第十六話 夢の跡地
もう何年も前になる。
ヤクダ付近の森の中に、一つの盗賊団のアジトが出来上がった。
団というには人数は少ないが、戦闘のプロ、魔術師や演技がうまい人とがいた。
盗賊団である割には、盗賊らしいことはほとんど行ったことがない。
それどころか、魔物から村を守ったことさえある。
そこにいた人たちは、変わり者ばかりだった。
世界から受け入れられない人、世界を受け入れられない人、世界を受け入れたくない人。世界が嫌いでもそれを捨てきれない人たち。
そんな人たちが集まって、寄り添って作り上げた家、夢のような時間。
盗賊団とは名ばかりの変わり者どもの集まり。それがルヤという場所だった。
しかし、ある時期から本格的に盗賊の行いをするようになった。
殺しに盗み。戦闘員のいない村は軒並み襲われた。
その原因となるのが前団長の死である。
前団長の死後、その時の団員は次々と去っていき、最終的に残ったのは二人だけであった。
約半年前、ルヤは事実上壊滅していたのだ。
そんな中、一人が団長と名乗って、仲間を集め始めた。
時がたつにつれ、団員の数は前とは比べ物にならないほどになっていた。
でも、彼が集めた人たちは昔みたいな人たちではない。彼らにとってルヤはただの盗賊組織、ただそれだけ。だから行いも世の言う盗賊団のそれと同じになっていった。
ルヤはもう名ばかりの盗賊団ではなくなっていた。
ある日僕はトレーにのせた食事を運びながら、ひとりごとのようにつぶやいていた。
「えっと、こんにちは、僕グリーと言います……違うな。やあ、僕はグリーって……違う……」
僕が向かっていたのは攫ってきた人を閉じ込めておく牢屋として使っている部屋だ。
そこに入ると牢屋の隅で膝を抱える少女が目に入った。
数日前、ルヤの盗賊たちが小さな村を襲った。
彼らは金品を奪い、村の人たちのほとんどを虐殺した。
ただ一人、この子を除いて。
あの盗賊の手本とでもいえる彼らがわざわざこの子を連れてきたのは、おそらくレイプでもするつもりだったらしい。
しかし、この子は連れてこられた時、つまり親が殺される場面を見てしまって、何も反応を示さなくなった。
あまりにも反応がないため、盗賊どもも興味を失って、今では放置されている。
「やあ、僕グリーって言うんですけど……」
声をかけてみるが、彼女はピクリとも反応しない。
僕がこの子の世話を始めてからずっとこんな感じだ。
聞こえているのか、あるいは聞こえていないのかは分からない。
すべてを諦めて、心神喪失しているように見える。
食事にもまともに手を付けず、もしほっとけばそのまま死んでしまうだろう。
でも、彼女のその姿は、まるで、絶望で、悲しみで自分が壊れないように、外界から自分を切り離しているように僕は見えた。
食事もとらせて食器を片づけていると、ふと声が耳に入った。
「どうして」
それはとても小さく、そのまま聞き流ししまうのではないかというほどの声だった。
顔を上げると声の主と目が合った。
目は相変わらず何も見いだせず、まるでただのガラス玉のようだ。
でも、この子は確かに僕の顔を見て、僕に声をかけた。
「えっと……」
「どうして」
「え?」
「どうして、私にかまうのですか?」
彼女はそう淡々と聞いた。
そこには何の感情はなく、単なる質問だった。
確かにこの子のことはほっといても何の問題もないし、この子を世話をする理由なんてない。今更見殺しにしてもあいつらが文句を言うとは思えない。
でも、なぜだろう。なぜか、見捨てられなかった。
自分でも気づかなかった悲鳴。言葉にならない『助けて』という思い。
この子を見ていると昔の自分を思い出す。
虚ろな目、何もない、ただそこにあるだけ。
だからだろうか。僕と似てると思うから。言葉にできない望みがあると思うから。自分が望んてたように、助けてほしいと思ったから。
だから、僕は放っておけなかった。
「そう……ですね、たぶん昔の自分に似てると思ったからじゃないかな」
「?」
「だから、ほおっておけなかった、かな」
「……あなた一体何がしたいのですか?」
彼女の口から飛び出したのは簡単な質問だった。
「なにを言ってるの?僕がしたいことって……」
なんだろう。
助けるなら逃がすとか、もっとできることがあるはずだ。
助けるわけでもなく、見捨てるわけでもない。中途半端なやり方。
『あなたはいったい何がしたいの?』
彼女のその問に、僕は答えることができなかった。
次の日。
僕はいつも通りに、彼女のいる場所を訪ねた。
彼女の様子もいつも通り隅に座っていた。
食事をとらせても、いつも通りほとんど顔色一つ変えない。
ほんと、全く変わっていない。
空になった食器をトレーにのせると、僕は切り出した。
「昨日団長って人が、君を処分するって言ってた」
これを聞いた彼女は、かすかに体を震わせて、ゆっくり顔を上げた。
この時彼女の目にはかすかに、感情が映っていた。
やっぱり。ちゃんと聞こえてる。
そしてこの子はまだ完全に諦めてない。かすかに、ほんのかすかに生きたいと願っている。
出なければ、口元に運んでも食べようとはしないはずだ。
「死ぬの?」
「いつかは言ってなかったけど、たぶん」
「そうですか」
口ではそうは言っているけど、体はかすかにふるえている。
それを見かねた僕は、彼女に言葉をかけた。
「昨日、何がしたいのって聞いたよね」
「……」
「あれ考えてみたんですけど、僕にとってここは大切な場所なんです。ここを昔みたいに戻したいから、離れたくないから、こんな中途半端なことしかできなかった。ほら、逃がすとすぐにばれるから」
「……」
「でも、君を逃がすことにしたよ」
「え?」
「だって、ここはもう昔みたいには戻せないから」
他の団員がいなくなってなお僕がここ残ったのは、ここを、ルヤを昔みたいに戻したかったからだ。
昔みたいにみんながいて、なんだかんだで楽しかったあの時間を取り戻したかった。
でも、僕はただ単にそれにすがっていたようだ。
ずっと前に気づいていた、けど、認められなかった、認めたくなかった。
何にもならないと知りつつ、いろいろとやって、結局何もできないで、ただその夢にすがっていた。
「ここはもう昔みたいにはならない。遅すぎるけど。だから君をここから連れ出すよ」
「……」
「信じてくれないのも分かる。だから証明する。殺される前に助ける、約束するよ」
もうここはどうしょうもない。ここにいてももうなんにもない。もう意味がない。
なら、僕が今やりたいことを、僕が助けたいと思ったこの子を助ける。
無意味なことより、今やりたいことをやる。あの人もそんなことを言っていた。
ほんと遅すぎるよ。わかりきったことなのに変にすがって、かなわないってわかってるのに認められなかった。こんなのを信じろったって無理があるよな。
「そういえば君の名前ってなんていうの?」
僕が聞いても、彼女はだんまりを決め込んだ。
ていうか何か言ってくれてもいいんじゃないかな。
こっちは一人芝居みたいで、ちょっと恥ずかしいんだけど。
トレーを手に取るとそのまま外に出ようとした。
そのとき……
「リエ」
その声はさっきみたいな小さい声だった。でも僕の耳には確かに聞こえた。
その言葉を口にした時の、彼女の目にはかすかな光のようなものがともっていた。
それから僕は毎日リエに話しかけた。
最初はほとんど反応を示さなかった彼女も、少しづつではあるけれど僕の話に耳を傾けてくれた。
見た目は相変わらず表情はなく、いつものように隅に座り込んでいた。
それでも彼女の目には今までには見られなかったものがともっていた。
毎日とはいっても別にそんなに長かったわけでもない。
時間にして約一週間後、僕は彼女を連れ出した。
計画も立てて、見張りのいない時に決行した。
何もかもうまくいっていた。誰にも会わずに、うまく抜け出せるはずだった。
ルヤの外に出た時、うまくいったと思った時、すべて無駄になった。
理由は簡単。へまをした。
見張りに見つかって、大声で叫ばれた。
すぐに声を聞いた盗賊が集まってくる。
そう思うと、僕はリエを連れて森に逃げ込んだ。