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朝露が磨きあげられた無機質な大理石の壁を踊りながら滑り落ちた。
夜明けが静寂の中で訪れ、陽光に照らし出された朝露は宝石の如く眩い輝きを放っている。
ウィリアムはそれがいかにも神聖なものであるかのように真剣な眼差しで見詰めている。
そうすることで己の心の隅々までもが聖なる輝きで洗い清められる思いがした。
明日のないこの世界で最後に目にすることになる美しい景色がこれかもしれない。
今この大陸は恐怖と死に満ちている。
神々は何処か遠くで、我々のこの悲劇的な行いを目にして憂いているかもしれない。
ウィリアムはこの大陸から古エルフ族が去り、黒エルフ族は滅んだことを知った。
教えてくれたのは大魔導師として魔術を極めた者と呼ばれているトレバーであった。
数日前、魔法学院の結界が解除されたことで強制送還の呪文でウィリアムたち一団は離宮へと移動していた。
天空に存在する浮き島にある離宮と呼ばれる建造物へと引き寄せた張本人はトレバーであった。
ウィリアムはトレバーから狼の紋章の王国の実状を詳しく伝えられた。
兄は亡くなったこと聞いた。
「兄様も炎の神に翻弄された一人ということなのですね……」
「神々の息吹きに巻き込まれたために、ウィルお前の肉親は命を落とした。それ以上に多くの者たちの命をも奪っておる……」
「わたしは……決して許さない! この憎しみは口で言うほど生易しいものではありません!」
「確かにな……だが、憎しみからは憎しみしか生まれない。神を罰することはできないのなら、神の行いを正すしかないのではないか?」
「神の行いを正す!?」
「そうだ……この地上全ての命を奪い去ろうとしている神の行い……神が人間に下す審判に抗うことができるのもまた神の創造物である人間なのだ」
ウィリアムは目の前の老魔術師の途方もない話に困惑を示した。
自分はただの人間であり、剣技が優れた剣聖と呼ばれる存在でもなければ、目の前で熱弁を振るっている大魔導師でもないのである。
剣を扱える未熟な若者に過ぎない自分には到底理解の及ぶ次元の話ではないのだ。
「トレバー老師は何か秘策をお持ちなのでしょうか?」
「ワシに秘策を求めるか?」
老人は愉快そうに長い顎髭を揺らしながら笑った。
「秘策なら既に冥府を司る神に与えられたのではないか?」
「な、何故それを御存知なのですか!?」
ウィリアムは取り乱したまま尋ねた。
「ワシを誰だと思っている?皆が大魔導師と呼ぶんじゃぞ。この世界で起こっていることは全て知っておるわ」
トレバーは冗談だとも本気だともとれるような意味ありげな笑みを目の前の若者へ向けた。
確かにトレバーの所有する物見の水晶球ならば世界の果てまで見透せる。
冥界や死界での出来事さえも覗き見ていたに違いない。
トレバーにとって関心事であり知識欲を欲するためであろう。
本人も自身の事を欲にまみれた最も汚らわしい存在であり”饕餮”なのだと言っていた。
ウィリアムは自分の育った国の領地のことでさえ全てを知り尽くしている訳ではない。
ましてや他国のことなど無知に等しい。
ウィリアムはそれが普通であると思っていたが、トレバーは”無知であることが恐ろしい”と言っていたことがあった。
今になってであるが、無知である自分が恐ろしいと思う。
何も知らないまま死を迎えることもできるが、それではいったい何のために自分はいままで生きてきたのか解らない。




