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肌を焼き尽くすような激しい痛みが激痛の荒波となって、ウィリアムの全身を駆け巡った。
狼の紋章が刻まれた鋼の鎧は若い王子の体を護ることができないだけでなく、高温に熱せられていた。
鋼鉄の塊は灼熱を帯びて更にウィリアムを苦しめ続けた。
ウィリアムを襲った炎は、炎の神に仕える女司祭が放った巨大な火玉であった。
炎の神の女司祭は主の姿に似せて人間ならざる姿へと変貌を遂げていた。
化物の姿は魔神そのものであり、大いなる闇の魔法で幾つもの巨大な火球が若い王子の周りに突如出現させたのだった。
その火球は姿を変えて高温高熱の炎の柱なりウィリアムを呑み込んでいた。
「ウィル!」
老魔術師の嗄れた声が絶望を孕んだ声で叫んだ。
トレバーは知っていた。
あの火球一つを放つだけでも魔法使いでは導師級の魔術師でなければあの呪文を成功させることは叶わない。
大魔導師と呼ばれるトレバーでさえ、あの火球を最大三つまでしか同時に放てない。
放ったが最後、己の全魔力が底をつき、暫く魔法を使うことも身動きすることできないほど消耗するのだ。
トレバーは数十年前に一度だけこの呪文を試みたことがあった。
呪文は成功し巨大な火球は大魔導師の頭上に同時に三つ現れた。
それを海に向かって放ったのだが、その後の記憶はなかった。
おそらく全魔力を消耗し、極限の集中で精神と身体が疲弊したために意識を失ってしまったのではないかと考察したのだった。
あれから数十年が経過し年老いた自分にあの時と同じ事ができるのかという不安もある。
大魔導師と呼ばれる自分よりも、目の前の羊の頭をもつ魔物は火球を同時に四つも放ったのだ。
炎は更に変化をし火柱と化したのだからトレバーさえ知り得ない複数の魔法を組み合わせた複合魔術を放ったのに違いない。
ウィリアムは紅蓮の炎の中で薄れゆく意識に大魔導師の声が壊れた機械仕掛けの玩具のようにゆっくりと駒送りで届いた。
自分だけが周囲とは別の時間の流れに囚われてしまったのではないかという錯覚に襲われた。
「ディヴィナ……」
そんな状況下にあってもウィリアムは薄れゆく意識の中で、彼女のはにかみながら微笑む幼さ残る顔が浮かびあがった。
ディヴィナを救うこともできなかったことが悔いてならない。
極寒の地で飢えと寒さに怯えながら育ったが、それでも王族として周りの民とは比べ物にならない程に恵まれた生活を送っていた。
ウィリアムにとって自国の領土が全てであり、それ以上のことそれ以下のことも考えられなかった。
王族として退屈で窮屈な毎日の変わらぬ生活がずっと続くものだと疑う余地もなかったのだ。
父亡き後は兄が家督を継ぎ狼の紋章の王国の王となる。
母が違う自分は王族の血を引いてはいるが、正統な王族として城内では扱われていなかった。
“不義の子”とさえ侮蔑を込めて罵る者もいた。
ユアン王亡き後は何処か辺境の地の領主としてお払い箱だと噂されているのも知っていた。
何処かの国の王女を妃に迎える兄とは違い、兄に従う忠実で有能である野心家な下級貴族と婚姻させられるか血を残さないように結婚を許されないことさえもあり得るのだ。
下級貴族の娘の親は兄に忠実ではあるが身分が低いためこのような婚姻でもなければ、現在の地位も上がらない。
ウィリアムは所詮捨て駒であり貴族達の出世の道具に過ぎないのである。
どうしようもないことであるし受け入れる意外ないのだ。
ならば、そこで腐らずに自分らしく生きようと決めていた。
剣術に励み、勉学にも打ち込んだ。
だが、人生は死という終着点まで一本道であり、そこから寄り道しようが幾つもの枝分かれした道を歩もうが最終的には定められた運命の一本道を歩みそして死ぬことは変えられないのだ。
心の奥底で潜んでいた何かがウィリアムの中で膨らみ始めた。
「死は始まりにすぎない」
冥府を司る神がウィリアムにそう囁いた。
死界へ行った時に感じた大いなる意思の力を感じた。
冥府を司る神は死界へ訪れたウィリアムを現世に還す時にそう告げた言葉であった。
「まだ……死ぬわけにはいかないんだ!」
ウィリアムの生への執着がそう叫んだ。
死を拒絶せんとする己の意思の力がウィリアムの心の奥底で膨らみつつあった力を押さえ付けたのだった。
炎の柱の中で眩い閃光が走る。
次の瞬間、たちどころに炎の柱は煙の如く散々に飛散し消滅した。
空中に浮かぶ浮島に光が溢れ周囲に満ちた。
その光はウィリアムの手に握られている剣から発せられていた。
古エルフ族の女王イザベラから授けられた長剣である。
魔法の光に包まれた長剣は青白い光で氷のごとき鋭さで輝いていた。
古エルフが鍛えたこの魔法の剣が運命を握っていると冥府を司る神がそう言っていたことを思い出した。
ウィリアムは一流の剣技がある騎士でもなく勇猛果敢な戦士でもない。
ましてや魔術師や司祭といった古代語魔法や神聖魔法を使いこなす魔法使いでもないのだ。
ただの若者である自分がある日突然、世界の破滅を意味するような神の審判に運命を翻弄されることとなったのだ。
そして運命を左右する程の武器を手にしているのは神ではなく、人間であるウィリアムであった。




