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深紅の竜血  作者: 江渡由太郎
第二章 黒衣の魔女
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4

 この森は病んでいた。

 生きていることがつらいと思わせるほどに、森の樹々は陰鬱であった。


 生ある者全てを憎んでいるような憎悪、絶望、嫉妬、怨みが呪詛のように森全体から発していた。

 森の空気も重苦しく、肌に不快感を与えるほどにじめじめと湿っていた。


 ディヴィナは常に誰かに見られているかのような視線を感じたり、後をつけられている気配も感じる。


 そして誰かが自分の名前を呼んでいる声が、聞こえたような気がした。

 誰だか知らない人を見たような気がしたが、それが錯覚なのか判らなかった。


 足を踏み入れた者の正気を失わせるような、この森は”闇の森”と呼ばれている。

 陽の光が届かないほど生い茂った樹々の葉は、森を薄暗く湿ったものにし空気を淀ませている。


 陰鬱な気持ちにさせられるこの森の主は”黒エルフ”である。

 闇の森の主であることから”闇エルフ”とも呼ばれている。

 狡猾で邪悪な存在ではなく、彼らは元は古エルフ族なのである。


 ただ、自分たち意外は認めないという思想が強いために古エルフ族から離反したのだった。

 黒エルフ族の王の永遠の命が終わることがあったとしても、彼の思想に賛同して集まった者たちによって闇の森は存在し続けるのだ。


 思想家が滅びても、その思想までは滅びないのである。

 必ずやその思想に賛同する者が現れるからなのだ。


 何故ならば黒エルフ族は絶望しているからだ。

 妖精界の住人である古エルフたちには寿命はないが、物質界で生を受けたエルフたちは妖精界にも戻れず、この物質界に縛られ永遠の命ですらなくなった存在になったのだ。


 そのことだけでも嘗ては古エルフと同族の黒エルフたちは許せないことであった。


 それゆえ、黒エルフ族は堕落した物質界のエルフ族を虐殺したのだ。

 何故、許せないかには他にも理由があった。


 物質界のエルフの中には更に堕落し”オーク”と呼ばれる妖魔に変異する者がいるからだ。

オークはエルフ族のような美しい白い肌ではなく、灰色に近い薄い緑色となった。嘗ての美しい姿を失ったために、醜く歪んだ姿を晒したくないため陽の光を嫌うようになった。


 エルフ族であった時と同じように知能も高い。しかし鈍感で下劣な存在となり、殺戮を好むだけの妖魔と化したのだった。


 ドワーフ族がゴブリンを毛嫌いするのは、ドワーフ族が堕落しのが邪悪で狡猾な妖魔”ゴブリン”だからなのだ。


 二つの瞳で見詰められている気配はやがて瞳の奥で憎悪が膨れ上がった。

 ディヴィナは不安感を募らせた。


 自分だけが感じている気配はドワーフの廃墟地下宮殿から始まりこの”深い森”に入ってからも付きまとっていたのだった。


 ウィリアムという青年と旅を始めてからもまだ記憶は戻ることはなかった。

 時折、自分の名前を呼んでいる声が聞こえている。


 頭の中で繰り返し声もするのだ。

 そのたびに何故か抗えないような威圧的な強制力が、ディヴィナの心の奥底で炎の火種のように燻っている。

 そのためにディヴィナは自分自身を見失わないように、意識をしっかりと持ち続けなければならなかった。


 ウィリアムという青年は、古今の光の神々に祈っていることが多かった。

 彼は特定の神には祈らず、古今の光の神々全てに祈っていると言っていた。


 そして、ディヴィナの記憶が戻るように慈母神に祈ってくれているとも言っていた。

 ディヴィナもそれからは自身でも慈母神に祈っていた。

 そうすることで、不思議と心が落ち着きを取り戻していた。


「ここはさっき通ったのう。道に迷ってしまったみたいじゃな」

 ドワーフのイムリが辺りを見回して言った。


「森が怒りで荒ぶっているわ。これ以上、先へ進み続けるのは危険よ」

「ユーリアの精霊魔法で何とかならないのか?」

 ウィリアムは訊ねた。

 ユーリアは肩を竦めて、困ったような表情を示した。


 ディヴィナは気配を感じた。

 先程から感じているものとはまた異質なものであった。

 それは獲物を狩るために、静かに忍び寄る。


 何かが一斉に放たれ、狙いたがわずにディヴィナたちの体を捕らえた。

 刺すような痛みと共に体中が痺れて意識が朦朧としてきた。


 痺れを伴う毒が塗られた毒矢の鏃が、吹き矢によって射られたことを知った。

 このまま死んでしまうのだと、ディヴィナはこの苦痛を受け入れようとしていた。

 だが、このままでは死ねないという思いから、心の中で慈母神に慈悲を願った。


 その祈りが聞き届けられたのか、ディヴィナの体を蝕んでいた苦痛が消えた。

 すでに意識を失ってしまっているウィリアムたちにも、慈母神の慈悲の奇跡を願った。

 苦痛に歪んでいた表情は和らいだように見えた。


 ディヴィナは毒矢で意識を失っているように装って、森に潜む者たちの正体を確かめよることにした。

 白金のエルフ族が現れた。


「我らの森に侵入するとは、命知らずの奴等め!」

 美しい白金の長い髪を無造作にかき上げて、女性のエルフが言った。


「アデーレ様、ここに古エルフ族の小娘がいるぞ。連れて行くか?」

「そうね。古エルフに人間、ドワーフなんて奇妙な組み合わせだわ」

 闇の森の黒エルフ族の娘アデーレは、不快な表情で言った。

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