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赤銅色の月は”血の月”と呼ばれた。
この”ブラッド・ムーン”とその隣に太陽の如く輝きを放つ巨大な天体があった。
まるで、夜に太陽と月の両方が存在しているようにも見える。
だが、それは太陽ではない。
月が太陽の光を反射しているのを地上から見るのと同様に、その巨大な天体もまた太陽の光を受けて反射していて、本当の太陽のように輝いているのだった。
天空に輝く”血の月”が現れる時、地上に災いがもたらされる前兆とされた。
五十年前には古竜”抱擁するもの”が、この大陸で殺戮の限りを尽くした。
ドワーフ族の地下坑道で炎の神が目覚め、ドワーフ族の地下宮殿は壊滅し、ドワーフ族のほとんどが滅び去った。
今回も炎の神が再び現れ、世界を終焉へと導いていた。
炎の神は、汚れきったこの地上に蔓延る邪悪な人間そのもの全てを粛清するために、この地上の極地に位置する南部へ天から惑星を衝突させ、一度全てを無に還すことにしたのだ。
全てが星屑と化し、文字通り何も残らないのである。
この真実にたどり着いたのは、大魔導師トレバー唯一人だけであった。
地上で月に最も近い場所である天空に浮かぶ離宮”スターヒル”にて、星の観測を行い大地の吉凶を占い、不穏なことがないか監視していたのだ。
大魔導師トレバーの予感は的中し、この世界は益々終焉へと近づいていた。
惑星をこの地上へと衝突させることは、すでに仕組まれたシナリオだったのかも知れない。
塵の中からこの惑星を創造したのちに、遥か遠い宇宙の果てから方舟に乗ってやって来た神々は、自分たちの姿に似せて我々人間をこの地上に創造した。
無知な人間は神々から知識を授かり、学問や道徳心といった教養や道具を造ることや建造物を建てるなど建設知識を授けられたのだ。
農耕の知識や織物の知識とあらゆる知識が人間に与えられ、やがて人間は神々をも凌駕する脅威となった。
やがて、神々の大戦が始まり、空は古竜の炎で焼かれ神々の肉体は滅んだ。
不滅の魂だけの存在となった神々は、この地上に干渉する術を失い地上である物質界から去っていったのだった。
神々が自分の姿に似せて創造した人間が、この地上の新たな支配者となった。
これが神話として、この人間の世界で語り継がれているのだ。
きっと神々は人間が滅びることを最初から想定してこの惑星に天空に輝いているあの忌まわしい惑星ニビルを衝突させるように仕組んでいたのだろうと、北の賢者とよばれるトレバーはそう考察した。
地上の人間たちに世界の終焉が訪れることを告げたとしても、終焉を信じる人間たちには”この世界に蔓延る人間の邪悪な行いが大きすぎて人間自身の手には負えない”とし、天空の神々へ慈悲を請うことだろう。
こうした想いを抱いて、古今の神々や光の七神の宗教を信じる人間たちには”神がお救いしてくださる”という心理が深層心理の中で働く。
神々への信仰心がない人間たちには”何かしらの大惨事が訪れてしまう”という考えが先行する。
光の神々の宗教を信じる人間たちにとっては、自分が”救済される神々の子である”側に入っていると信じて疑わない。
古今の神々や光の神々といった宗教を信じていない人は”粛清の時”には生き残るために戦う、と考えるるのだ。
世界終焉を信じる人間たちは、この世界が明日終わったとしても、自分が死ぬとは必ずしも思っていないのである。
大魔導師トレバーは物見の水晶球の魔力を発動させた。
七色の魔法の光が輝き出すと、水晶球の中に映像が映り出された。
それは、竜の紋章の王国にある魔法学院の一室であった。
元宮廷魔術師は、己の内に秘めた原始の混沌たる魔力の根源であるマナの力を高めるために、上位古代語の詠唱を始めた。
枯れ枝のような指に握られている歪な形をした杖の表面にはルーン文字が刻まれ、古代語の詠唱に共鳴するように樫の木で作られた魔法の杖が発光する。
老魔術師イーサンは杖の先端を若者へ向けた。
ウィリアムは杖から発せられた青白い燐の炎に包まれ、その場に力なく崩れ落ちた。
その光景を上方から眺めている若者が居た。
自分の体は宙に浮かんでいることに初めてウィリアムは気づいた。
屍のように動かない己の肉体を見下ろすことで、肉体と魂が引き離された状態にあることを理解することができた。
老魔術師は再び上位古代語の詠唱を始めた。
樫の杖を今度は真実の鏡の鏡面へと向ける。
呪文が完成し、歪な形をした魔法使いの杖の先端から雷光のような光が迸った。
すると真実の鏡の銀色の鏡面は、漆黒の闇の底のような闇色へと姿を変えた。
「ウィリアム殿下! 真実の鏡の鏡面の中を潜りなさい。そこが死界への入口です」
老魔術師は部屋の天井付近に浮かぶ、無防備な剥き出しの魂に向かって叫んだ。
ウィリアムの体は自分の意思で自由に動いた。
真実の鏡の闇色の中へと向かうこと考えるとそのように体が動いた。
実際の肉体と何等変わる事がないことをウィリアムは理解すると、死界の入口へと飛び込んだのだった。




