第十話 丘でのひと時
アルノスの町の一角に、この町でただ一つの鍛冶屋がある。
そこを開いたのがこのあたし、テレーゼ=ヴェテル=シュティクロード。
この町には武器を扱う商人はあまり来ないし、街の人からも包丁の手入れぐらいしか仕事が来ない。お金に困っているわけではないが、繁盛しているとは言えない。
この町に来たのは何年も前だ。いろんなところをふらふらとしてるうちに、ここにたどり着いた。
最初は旅の資金を調達するために、ここの領主に使わなくなった古い鍛冶屋を使わせてもらっていたが、今ではこの町でただ一つの鍛冶屋として定住してしまった。
そんな鍛冶屋にお客が一人やって来た。
そのお客は「テレーゼ、いるかー?」と親しげに呼んだ。
さーて、今日も少ないお仕事だ。と、気分付けじみたことを言って立ち上がった。
店の入り口に向かうと、一番のお得意様の領主ことハイル・エストラデンが立っていた。
「よー、どうしたハイル?剣の手入れか?」
「ああ、そろそろ頃合いだと思ったからな」
そういって彼は自分の剣を渡してきた。
剣を抜くと光を反射するきれいな刀身があらわになった。
その柄の付近にはアウロス・クロフと刻まれてあった。
「大事にに使ってるんだな…」
「使い使い続けていると愛着がわいてくるんだ」
確かにそれはよくわかる。あたしだって長年使ってきた道具に愛着がわいたりする。
「それにアウロスは全く同じものは作らないことでも有名だ。世界に一本だけだと思うと大事にもしたくなるだろ」
「そっか」
それを聞いて私は小さく微笑んでしまった。
ハイルが、どうした?と聞いてきたが、私は何でもないと言って作業を始めた。
黙々と作業をしていると、あたしは思い出したようにハイルに声をかけた。
「そういやあんたの子供は随分と変わってるな」
「やっぱりお前もそう思うのか?」
「そりゃ、ナイフの構造を持ってくるガキなんて、少なくともあたしは見たことないよ」
「は?」
なんだ、聞いてなかったのか?てっきり話してると思ってたが。
どうやらこのことについて何一つ知らなかったようなので、話してやった。あいつが訪ねてきたこと、あいつが言った面白い話のことを。
「ユウがそんなことを……」
「子供にこんな発想ができるなんてな。武器関係の本でも見せたのか?」
「いや、だがユウはいつも何かしら本を読んでたからな」
「その中に混ざってたんじゃないか」
「たぶんそうだろ。だがなんで折り畳みなんだ?聞いた限りじゃそんなことをしても手間がかかるし、強度が下がるだけだろ?」
ハイルが言うように、実はナイフを折りたたみ型にしてもほとんどメリットがない。それどころが仕掛けがあるから手入れに余計な手間がかかる。そして何より折りたたみ型にすると柄と刀身をつなぐ部分がどうしてももろくなってしまう。
魔物と戦う人なら使えるものならともかく、無駄なギミックがある武器より、頑丈でシンプルな武器の方を選ぶ。
だが、あたしがあいつのアイディアに乗ったのはただ単に面白かったからだ。
これまで生きてきて、いい剣の作り方なんてごまんと聞いたが、こんなものは聞いたことがなかった。
退屈してたこともあり、そのアイディアはあたしの好奇心を的確に刺激した。
だから、作ってみたいと思った。
「あいつは、あたしたちが思ってるよりも大物なのかもしれないな」
「大物かどうかは分からないが、俺たちが思ってるよりもずっと危険を顧みない性格かもな」
「危険を顧みないって、あいつ何かやったのか?」
「それが……」
彼の話を聞いたあたしはにわかに信じられなかった。
ユライネは森に入って夜まで帰って来なかった、そして森で女の子を見つけて連れて帰って来た、とハイルが言っていた。
朝ならまだしも、ここらの森でユウが入った辺りは普通よりも危険だ。
そこの魔物は夜になると活動が活発になり群れを組んで獲物を狩る。
暗闇に交じって獲物に忍び寄る。逃げた先にも潜んでいて追い詰める。すぐには襲わず獲物が疲弊した時に止めを刺しにくる。
囲まれたことに気づいた時はたいていが手遅れで、下手したらワーウルフよりも厄介な魔物だ。
そんな危険な森に女の子がいたのもそうだし、ユウが傷も恐怖も、何事もなかったように帰って来たというのだ。
「もちろんびっしりと叱ってやった。反省はしてたようだが、また危険なことをやりそうな気がするんだ」
「あたしの方からも言っとこうか?」
「頼む」
嘘偽りなくあいつは面白いことが大好きな好奇心の塊のような奴だからな。
手入れが終わると、私は剣を鞘に納めてハイルに渡した。
彼は剣を受け取ると、「またな」と言って鍛冶屋を後にした。
ハイルが店を出てからしばらくすると、ユウがいつもいる丘の方に向かった。
別にこっちから行かずとも、あいつが来た時に話せばいいが、ほかに用事があるからそのついでだ。
丘は緑色に染まり、風が吹くときれいな波を作り出していた。
そんな丘を登りながら、耳を澄ませていると……「ちょっと何やってるんですか!」悲鳴じみた声が聞こえてきた。方角は言うまでもなくユウがいつもいるの方だ。
あいつまた何やってるんだ?
わるい、ハイル。もしかしたらもう手遅れかもしれない。
ユウたちのいるところにつくと、そこは丘の主ことユライネ、ここいらでは珍しい亜人のイオ、どことなくユライネと似た雰囲気がする白い髪をした女の子がいた。
いたのはいいが、状況が状況なだけに声をかけづらい。
「ちょっとハクアさん!尻尾掴まないでください!」
「いいさわり心地」
「そうか。じゃ俺も」
「俺も、じゃなくて止めてください!っていつの間に後ろに、あっ、ちょっと耳触らないでください!」
「これはまた癖になる触り心地だな」
「でしょ」
「サラサラした毛並みに……」
「冷静に分析しないでください!」
はたから見れば変人の二人に群がられる猫が一人あたしの目の前にいた。
声をかけづらくしていると、ユウの方があたしに気づいた。
どうやら我は失ってないらしい。よかったー。本当はやばい人だったらどうしようかと思った。今でも十分やばいが。
その後、ユウは私に白い髪をした女の子を紹介してくれた。
名前はハクアと言って、この間森に入った時に助けた女の子だそうだ。
本来なら親に届けるのだが、今回はそれができないらしい。
「記憶喪失?」
「ああ、昔のことが一切思い出せないらしい。親のことも、自分のことも。一応町の人にも聞いてみたが、収穫はなかった」
「森にいた理由につては?」
「本人にも分からないらしい。気づいたらそこにいたと言っていた」
また不思議なこともあるもんだな。
記憶喪失は聞いたことはある。何らかの原因により記憶に大きな欠落が生じるらしい。魔術でももとには戻らないため、記憶が自然と戻るのを待つしかないらしい。
ただ、森にいたことが釈然としない。
この町の子供なら迷込んだだけで済むが、ハクアのことは誰も知らない。
ならこの子はどこから来た?
何もないところから出てくるわけないから、どこかから森に連れと来られたはずだ。
ハクアの方を見てみると、今度はイオの耳をいじっていた。イオはもう諦めてなすがままにされている。
ユウに撫でられたとき、彼女の顔にはほんの小さな微笑みが浮かんでいた。
テレーゼは俺の話を聞いて何か腑に落ちないような顔をしている。
そんな顔をするのも無理はない。俺が同じことを聞いたって疑問に思う。
こちらも全部話しているわけではないが、嘘は言ってない。
実際ハクアには昔の記憶がない。一番古い記憶を聞いてみたところ「ごめんなさい」と言われたような気がした、と言っていた。
彼女の記憶喪失が魔術によるものか、あるいは心的外傷が原因かは分からない。
「まあそのことはともかく、これはいったい何なんだ?」
解けない疑問はおいておいて、とりあえず辺の惨状について聞くことにしたようだ。
テレーゼの見た方向に不自然に切り倒された木々があった。
犯人は誰かというと、猫耳がお気に入りのハクアさんと軽い気持ちでハクアに魔術を使わせた俺です。
一か月ぐらいか前ハクアの適性を調べてみた。そのとき調べるのに使った道具は全属性という普通じゃありえない結果をはじき出した。
事情を知らなきゃ道具が壊れたと思うだろう。事実ハイルたちは真っ先にそれを疑った。
だが道具が正しかったことはすぐに証明された。
適性を調べたその日、さっそくハクアに魔術を教えてみた。魔術は何かと役に立つ、自衛のためにも教えといた方だいい。
念のため、町はずれの丘で使わせてみることにした。
今思えば家の庭でやんなくて本当によかった。そのとき俺はハクアのでたらめさを思い知らされた。
教えた魔術は風属性の『ウィンドスラッシュ』、下級魔術で風の刃を飛ばす魔術だ。普通はは剣で切るぐらいの威力だが、使う人によっては太い木を切り倒す威力を持つといわれる。だが俺はバードの言った『魔術に優れた人』を侮っていた。
俺が一度しょぼい見本を見せると、彼女はいきなり無詠唱で使ってきた。ここまでだったらまだいい、だが魔術が放たれた方を見てみると、木が的ごときれいに切り倒されていた。それどころかすぐ後ろにあった何本かの木も同じ運命をたどっていた。
明らかに下級の威力じゃない。今の要領で中級、上級を使わせたらいったい何が起こるか?間違いなく災害だ。
そのため目下魔術の威力を押さえるのに重点を置いている。
ハクアのでたらめさは魔術に限ったことではなかった。
本の内容はもちろんのこと、いろんな知識を覚えていった。試しに日本語を教えてみたら瞬く間に覚えていった。今では片言ではあるが話せるようになった。
俺は言葉を覚えるのに何年もかかったのに………これが天才というやつか。つえー……
「ウィンドスラッシュで、あんな威力が出せるとはな。その子才能あるんじゃないか?」
「あるだろうな、なかったらあんな威力でないもんな」
「それに比べてお前は属性魔術が点でだめだがな。頑張んないとどんどん置いて行かれるぞ、ユライネ君」
「ほっとけ」
その代り属性外魔術はちゃんと使えるから問題ないよ。
この一か月、俺だってただ遊んでたわけではない。
ハクアがいた屋敷から回収した本の中には無属性魔術の本もあった。
その本には『消滅魔術』とだけ書かれていた。ただその本に書かれてたのは、変わったものだった。
消滅魔術というのは、簡単に言えば『存在するものを、存在しなかったことにする』らしい。
これだけ聞けばなんでも消せるようなチート魔術に聞こえるが、案外そうでもない。
消滅魔術は基本的に魔力がを持つものや、魔力でできたり魔力で強化したものには効きにくい。
そして何より消滅魔術は物凄く高度なもので、そう簡単には使いこなせない。消費魔力も多いから、下級感覚で使ってるとあっさりとガス欠する。
魔力量ばっかり多くて、属性魔術が使えない俺にはちょうどいい。
ただこの消滅魔術は魔術の中でも特別なもので、詠唱がない。
見落としたかと思って読み返してみたが、どんなにめくってもそれらしき言葉は出てこない。
この魔術にはほかの魔術みたいに、火や風みたいな自然現象を起こすものじゃなく、俺の元いた世界にはない、物を『消滅』させる魔術だ。
燃えるのも、風が起きるのもイメージできた。強化魔術でもパワードアーマーとか着てるようにイメージすれば使えたが、こと消滅に関してはいまいちどうイメージすればいいか分からなかった。
だから、この魔術を使うのは本当に苦労した。イメージがつかみずらくても、詠唱で感覚をつかんでから無詠唱で使うんだが、これに限ってはそれができない。手さぐり状態でで試しまくったが、今でもまともに発動させるので精一杯だ。
ただハクアには使えなかった。なんでだろう?
「それでどうしたんだ?最近はずっと引きこもってるくせに」
「人を引きこもりのように言うな、せっかくお前が喜びそうなものを持ってきたのに」
「喜びそうなもの?」
「ああこれだ」
テレーゼが取り出したのは、三本の形が違う針がついている円形のもの、懐中時計だった。
それを見た俺は驚きを隠せなかった。
なんせこの世界で時計というのは高価なものだ。貴族じゃなきゃ買えないというほどではないが、普通の庶民に手が出せる代物じゃない。
「お前、どうしたんだこれ」
「ん?作った」
「は?」
「昔、時計職人に作り方を教えてもらったんだ。買うより自分で作った方が安いからな。最初は渋ってたが、ちょっと頼んだらすぐに教えてくれた」
どんな他の頼み方をしたんだ……。
こいつのことだから、ガンつけて「あー?」言ったんだろう。テレーゼににらまれて縮こまる職人の姿が目に浮かぶ。
でも、時計って齧った程度で作れるものかな?手に取って見ても、専門の職人が作ったようにしか見えない。
こいつはこいつででたらめな奴だな。
そこまでの腕があるのになんでこんな田舎にいるんだ?騎士相手に武器作った方がずっと儲かりそうなのに。
それを聞くと、テレーゼは「まあ、ちょっとな」と言ってはぐらかした。
話したくないことでもあるのかな?
「でもいいのか?こんな高いのもらって」
「構わねーよ。値段だって材料費だけだし」
「いや、でもなー」
「やるってんだからもらっとけ。それともあたしからの贈り物は受け取れないと?」
「そもそも贈り物をされる覚えはないぞ」
「そうでもないぞ」
聞き返しても、テレーゼさっきのようにはぐらかして笑った。
気になってもう一度聞こうとすると彼女は話を別の方にそらした。
俺の質問は無視ですか、そうですか。
「そういや、お前やっぱり魔術学院に行くのか?」
「そうだが、誰から聞いた?」
「ハイルだ。魔術学院はエルビスか、ラディアのどっちがいいか聞いたそうだな」
「ああ」
「お前の性格なら、ラディアの方がいい。むしろエルビスはお前には合わなさすぎる」
そこまでなのか?
ハイルからの話でも、結構窮屈だったと言っていた。
「自分が貴族だから庶民は従えとか、自分に自惚れたクソ野郎とか、精霊族だから嫌味言われたり……思い出しただけでもぶっ殺したくなる」
「落ち着け、口に出てるぞ」
テレーゼは少し間をおいてから、「とにかく、エルビスに行くとろくなことがない」と言った。さっきの愚痴もそうだし、いったい何があったんだ。
「それに、お前のことだから亜人領にも行くつもりなんだろ。それなら断然ラディアだ。あそこなら亜人族も通ってるし、亜人領の情報もたくさんある。何よりあそこでならクカツ語も習える」
断言されたことはともかく、確かにそれは実に魅力的だ。
人間族と亜人族はもちろんのこと使う言語が違う。人間族の言語はシアレル語で、亜人族が使うのはクカツ語だ。異国探険したいこちらにとってはその国の言語は絶対使えるようになりたい。
通訳よりも自分で話せるほうが便利だ。
テレーゼのエルビスにいた時の愚痴やラディアのことを一通り聞いた後後は、またいつものような話に戻った。今度はハクアも話に加わった。イオは頭にはてなマークを浮かべてたが、時々話に入って来た。
話してるうちに自然と笑みがこぼれてきた。
理由はたぶん楽しかったんだろう。
テレーゼたちと話して、笑っているこの状況がうれしかった。
昔の俺だったらこんなの絶対認めないだろうな。たとえ感じても、自然と無視していただろう。
今でも少し複雑だ。
人が嫌いだと言っても、それは一つの側面でしかなかった。
嫌いなのはあくまで敵であって、仲間、信頼できる人ではない。
俺は人と話して笑ってる、素直に楽しめるこの状況がうらやましかった。
だから『人』を捨てきれなかった。
俺は自分が思ってるよりも人が好きなのかもしれない。
でも俺はそれを口にできない。
全力で肯定できない。
『人』に対する憎しみがいまだに心のどこかにこびりついている。
俺はそれも肯定している。
まるで、心と思考が違う正解を出してるように、俺は二つを肯定している。本音だと思っている。
でも、俺はどちらを優先すればいいか分からない。
心が感じるままに人を好きになり間違え、思考がはじき出す結論のまま人を嫌い間違えた。
俺はどうすればよかったんだろうか。
この問いの答えをクレアは、ハイルは、イオは、テレーゼは、ハクアは知ってるんだろうか。
知ってるんなら教えてほしい。たとえ正解でなくともいいから知りたい。
もう間違えたくはないから。
もうあんな思いはしたくないから。
もう『死』にたくないから。
ハクア達との話を楽しみながら、俺はなぜかそんなことを考えていた。