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深紅の竜血  作者: 江渡由太郎
第三章 永遠の生命
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8

 北部は未曾有の大寒波が一週間程続いていた。

 人々は凍え、そして飢えていた。


 誰もが互いを労る気持ちを失い、血縁者である子が親を殺し、この殺伐とした日々が地獄というのなら、まさに今この北部は煉獄さながらである。


 堅牢な石造りの王城ロンカストラでは、秋に収穫した作物の蓄えは底を尽き、鶏や山羊などの家畜も姿を消していた。

 ここ数日の間では二人の若い使用人の姿が見えない。


 北部でも信仰されていた光の七神教団は大陸から渡ってきた一神教の炎の神教団に一掃され、今では炎の神こそが唯一無二の神として崇められていた。

 今夜も教団は飢える人々に食事の施しを提供していた。


 野菜も豆もないが、肉は入っている温かなスープにありつこうと人々は神殿の前に集まっていた。

 この神殿は以前は光の七神の一柱である鍛冶神の神殿であった。


 鍛冶神は太陽神や炎神として昔から信仰されており、炎の神教団はこれを利用して鍛冶神は”炎の神”だとし宗教改革に成功したのだ。

 以前から信仰していた神と同神だとして、民衆にも受け入れられやすかったことも幸いであった。

 雪と氷に覆われたこの大地に、太陽の加護を願う者も多かったのだ。


 神殿で提供された肉入りスープは民衆の飢えだけではなく心も救ったに違いない。

 炎の神教団の女司祭である紅い女は、王城ロンカストラの窓から見渡せる神殿の様子に微笑んでいた。


 彼女を喜ばせる出来事は他にもあった。

 以前は体の線が分かるような祭服であったが、今はゆったりとした薄手の深紅のドレスに身を包んでいる。


 紅い女は突き出たお腹を優しく摩りながら、ベッドの上で寝ている男の傍へと歩き出した。


 ベッドの上で寝ている男は意識を失ってからかなりの月日が経過していた。

 一向に目を覚まさない男は、ドワーフ族の地下宮殿から意識を失ったままなのだ。

 その間、ずっと狼の紋章の王城ロンカストラで眠り続けていた。


 炎の神の女司祭は、狼の王ユアンと離れてこの北部へ戻ってきていたのには理由があった。

 彼女は使命を果たすために、これまでの人生を神に捧げてきたのだ。


「我が神よ、わたしの使命でもあるこの世界の粛清の時は間もなくです」

 女司祭は突き出たお腹を摩りながら呟いた。


 ベッドの上で昏睡状態のグラントの手を取り、己の突き出たお腹へと当てた。

 女司祭の神聖魔法の長い詠唱が始まり、グラントと紅い女の体が眩い光の渦に呑み込まれるように包まれた。


 炎の神の声が直接女司祭の魂へ語りかけられていた。

 圧倒的な存在感が紅い女の存在をより一層卑小なものだと感じさせた。

 神の存在が如何に絶対的なものかを知らされ、畏敬の念を感じさせたのだった。


「我が神よ、無垢なる魂が宿る器へと転生なさってください。これこそが神の器として用意された真の器なのです」

 女司祭は直接神と交信するのに精神の集中を高めていった。


 グラントの体から何かが溢れるように出てくるのが感じられた。

 それは、人間の体に収まっていたのが不思議なほどの質量を持った魂であった。


 窓ガラスは砕け散り、空気が渦を巻いていた。

 家具は粉々になり一瞬のうちに塵へと変わり果てた。


 ベッドも何もない部屋の中で眠り続けているグラントと炎の神の女司祭である紅い女の姿があった。

 眩い光に包まれ、空気の渦に呑み込まれていても傷を負うことなく二人の体は目に見えない大いなる力に守られていた。


 絶対的な存在は昏睡状態の人間の器を捨てるように、巨大な質量を持つ神の魂は吸い込まれるように女司祭の腹部へと消えていった。

 その瞬間、太陽に匹敵するのではないかというほどの光と嵐のような空気の渦は突然止んだ。

 今まで何事もなかったように静寂だけがこの場に鎮座したのだった。


 紅い女は意識を失っていた。

 やがて、意識を取り戻すと床に倒れていることに気づいた。


 お腹を庇うように、細くしなやかな手で腹部を確認すると、臨月のように膨らんだお腹がそこにはあった。

「我が神よ、わたしに使命をお与えくださったことに感謝いたします」

 恭しく女司祭は神への感謝の言葉を口にした。


「この道を進め。我こそがおまえの神だ」

 紅い女へと直接語りかけられた。

 炎の神の神託を受けた女司祭は心の底から湧き上がるような高揚感に満たされていた。


 床には狼の王の息子グラントの抜け殻が転がっていた。

 今まで、炎の神の仮の器として肉体を支配されていたのだ。

 神の不滅の魂を受け入れた時に、グラントの魂は砕け散り虚無へと化した。


 グラントの魂は神の御許へも逝くことなく、未来永劫虚無から開放されることはないのだ。


 炎の神の女司祭は肉の塊でしかない冷たい骸を一瞥し、これから始まるこの物質界に転生される神を迎える準備のため部屋を後にした。


 紅い女は突然、陣痛に見舞われた。

 神の魂を宿した子がもう直ぐ誕生することを告げていた。


 本来なら、この部屋で儀式を行う前までは妊娠をした七ヶ月ほどの突き出したお腹であったはずが、儀式が終わった頃には臨月となり、陣痛さえも始まった。

 今まさに出産しそうなのである。


 成長の早さに驚かされたが、これが神の御業なのだと神の偉大さを知ることができた。

 きっと生れた赤子は直ぐに成長し、成人になるに違いない。

 そうなれば、この汚れきった世界を聖火で灰にし浄化してくれるに違いない。


「粛清の時は来たわ」

 炎の神の女司祭である紅い女はそう呟いた。

 

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