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深紅の竜血  作者: 江渡由太郎
第二章 黒衣の魔女
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7

 獅子の紋章の旗を掲げた小規模の軍が何度か狼の紋章の軍と衝突した。

 獅子の紋章の軍は数名の正規騎手に指揮されたほとんどが、農民や商人などの民衆を徴兵した寄せ集めの軍であった。


 金で雇われる傭兵も中には数名いるが、彼らは命をかけてまで戦うという流儀を持ち合わせていないため、戦いの状況では逃げ出す恐れもあるとても不確定な戦力であった。


 狼の紋章の軍は炎の神の軍勢である兵士を尖兵として戦線へ投入している。

 炎の神の軍勢は単純な命令を忠実に実行した。


 その命令とは”皆殺しにせよ”というものであった。

 文字通り獅子の紋章の軍勢の屍の山が積み上がった。


 それを何の表情も称えずに燃え上がる炎と人間の焼ける臭いを見詰めている狼の王の姿があった。


「この南東部は陛下の制圧下でございます。これから西に向かい竜の紋章の国を陥落いたしましょう」

「それは頼もしいな。司祭殿は炎の神の奇跡の御業を行使してくれるのだが……肝心な”神”はいつ目覚めるのだ?」

狼の王ユアンは炎の神の司祭である紅い女を一瞥して言った。


「炎の神は今眠っていらっしゃいます。まだ器に馴染んではおられないのです」

 炎の神の女司祭である紅い女は恭しく言った。


 古今の光の神々は、自分たちの姿に似せて人間たちをこの地上に創造したという神話がある。

 神々の分身でもある人間は不滅の神の魂を受け入れて、神をこの地上に復活させることも理屈では理解できる。


 しかし、今まで誰も神を復活させることに成功していない。

 非常に徳の高い大司祭が己の肉体に神を一時的に降臨させて、神の奇跡を行使したという伝承はある。


 だが、不滅の魂を受け入れた人間の魂は砕けちり、肉体も物質界から消滅してしまうとされている。

 古今の光神々の場合と炎の神の場合とでは違いがあるのだろうか。

 同じ神格の存在なら不滅の魂を受け入れた人間の魂は砕けちっているはずである。


「神はいつ目覚めるのだ?」

「時が来れば……」

 狼の王の表情からは何の感情も読み取れなかった。


「狼の王よ。娘を生贄に捧げた過ちを気に病むことはない。現実を受け入れることそれだけが己を強靭にするのです。あなたは覇王となるべきなのです」

 炎の神の女司祭はそう狼の王に告げて、狼の王の前から退席した。


 ユアンは独りになった。

 今は仮住まいとしているこの館は獅子の紋章の騎手が住んでいた館である。


 獅子の騎手は狼の王がこの領地に進軍してきた時に一騎討ちを申込んできた。

 獅子の騎手は負けた。

 若い騎士は首が胴から離れる前に、狼の王に懇願した。


 それは、領地の民の命は奪わないで欲しいということであった。

 若い騎手の願いをユアンは反故にし、老若男女問わず村人を皆殺しにした。

 僅かな反旗の火種も残すことは得策ではないためである。


 ユアンは自分が狂気と殺戮を司る邪神なのではないかと思うことがある。


 あらゆる感情は失われた。

 食事をしても何も感じない。

 食べ物の味すら分からなくなっていた。


 屋敷の居間にいる狼の王の前に一人の妖艶で美しい女性が姿を現した。


「殿下、失礼します」

「おまえか。黒衣の魔女よ。あの大魔法の後から姿を見せぬから心配していた」

「お心遣いに感謝いたします。陛下の情けは民にお与えくださいまし」

 黒衣の魔女の憂いた瞳は狼の王ユアンに向けられていた。


「これから竜の紋章の領土へ進軍する」

「その途中に黒エルフ族の”闇の森”がございます」

 狼の王は無表情のまま頷いた。


「ダマスカス鋼のエルフの剣だな?」

「はい。炎の神の僕を葬ることができる唯一の武器は”エルフの剣”でございます。それに黒エルフ族は元は”古エルフ族”なのです。あの炎の神の女司祭もエルフ族には敵いますまい」

 黒衣の魔女はそう告げて退席した。


 黒衣の魔女は与えられた部屋へ戻り、木製の簡素な机の上に置かれている黒い水晶球の魔力を発動させた。

 そこに映し出されているのは、狼の王の息子であった。

 狼の王の息子グラントはベッドの上で眠っていた。


 グラントはあのドワーフの廃墟の地下宮殿から意識を失っているのだった。

 狼の王ユアンは彼の妹であるエレナを炎の神の生贄として差し出したあの日からである。


 精神的なものから心を閉ざし、己の殻に閉じ籠っているようにも見えた。

 ドワーフの坑道を通り、自国へ帰国してからはロンカストラ城の自室で眠り続けている。


 このまま目を覚まさないことまで考えられるほどであった。


 黒衣の魔女は物見の水晶球の上に手を翳した。

 すると、ロンカストラ城の映像が消えると今度は闇の森の黒エルフの王宮が映し出された。

 玉座の間では狼の王の息子ウィリアムが映し出された。


「わたしの王……」

 黒衣の魔女は狼の王の息子ウィリアムを愛でるように見詰めていた。

 

 水晶球に可憐な少女の姿も映し出された。

 黒衣の魔女はその少女を食い入るように見た。

 少女の内に秘めた”何か”を感じ取ったからである。


 それは神にも匹敵するほどの大いなる意思のようなものであった。

 

 黒衣の魔女は更に物見の水晶球の魔力を開放させた。


「ファーヴニル!」

 少女の内に秘めた”何か”の正体を知ったことにより、黒衣の魔女は驚愕した。


 これは世界の終焉を迎えるに十分な出来事であった。


「全てが……灰となり、他には何も残らない……」

 黒衣の魔女は、物見の水晶球の魔力の発動を止めた。


 手で顔を覆い、この世の行く末を憂いたのだった。

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