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深紅の竜血  作者: 江渡由太郎
第五章 嘆きの壁
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 溶けたタールのような銀色液体は無形の姿と化し、鏡の枠へと流動し始めた。


 再び鏡面が真実の鏡に戻ると本来有るべき姿となった。


 元宮廷魔術師イーサンは”真実の鏡”の霊の言葉に着目していた。


 冥界と現世の狭間の死界に、ディヴィナが囚われているのではないのかという疑問が、払拭できずにいたのだ。


 黒衣の魔女は確かに、恐ろしく強大な魔力を操る魔法使いである。


 北の賢者と呼ばれる大魔導師と同等か、それ以上の魔法の使い手であることは間違いない。


 この大陸で最も恐るべき存在であるのだ。


 それゆえ、人々から恐れられた大魔導師は、人とのかかわりを絶つように北部へ渡り北の賢者と呼ばれるようになった。


 元宮廷魔術師のイーサンは自分よりも高名な大魔導師に畏敬の念を示した。


 魔法学院の再建を心に誓っていたが、今は目の前の若者に助力しようと思った。


 己の目的である魔法学院の再建は、これから時間をかけても十分だとした。


「ウィリアム殿下。死んでいただきます!」

 老魔術師は真顔で若者に言った。


「イーサン老師……一体何を言っているんですか!?」

「わたしは真剣です。ウィリアム殿下には、この場で死んでいただきます」

 ウィリアムは困惑した表情のまま、それ以上言葉を発することができずにいた。


「気でも違ったか!?」

 若い騎士ピーターは、自分の主君を護るために腰から長剣を鞘から抜き放った。


「狼狽えることはない。わたしは正気だ。これからウィリアム殿下には、御一人で死界へ赴いて頂く」

 老魔術師イーサンは自信に満ちた顔でそう告げた。


「死界へ!?」

 ウィリアムは狼狽していた。


「ちょっと、待ってよ。死界は死者である亡者の世界でしょ!? そこへウィリアムを独りで行かせて大丈夫なの!?」

 エルフ族の娘ユーリアは、魔術師に訊ねた。


 妖精族であり古エルフ族のユーリアは、妖精界の住人である。


 現世であるこの物質界へも出入りできる。


 だが、死界へは足を踏み入れたことはない。


 ユーリアが望めば、精霊が住まう精霊界への扉を開けて行くことも、古エルフ族である自分には可能であると思っているが、試したことはない。


 精霊界は精霊の世界であり妖精である自分の世界ではないため、何が起こるか予想すらできないからだ。


 精霊界へ入ったまま出てこれない可能すらある。


 下手をすると精霊界に取り込まれ存在が掻き消される恐れもあるのだ。


 異世界へ行くことは、それだけのリスクを負うことになる。


 ウィリアムも物質界から死界へ入ったまま現世へ戻れずに、そのまま亡者の仲間入りをしてしまうかもしれない。


 もしも、死界の穴へと堕ちたなら、二度と現世には戻って来れないのである。


 穴へと堕ちたならばその先には冥界があるのだ。


 死界と冥界の狭間に魔界があり、魔神が住まう世界があるとも言われており、召喚魔術で魔界から魔神を物質界へ呼び出す魔法が存在すると、古エルフ族の女王イザベラから聞いたことがあった。


 冥界の最深部には煉獄があり、そこには幻魔獣リバイアサンが幽閉されていると言われている。


 冥界の最果てには嘆きの壁があり、その壁の向こうには黄金の岩のドームがあるとされる。


 北の門正面の床にある、緑色の石は天国のタイルには十九本の金の釘を打ち込まれている。


 この釘がすべて外れると、物質界は混沌の世界になるという。


 現在では残り三本であると言われている。


 冥界の王は黄金の岩のドームに住んでおり、そここそがエーリュシオンと呼ばれる楽園の世界が存在するそうなのだ。


 岩のドームの内部に露出した岩の部分がある。


 岩の下の洞窟には、冥界の王が認めた”聖人”が祈りをささげたところがあり、魂の井戸と言われている。


 最後の審判の日には、ここにすべての魂が集まるということだった。


 半神と呼ばれ森の神と崇めらるた古エルフ族の女王イザベラは、そのこともユーリアに話していた。


 冥界の王は憂いた瞳をした最も慈悲深い神であり、光の七神の一柱でもあった。


 しかし、慈悲深いがために人間の汚れを嫌い、人間が清廉潔白であることを望んで、人間たちが汚れる前に神々の元へ召されるように死の救済を与えた。


 そのため、光の七神たちから非難され、光の七神から追放された。


 冥界の王は冥界を創造したのち、その世界を統べる王となったのだった。


 慈悲深く清廉潔白で純粋な心を保つために、冥界の王は天界に似せた世界を冥界にも作った。


 そここそがエーリュシオンなのだとユーリアは教えられた。


「死界へ行くことは、わたしは反対だわ! 危険すぎる!」

 エルフ族の娘ユーリアがエルフ族らしからぬ感情を剥き出しにして抗議した。


 「ディヴィナ様をお救いする手段が死界へ赴くことだとしてもですか?」

 老魔術師は静かにそう言った。


「エルフの娘が嫌がるのも解る」

 ドワーフ族のイムリがそう言った。


「ワシたちドワーフ族は、元はエルフ族と同じく妖精界の住人じゃった。しかし、ワシたちは物質界に囚われてしまい妖精界へ戻る術を失った。人間であるウィリアムが物質界から死界という異世界へ行ったらこちらへ戻れぬことをエルフの娘は恐れているんじゃよ」

 いつになくイムリは饒舌に話をした。


「珍しく賢いドワーフがいるもんだわ」

 ユーリアは照れを隠すためにイムリに対し憎まれ口を叩いた。


「ウィリアム殿下は、死界へ行ってもらうしかないのです」

 元宮廷魔術師は苦しそうに、その言葉を喉の奥から吐き出した。


「分かりました。わたしが死んで死界へと行き、ディヴィナを探し出してきます」

 ウィリアムは覚悟を決めてそう口にした。

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