーから身を踊らせながら投身したのだ。
「わたしのせいではない……ククク……あれではまるで……ククク……」
それはまるで、滑稽な道化師の見せ物か壊れた傀儡人形のようであった。
宮廷魔術師は精神崩壊寸前であり正常な感情に保っていられずに笑いが込み上げていた。
マーク・オーウェンには一連の出来事が走馬燈のように見えており、それらは終わることがない繰り返しの映像として宮廷魔術師の精神を磨り減らし続けていた。
その光景は、あっという間の出来事であった。
黒衣の魔女が玉座の間から姿を消した後、再び黒竜の咆哮が発せられた。
宮廷魔術師は王を庇うように前に立ちはだかり、咄嗟に己と王の周りに魔法の盾の魔法を発動させた。
防護の魔法としては初級であるが、呪文詠唱が短く瞬時に発動させる魔法としてはこの咄嗟の状況ではこれが限界であったのだ。
残念なことにマーク・オーウェンの魔法の恩恵を得られなかった玉座の間に居た者たちは、漆黒の老竜が放った咆哮により文官も武官も全て絶命していた。
宮廷魔術師マーク・オーウェンの防護魔法により、聞く者全ての精神や魂までも破壊すると言われるドラゴンの咆哮の効力は幾分緩和されはしたが、それでも魔法に耐性の低いチャールズ王は正気を失ってしまったのだ。
荘厳な獅子を型どった黄金の装飾と幾つもの高価な宝石が散りばめられた王冠を冠した姿で狂喜乱舞し、城のバルコニーから身を投げたのだ。
チャールズ王からすれば、己の浅知恵で黒衣の魔女を王国へ招き入れた結果、最悪な状況を更に悪化させたに過ぎなかったのだ。
宮廷相談役の宮廷魔術師には内密にし、邪悪な魔女の力を借りようと浅はかな考えが招いた悲劇に対しチャールズ王の硝子細工のように脆い心は砕け散ったのだ。
「この国は死んだ…」
宮廷魔術師マーク・オーウェンは眼下に広がる燃え盛る王都を眺めていた。
「わたしのせいではない……わたしのせいではない……」
その細められた眼には栄華を極めた聖都であった景色はもうそこにはなかった。
そして、黒竜の黄金色の炎は城をも焼き付くす勢いで放たれている。
おそらく、自分はこの黄金色の王国で唯一人の生き残りであると漠然とであるが判断できた。
遠くの南の城壁に馬に騎乗した団体が見えた。
「お、おお……来てくれたのか……この死地に来てくれたのか……」
宮廷魔術師は遠見の魔法を使い遠方にいるセフィロトの守護者たちをはっきりと目視する為に、呪文の詠唱を始めた。
「な、なんということだ……盟約を反故にするというのか⁉」
宮廷魔術師の目には信じられない光景が繰り広げられていた。
セフィロトの守護者の王は冷ややかな視線を炎上し火の海と化した王都に向けていた。
そして、セフィロトの守護者たちは王の命令で来た道を後退したのだ。
「……森のエルフ共め! 未来永劫……お前たちの永遠の命ある限りこの報いを受けるがいい!」
怒りの感情は宮廷魔術師の心を完全に壊してしまった。
憎しみの感情は理性を呑み込み、マーク・オーウェンに呪いの言葉を紡がせた。
それは古代語魔法でも禁忌とされる黒魔法である。
集中力を高める体の中に宿る魔力も呼応するように高まっていく。
長い詠唱が始まると玉座の間は魔力で満たされた。
そして、呪文が放たれた。
黒き霧がセフィロトの守護者たちの集団を包み込み、そのまま彼らの王国である生命の森へ向かった。
黒い霧はそのまま森全体に溶け込むように消えたのだった。
「……ククク……わたしは何も悪くはない……お前たちが悪いのだ……」
心を失った宮廷魔術師はそう一人ごちた。
燃え堕ちる王都から立ち上る黒煙が空一面に広がりつつあった。
その暗雲を黒い鱗の竜が優雅に舞っている。
すると、上空に黒竜とは別の何かが宮廷魔術師の視界に入った。
「あれは、浮島か!?」
誰に問うわけでもなく言葉が出た。
浮島はその名のとおり魔法の力で天空に浮いている島である。
マーク・オーウェンは遠見の魔法の呪文を唱えてから何度となく瞬きを繰り返した。
視界が徐々に開け遠くの光景がはっきりと確認できるようになった。
「あ、あれは!? 炎の神の従者か!?」




