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針葉樹の森の中で、甲冑姿の男性騎士が立っていた。
胸当てには狼の紋章が刻まれており、若い男性騎士は憂いた瞳でウィリアムを見詰めていた。
「兄さん! グラント兄さん! 何があったんですか!?」
「ウィル、おまえもやがて知ることになる。その日が来るまでの間、それに立ち向かう勇気と強さ、そして優しさを兼ね備えた男として成長して欲しい」
「分かりました! 俺はグラント兄さんのような立派な人間になります!」
「ウィル、頼んだぞ。この地上を神の暴挙から救ってくれ。俺たちの故郷を……雪と氷に覆われた北部の大地だが、自然の厳しさと人間の優しさを教えてくれた美しい北部の大地を……ウィル、おまえの力で守ってくれ」
「兄さん! グラント兄さん! 行かないでくれ! グラント兄さん!」
ウィリアムは背を向けて自分の元から去って行く、兄グラントの名を必死に叫んだ。
だが、兄は一度も振り替えることなくその姿は遠くへ離れて行き、やがて姿が見えなくなった。
針葉樹の森から兄グラントの姿が消えたのち、父ユアンが現れた。
黒の甲冑には金色の狼の紋章が刻まれており、腰にはエルフ族の女王イザベラから賜った宝剣を帯びていた。
「ウィル、どうして光の神々は我らをこの北部に生をお与えくださったのだろう。一年の大半が雪と氷に閉ざされたこの大地で暮らすのは何故だと思う?」
王であるユアンは威厳に満ちた表情で、ウィリアムに訊ねた。
「それは、神々が我らにお与えになる試練ですか?」
「その試練とは何のための試練だ?」
「その試練は……厳しい現実を受け入れ逞しく生きることですか?」
「それもまた答えの一つだと思うぞ。答えは一つとは限らないからな」
「では、父上がお考えの答えとは?」
「この北部の厳しい環境と貧しい人々の生活によって、学ぶのだよ」
「学ぶ!?」
「そうだ。他者を受け入れ他者を尊重し何者も踏みにじることのない心……他者を思いやる慈悲の心を学ぶのだ」
そう言うと、ユアンは背を向けて煙のようにその姿は掻き消されたのだった。
針葉樹の一本の樹の樹皮に、母アリスンの顔が浮き出ていた。
能面のように冷たく表情が一切感じられない。
何故、母親がこのような場所に居て、樹木と同化したかのような姿なのか困惑した。
「母上……」
ウィリアムはおそるおそるその樹木に話しかけた。
するとその能面のような顔は瞼を見開き、そして話しかけてきた不届き者である若者に対し、侮蔑の視線で見据えた。
もう一度、ウィリアムは母親へと声をかけようとしたときの事であった。
樹皮に埋め込まれているかのようなアリスンの口が開いた。
「わたしは、おまえが疎ましかった。おまえが居なければいいとずっと思っていた」
憎々しげにアリスンは行った。
「母上……」
「わたしは、おまえの母親ではない。おまえは、王ユアンが抱いた娼婦の子。おまえも知っていたんだろう。北部の国境付近で獅子の紋章の王国と戦があった時に王もその地へと出陣された。その戦が終わって王がロンカストラ城へ帰還されたときに、おまえを腕に抱いてわたしのところへやってきたのよ!」
樹木が裂けて中からアリスンが這い出てくるのではないかというくらいの剣幕で、ウィリアムに出生の真実を突きつけた。
「母上……」
ウィリアムはまるで玩具を取り上げられた子供のような表情をしていた。
「最初は、おまえが憎かった。わたしの王を拐かして王の子を身篭ったその娼婦の子だったからね。本当に殺してしまえればどんなにわたしの心が楽になることかと考えたわ。でもね、それでもね……わたしはおまえを殺せなかった」
アリスンの怒りに満ちていた顔が、急に穏やかになった。
「赤子のおまえは王の血をひいているということは、半分はわたしの愛したユアンの子なのよ。その子はこの世に生を受けてきたことに何の罪もない。わたしが嫉妬して恨んでいるのは娼婦であってこの赤子ではない。そう思うことにしたの。わたしが嫉妬するのは人間として至らないためなのだと恥じながらずっと生きてきたわ」
アリスンは悲しみを湛えた眼で、目の前のウィリアムにそう告げた。
「ウィリアム……ごめんなさい。愛してあげられなくて……ごめんなさい」
アリスンはそう言うと、アリスンと同化していた樹木は突然、激しい炎に包まれて一瞬のうちに燃え尽きた。
樹木が燃え尽きたが、その炎だけは変わらずにその場にその存在感を示していた。
炎の中から声が聞こえ、ウィリアムは耳を澄ました。
「ウィル……」
炎はそう言っていた。
その声は聞き覚えのある懐かしい声であった。
「エレナなのか!?」
ウィリアムはその炎に向かって叫んだ。
「ウィル……」
揺れる炎は徐々に人間の姿を成して若者の前に現れた。
全身が炎である一糸纏わぬ姿の少女は、炎の髪を揺らしながら若者の方へと歩み寄ってきた。
「エレナなのか!? 本当にエレナなのか!?」
ウィリアムは両手を広げて、妹のエレナを抱きしめた。
このまま妹の炎の中で命を失っても構わないとさえ思っていた。
しかし、その炎はウィリアムの肉体を熱することもなく、激しく燃やし尽くすこともなかった。
炎は優しくウィリアムを包み込み、まるで生前のエレナが抱きしめているかのような感覚でさえあったのだ。
「ウィル、わたしを許して。この先きっとわたしの行いがウィルを苦しめる。ウィル、お願い。皆を、民を救って、お願い……」
少女はその大きな瞳を潤ましながら、兄であるウィリアムに言った。
炎の少女の体は徐々に小さな炎となり、やがてその姿を失った。
しかし、ウィリアムの心の中ではいつまでもその残り火は燻っていたのだった。
瞼を開けると、ぼやけた視界が広がった。
「夢!? 夢だったのか……」
ウィリアムの体中の筋肉が一斉に悲鳴を上げた。
「そうか、首なし騎士を戦って……」
徐々に記憶が鮮明になっていった。
そして、夢の出来事もはっきりと思い出されたのだった。




