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炎の神と古竜”抱擁するもの”が戦えば、神々の聖戦さながらの激戦が繰り広げられるはずだと、黒衣の魔女はふんでいた。
炎の神は本来の肉体ではなく人間の器に転生したのだから、あらゆる制約があるが、古竜ファーヴニルはディヴィナという少女の拘束さえなくなれば、本来の古竜の力を発揮できるのだ。
古竜ファーヴニルの吐く紅蓮の炎は神々の肉体さえも焼き尽くし、塵と化したと言われる。
炎の神の肉体は矮小な人間の器であるのだから、その比ではない。
炎の神の肉体は滅んでも、不滅の魂までは滅することはできない。
神の魂は天界へと帰還するだけだが、古竜は滅することができる。
炎の神との戦いに傷ついた古竜”抱擁するもの”をウィリアムという若者が倒せば世界の驚異は消え去る。
如何に太古の魔獣といえども、深手を負った死に損ないの古竜ファーヴニルならば、禁忌の魔法を使って倒すことができると黒衣の魔女は考えていた。
強大な魔力を消費する呪文を行使すると、自分の偽りの若く美しい肉体は本来の老婆の姿へと変わり果ててしまうのだ。
ディヴィナという少女を水晶の棺に封じ込めた、この禁忌の呪文さえ古の時代に失われた呪文の一つなのだ。
この呪文を行使したことにより、黒衣の魔女は若く美しい肉体を維持する魔力さえも消費しきってしまった。
手元にある”深紅の竜血”と呼ばれる紅石の魔力で再び若く美しい女性の姿に戻れるが、深紅の竜血も使用するたびにその大きさや形を変えてしまい、今では葡萄の実一粒ほどの大きさしかなかった。
「あと三回ほどしか使えないわね」
黒衣の魔女は本来あるべき姿の老婆の姿からこれから若返るために、残された回数のうちの一回を使用することになる。
すると残りは二回となり、古竜を倒すのに最大級の禁忌の呪文を使う時に使い切るかもしれないのだ。
古竜ファーヴニルを倒すことができれば、その血で再び深紅の竜血という紅石を魔法で構成し生み出すことは可能である。
そのためにも、何としてもウィリアムという若者に古竜ファーヴニルを退治してもらわなくてはなかないのだ。
「わたしの王には”神殺しの竜を殺した騎士”となって、この大陸を統べる国の王となってもらわなくてはならない」
黒衣の魔女はそう呟いた。
複数の国家があることで、互いに憎しみ合い争い合うことで、戦が繰り返されると老婆は長年考えていた。
一国の中では、王家では王位を巡り醜い骨肉の争いを演じていた。
実の兄弟でさえも、互いに裏切り合い陥れ殺し合った。
美しい姉妹の内の一人だけが他国に嫁ぐにあたり、妹は姉の化粧水に酸を混ぜ、姉は妹の葡萄酒に酸を混ぜた。
その結果、姉は美しい顔を失い、妹は美声を失い、他国へ嫁ぐ話は破談になった。
王宮の中では官僚が政を牛耳るため、不正と腐敗が蔓延しその皺寄せは必ず弱者の国民へと押し付けられる。
国が荒れれば、その穴埋めを他国に負わせるために、侵略が始まるのだ。
戦が始まれば、多くの国民が犠牲となり多くの無益な血が流れる。
このことを理解できない人間は王になるべきではない。
ウィリアムという若者は、まだ若いがこのことを理解していることを黒衣の魔女は知っていた。
だからこそ、統一国家の覇王になって千年の平和を築いてもらいたいのだった。
「幻想だよ」
老婆の居る部屋の中で突如声が響いた。
黒衣の魔女は、物見の水晶球へと視線を向けた。
黒水晶球は怪しげな魔法の輝きで発光していた。
「魔導師トレバーね。女性の部屋の中を覗き見とは素敵な趣味だこと」
「物見の水晶球は互いに通じあっているのでな」
トレバーと呼ばれた魔導師は悪びれた様子もなく返答した。
「それで、わたしの考えていたことまで覗き見たのね」
「そういうことだ。おまえの考えは確かに理想的だ。統一国家の覇王が統べる国は争いがなくなるかもしれん。だが、それは幻想に過ぎん。今だかつてこの大陸に統一国家が栄えたことはない。哀しいことに人間とは争わずには生きていられない愚かな生き物なんじゃよ。そのことは、長年生き続けてきたおまえが一番よく知っているはずじゃないか」
北の賢者と呼ばれる大魔導師は黒衣の魔女にそう告げた。
「わたしの王はそれを成し遂げるわ」
「ウィリアムは確かに賢く理性的で純粋な若者だ。だが、覇王の器ではない。生まれもって覇気を纏った人物にこそ、その資格がある。ウィリアムは北部のような国の王に相応しい」
「一年の大半を雪と氷に閉ざされた厳しい環境で貧しく生きる国王になるのが相応しいってこと?」
「おまえには理解できないだろうがな」
トレバーは残念そうに、黒衣の魔女に言った。
「わたしは炎の神と古竜”抱擁するもの”を戦わせるわ。そのことはあなたも承諾して頂戴ね」
黒衣の魔女は北の賢者へそう告げたが、トレバーは何も答えぬまま沈黙していたのだった。
「ところで、ディヴィナという少女はどうするつもりだ?」
トレバーからの皮肉めいた問いに、黒衣の魔女は愉快だと言わんばかりの笑みを送った。
「大いなる目的の達成のためには、多少の犠牲はつきものよ」
黒衣の魔女は、水晶の棺の中に封じ込められている少女を一瞥して言った。




