【この3つの理由さえ無くなれば、争いごとも少なくなるのでしょうね】(俣彦『短編ぼくのまち』)
争いごとの起こる原因
を考えていきますと
3つの理由にまとめることが出来るのかな?
と漠然と思い立ちましたので
特に何も気にせずに
話を進めていこうと思います。
1つ目は『考えかたの違い』
今から述べていく3つの中で
最も重く、厄介な事象でありますので
軽く述べさせていただきますと
深刻になるのは大抵
元々の意見は同じなのだけれども
解釈の仕方が異なっている時、
導き出そうとしている結論が同じであるが故に
収拾がつかなくなることが
往々にして見られます。
これ以上は
地雷を踏むことになりますので
ここでは述べません。
2つ目に来ますのが
『食糧・経済の格差』
中国に万里の長城が出来たのは
ステップ地方で食糧となるモノが少なくなった時、
豊富な物資が集まる
華北地方に
騎馬民族
(って言うか『戦車』ですよね。あれ。)
が突っ込んで来るのを
なんとか食い止めようとして造られたのが
万里の長城でありますし、
ヨーロッパの30年戦争も
理由は同じでしょう。
海外を見るまでも無く
日本でも
戦国時代。
一応、関東管領の仕事を全うするため
の名目はございましたが
冬を迎える前に
わざわざ険しい
三国峠や清水峠を越えて
関東になだれ込んで来たのは
少しでも国元の食糧を助けるため
と、冬。
雪深いため
やることが無い
血気盛んな若者を
越後に置いておくと
何を仕出かすかわからないので
(…公共事業ですね)
として
関東を歴訪しては
統治することも無く
田植えの時期には戻っていく。
(関東のかたにとりましては
いい迷惑なのではありますが…)
で。3つ目は
『次の命を育むため』
普段は基本。どの生き物も
ほかの生き物に見つけられないよう
(中には大きく見せて威嚇するモノもありますが)
『地味』な格好をしているじゃないですか。
狩るほう狩られるほう共々。
そうしないと
逃げられてしまいますので。
と静かに日常生活を営んでいる
様々な生き物たちが
あるキッカケと共に
『かぶき者』に変容する。
なぜか?
そうしないと
種の保全が叶わなくなってしまうから。
そのため発生する事象が
木彫りの熊のモデルになりました
あの風景にございます。
それさえ
危険な状態に身を晒すことさえなければ
もっと長生き出来るのか?
寿命を悟ってなのかわかりませんが。
そう考えて街中で
私から見ますと
まだまだ人生これから
の皆様が
あのような格好で
世間に身を晒している
と言うことは
もしかするとみんな
(……不治の病に侵されているため、
早く次の世代に私のDNAを受け継がなければ?
と考えての行動である)
と想像しながら歩いてみると
少しは楽しむことが出来るのかもしれませんね。